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コラム:英国発「ハードブレグジット」の恐怖=田中理氏
2016年10月6日 / 02:57 / 1年前

コラム:英国発「ハードブレグジット」の恐怖=田中理氏

[東京 6日] - それはあたかも離脱派キャンペーンの演説を聞いているかのようだった。英国のメイ首相は2日、就任後初の保守党大会に臨み、「英国は欧州連合(EU)を離脱し、食品の成分表示から移民のコントロールに至るまで政策の決定権を取り戻す」と熱弁を振るった。

こうした発言を受けて、英国がEU離脱(ブレグジット)に際して、独自の移民政策の採用を優先し、単一市場へのアクセスを犠牲にする「ハード(強硬な)ブレグジット」に傾いているのではないかとの不安が高まっている。外国為替市場において、ポンドが対ドルで31年ぶりの水準に下落した背景にも、そうした不安がある。

メイ首相は投票前の残留キャンペーンで積極的な役割を演じることはなかったが、残留派と目されており、首相就任が決まった当初、単一市場へのアクセスを重視する「ソフト(穏健な)ブレグジット」を目指すのではとの期待の声も多かった。

だが、同氏は実は内相時代には移民政策で厳しい発言を繰り返したことで知られる。政権運営には保守党内の離脱強硬派の協力が不可欠なうえ、移民抑制を求める国民の声をくみ取り、単一市場へのアクセスよりも移民政策を優先したとしても不思議ではない。

こうした英国側の移民制限を優先する姿勢に鑑みれば、EU離脱後の英国が単一市場へのアクセスを確保できるかは、EU側が移民政策でどの程度歩み寄るかにかかっている。これまでのところEU側は、「ヒト・モノ・カネ」の移動の自由はEUの基本原則で、単一市場へのアクセスと共通の移民政策を切り離すことはできないとの立場を貫いている。

<スイスとの移民交渉に見るEUの強硬姿勢>

英国が「ハードブレグジット」に向かうかどうかの試金石となりそうなのがスイスの動向だ。欧州の中心に位置し、ドイツ、フランス、イタリアに囲まれたスイスは、永世中立国でEUにも加盟していない。

ノルウェー同様に欧州自由貿易連合(EFTA)の加盟国だが、1992年の国民投票でEFTAとEUが結ぶ欧州経済領域(EEA)への参加を見送ることを決定し、100以上もの個別協定を結ぶことで、単一市場へのアクセスが認められている。関税なし貿易と引き換えに、ヒトの移動の自由を保証することやEU予算への拠出を約束している。

スイスでは、EUとの間でヒトの移動の自由を保証する協定が発効した2002年以降、EU諸国からの移民の流入が急増し、英国同様に社会問題化している。年間10万人近くの移民流入が続く同国では、800万人強の人口のうち200万人以上を外国人が占め、人口比で見た難民の受け入れ数も多い。2003年以来、移民規制を訴える右派の国民党が第1党の座を維持している(欧州難民危機の最中に行なわれた2015年10月の前回総選挙で、国民党は改選前から2割程度も議席を上積みし、一段と勢力を拡大)。

2014年2月には、国民党の発議に基づき、3年以内に移民の受け入れを制限する国民投票が行なわれ、僅差で可決した。この投票結果を受け、スイス政府はEUに対して、ヒトの移動の自由を保証する協定の見直しを求めてきたが、EU側はこれを拒否。2017年2月に法制化の期限を控え、スイス政府とEUとの交渉が大詰めを迎えている。

今年6月の英国民投票での離脱選択を受け、EU側の態度は一段と硬化している。スイスが一方的な協定破棄に踏み切れば、EU側も単一市場へのアクセスを認める協定を破棄することを示唆。さらに、今後EUの関連規制を変更する際に、スイスの関連規制も自動的に変更する制度の導入を求めている。

EUとの厳しい交渉の末、9月に下院を通過した移民抑制法案は、スイス国民や現在スイスに居住するEU市民に対する求人を優先する労働規制の改正。スイス国外にいる求職者を企業が雇い入れるに当たっては、それに先駆けて国内向けに求人を出すことを義務付ける。移民の受け入れ数を制限する当初案は大きく骨抜きにされたわけだ。

<3つの離脱シナリオ、いずれも「いばらの道」>

英国の対EU貿易は輸出入ともにスイスの2倍程度、多くのEU企業がロンドン市場を起債で活用するほか、外交・安全保障面での強固な協力関係などに鑑みれば、英国はスイス以上のバーゲニングパワーを持つことも考えられよう。だが、EU側の妥協を許さない姿勢から判断して、英国を待ち構える交渉は極めて厳しいものとなりそうだ。

考えられるシナリオは3つある。一番目は、英国が移民制限を優先する結果、単一市場へのアクセスが阻害されるケースで、これは英国の金融業や日本の進出企業にとって厳しい選択となる。

二番目は、スイス同様に単一市場へのアクセスを優先し、極めて限定的な移民抑制策しか採用できないケース。この場合、離脱派の怒りの矛先はメイ政権に向かい、政局流動化のリスクが高まろう。保守党の分裂や、2020年5月に予定される次期総選挙での英国独立党(UKIP)の躍進につながる可能性がある。

UKIPは大政党に有利な選挙制度に阻まれ、現在下院で1議席しか獲得していない。労働党やスコットランド民族党(SNP)は残留支持派が多数を占め、離脱支持者の受け皿となり得るのは、離脱強硬派が保守党から分裂して結成する新党か、UKIP以外にない。

三番目のシナリオは、EU側が歩み寄り、単一市場へのアクセスと移民制限を認めるケース。こうした事態が想定されるのは、難民危機の再燃でドイツやフランスでも自国の移民制限が必要との世論が高まっている場合で、EUは存続の危機にさらされている恐れがある。どのシナリオも心穏やかなものとはならなそうだ。

*田中理氏は第一生命経済研究所の主席エコノミスト。1997年慶應義塾大学卒。日本総合研究所、モルガン・スタンレー証券(現在はモルガン・スタンレーMUFG証券)などで日米欧のマクロ経済調査業務に従事。2009年11月より現職。欧米経済担当。

*本稿は、ロイター日本語ニュースサイトの外国為替フォーラムに掲載されたものです。

(編集:麻生祐司)

*本稿は、筆者の個人的見解に基づいています。

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