COLUMN-〔インサイト〕後手に回ったFRB、大胆な緩和で打開目指す=エコノミスト 岡田氏
最近の市場と経済の激動ぶりを評して「100年に1度」という形容詞が定着してしまった感がある。そのためか時間の経過は恐ろしいほどに速く感じられ、2006年1月にバーナンキ教授がFRB(米連邦準備理事会)議長に就任して既に3年近くが経過してしまったことに驚かされるのは筆者のみではあるまい。彼が経済学部長を務めていたプリンストン大学は、アインシュタインを擁していた高等研究所で高名だが、同時にマンハッタンへ1時間ほどという立地もあって、伝統的にアメリカの金融政策に強い影響力を持っている。その経済学部長にして、世界大恐慌研究の第一人者であるバーナンキがFRB議長に指名されたと聞いて、最初に考えたのは、これで世界大恐慌が再来しても万全の布陣が整えられたということであった。
<リーマン破たんの決断、危機を深化させた可能性>
だが、現実はそうした楽観を簡単に打ち砕いている。栄華を極め、アメリカの経済力を象徴していたウォール街の巨大投資銀行は、次々と破たんし、今やすべての投資銀行は銀行持ち株会社の傘下に入ってしまったのである。伝統的金融ビジネスである商業銀行の保守的な経営に対して、高度の取引手法を駆使することでリスクを回避しながら驚くような高収益をあげ続けることが可能であるという幻想は、もろくもついえたのだ。危機はそれにとどまりはしない。リーマン・ブラザース(LEHMQ.PK: 株価, 企業情報, レポート)の破たんによって堤防が崩れたようにして、連鎖的な金融危機が企業金融にまで波及していた。このリーマン・ブラザース処理におけるFRBの対処が正しかったのか否かに関しては、深刻な疑問が残ることは間違いないであろう。
1997─98年の日本の金融危機の際には、三洋証券破たん(97年11月3日)が今回のリーマン・ブラザース破たん劇と同様の効果をもち、コール市場をはじめとする短期金融市場は完全に機能を停止してしまい、北海道拓殖銀行の破たん(同17日に北洋銀行へ営業権譲渡)を招いた。その教訓によって、同24日に破たんした山一証券の場合には自主廃業という手続きがとられ、市場取引の停止を避けることになったのである。ところが、こうした経緯を十二分に知っているはずのFRBと米財務省が下した判断は、危機を深化させるようなものであった。
<利下げへの転換、遅かったとの批判> 続く...












