シルバー特集:シニアマネー、世界的な資金フローにじわり影響力
[東京 20日 ロイター] 「円テン」、「マイン、マインだ」──。集中する円売り注文を受ける担当者の大声が飛び交い、ディーリングルームは一気に熱気に包まれた。画面に表示されたドル/円のレートが、円安方向にじりじりと動き始め、次第にテンポを速める。ドルが3カ月ぶりの円高水準となる118円台へ急落した7月27日朝、東京外為市場は相次ぐ円売り注文に活気づいた。
「ドル/円だけじゃない、豪ドル/円、NZドル/円、ユーロ/円と多くの通貨で円が売られている。個人投資家の円売りだ」。あるメガバンクの担当者は、わき出すような円売りに驚きを隠せない。外為市場を腕一本で勝ち抜いてきた外銀ディーラーに「ドルやユーロを売っても売っても(円売り注文に吸収されて)下がらない」と頭を抱えさせる要因は何か。多くの市場関係者は「投信の設定に伴う円売りだ」と口をそろえる。
<膨張する投信の67%がシニアマネー>
個人投資家の投信への関心は衰える気配がない。7月末の日曜日に大和証券が横浜市で開いた投信フォーラムには5677人の個人投資家が参加した。中国株ファンドセミナーに立ち寄る白髪の男性、外資系運用会社の営業マンが壇上で指差すロシア・東欧株ファンドのグラフに見入る中年男性、インド株投信説明会で熱心にメモを取る初老の男性など、新興国株投信のブースにはシニア世代の姿が目立った。
1500兆円に及ぶ日本の家計金融資産。この過半数を保有する60歳以上のシニア世代が「(退職後の)セカンドライフの資産運用手段として投信を選ぶケースが増えている」(野村アセットマネジメント・上席エコノミストの住田友男氏)という。野村アセットの推計では3月末時点で投信の67%を60歳以上のシニア世代が保有している。
<公募投信の外貨建て資産が5年間で8倍に>
公募投信全体の残高は、投信の手数料収入を拡大したい銀行や05年10月に参入した日本郵政公社が、シニア世代向けに分配型投信を売り込んだこともあり、過去5年で倍増し、今年6月末には80兆円を突破した。円安の進展も追い風となり、5年間に外貨建て資産は8倍に膨らみ、公募投信全体に占める比率は5年前の11%から42%に跳ね上がった。海外の株高を背景に、投資対象は外債だけでなく、高配当の外国株式や高利回りの不動産投信(REIT)などに広がり、投資先地域も先進国から新興国へと拡大した。
「投信の活用」をテーマにした資産運用セミナーに顔を出した元大手化学品メーカー社員の渡辺達章氏(81)は「低金利時代の資産運用は、外貨資産を含めた分散投資が大切」と言い切る。リスク嫌いで有名な日本の個人投資家は今、着実に変わりつつある。
このシルバーマネーが新興国などの資産価格を押し上げ、円安地合いを作り上げており、「海外投資の担い手は機関投資家から個人に変わりつつある」(住田氏)との見方がマーケットに浸透し始めている。
<VISTAにも資金流入、ベトナム株は過熱ぎみ>
シニア世代にとって日本の高度経済成長期をほうふつとさせるBRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国)。銀行や証券会社の店頭には観光案内のように美しいポスターが貼られ、セミナーも頻繁に行われている。その効果が出ているのか、BRICsに投資するファンドの国内投資家保有残高は6月末に約3兆5000億円と1年で約7割増加した。ポストBRICsとして注目されるVISTA(ベトナム、インドネシア、南アフリカ、トルコ、アルゼンチン)に投資するファンドも含め、新興国の資産を組み入れる投信は今年だけで既に45本設定され、残高は8000億円程度に膨らんでいる。
その中で時価総額が2兆5000億円にすぎないベトナム株式市場の人気が沸騰している。国内・外国籍ファンド、商法上の匿名組合などさまざまな形で日本の個人マネーが同市場に流入しているが、投資先にベトナムを含む国内籍ファンドだけをみても直近で13本、残高は400億円規模に拡大している。
ベトナム株への直接投資も増えつつある。ベトナム株情報サイト「マネーベトナムドットコム」を主宰する宇都宮滋一氏によると、昨年6月に3万口座だったべトナムの証券口座数は1年間で20万口座まで急増した。このうち外国人が開設した5千口座のうち、4割に当たる2千口座が日本人のものという。
4年前に購入した中国株投信で大もうけした60歳の会社役員も、新たな投資先としてベトナムを選んだ。友人の例に習い、ベトナム旅行のついでに証券口座を開設。「おいしいものを食べ、口座も開けた」と満足げに話す。
第一生命経済研究所・主席エコノミストの熊野英生氏は「新興国はそもそも資本が自由化されておらず、市場規模も小さいが、日本マネーはわずかな穴さえあれば集中的に流入するため、(現地で)大きな存在になってしまうのではないか」と指摘する。
<海外ヘッジファンドも投信動向に注目>
次々と設定される海外型投信を媒介とする資金流出により、個人投資家は為替市場でも主要なプレーヤーの一角に押し上げられている。メガバンクで為替注文を受ける担当者は「7月ごろまでは日銀の利上げを予想して円を買い仕掛ける海外ヘッジファンドが多かったが、国内勢の円売りに負け続けた。最近は海外のヘッジファンドも事情に詳しくなり、今度設定される投信の売れ行きはどうかと問い合わせてくる」と明かす。
外為市場の取引は相対が中心のため正確なデータはないが、市場関係者の推計では、投信の取引規模は現在、東京外為市場の出来高の1割強から2割弱程度。投信ブームを背景に「1年前の数割増し」(信託銀行の関係者)に膨れ上がっている。
サブプライムローン(信用度の低い借り手向け住宅融資)問題で金融市場が混乱し、円が上昇した8月も海外型投信への資金流入は継続した。「昨年5月と今年2月の世界株安でも慌てて売却に走らなかった個人投資家が、長期保有の恩恵を強く認識し始めた」(大手証券)との声もある。
為替市場では「かなりの個人投資家が急速な円高で損失を抱え、一部は市場から撤退した」(邦銀関係者)との指摘もあるが、新たな投資家が加わりつつあるため、米国の利下げなどで市場が落ち着けば、再び円売り圧力が増すとの見方もある。
大和総研シニアエコノミストの亀岡裕次氏は「足元では、外為証拠金取引を通じた個人マネーや、ヘッジファンドの円の買い戻しが為替相場の波乱要因になったため、関係者の目もそちらに向きがちだったが、残高が積み上がっている投信マネーは中長期の資金として注目されており、為替市場で影響力と存在感を今後も着実に増していく」とみる。
<団塊世代の退職金も海外資産に向かう>
個人マネーの海外流出はいつまで続くのか。財務省の国際収支統計によると、投信部門の対外証券買越額は05年と06年に各9兆円弱、今年も上半期だけで約7兆6500億円規模に膨らんでいる。
少子高齢化の進展で高い経済成長は期待できず、中長期的に低金利と円安基調が続くとの見方が支配的で、「国内と海外の資産を抱き合わせたポートフォリオを構築する流れは今後も変わらない」(中央大学商学部・客員講師の藤波大三郎氏)とみられている。団塊世代の大量退職などで2012年までは毎年13─14兆円規模の退職金が支払われることから、投信などを通じて海外に向かう資金量も増える可能性が強い。
「投資家の多様なニーズに応えるために金融サービスや商品が充実し、これまで金融後進国だった日本も進化する」(藤波氏)との見方もある。
ただ、別のシナリオもありうる。サブプライム問題をめぐる不透明感は払しょくされておらず、「円が一段と上昇すれば海外投資の考え方が後退する可能性もある」(投信コンサルタントの田村威氏)ためだ。
第一生命経済研の熊野氏は、退職金市場が2013年以降に縮小するほか、2010年頃から貯蓄率が低下するとみられるため、「投信ビジネスの拡大が金融ビジネスに大きな恩恵をもたらすのは今後数年だけ」と予測する。
今、シニア世代の多くが国際分散投資の必要性を感じている。7月に仕事を辞め、年金生活を始めたばかりの由井園武彦氏(70)は、退職金などの運用先を探して証券会社のセミナー巡りをしている。「定期預金で5%の利息がもらえるなら、リスクを取ってまで外貨資産に投資はしないが、金利は低く、外貨資産の運用も考えないといけないと思い勉強している」という。
80年代に日本の生保各社が大量の外債投資で外為市場や米国債市場を揺さぶり、欧米の市場関係者は「ザ・セイホ」と呼び、その動向を注目した。このままシニアマネーの海外投資が拡大すれば、新たなニックネームがつく日がくるかもしれない。
(ロイター日本語ニュース 大林優香 岩崎 成子 基太村 真司)
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