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アングル:強制収容から75年、当時の苦しみを伝える日系米国人
2017年2月20日 / 06:35 / 7ヶ月前

アングル:強制収容から75年、当時の苦しみを伝える日系米国人

[ニューヨーク 17日 ロイター] - 第2次世界大戦中の1942年、家族と共に米カリフォルニア州ロサンゼルスの自宅から、人里離れた同州の砂漠地帯にある日系人収容所に送られたとき、ジョイス・ナカムラ・オカザキさんはまだ7歳だった。

──コラム:日系米国人が「人間以下の扱い」を受けた時代

オカザキさんは、マンザナー強制収容所での簡易ベッドがひしめき合う狭い部屋や、プライバシーのないトイレで感じた恥ずかしい気持ちを思い出すという。

「ナチスドイツのように、私たち日系アメリカ人は強制収容所に入れられた」と82歳のオカザキさんは語る。

収容された日系人が殺されたり、拷問されたりすることはなかったと認めるオカザキさんだが、「有刺鉄線のフェンスに近づけば、常に危険にさらされる状況だった」と話す。

75年前の2月19日、当時のルーズベルト米大統領は日系米国人の強制収容を認める大統領令に署名した。

日系人が敵国の支持者かもしれないという不安から、約12万人の日系人が10カ所の収容所に送られた。これより3カ月前、日本は米ハワイ州真珠湾に奇襲攻撃を行い、米国は第2次世界大戦に参戦していた。

当時の写真は、追放と自由の喪失を映しだしている。ジャケットやネクタイを着用しきちんとした身なりの男性たちが、道路でかばんや袋をかたわらに列をなし、収容所に向かおうとしている姿や、赤ちゃんを抱いた母親が荷物の上に座っている様子、また埃っぽい荒れ果てた収容所がカメラに収められている。

日系人強制収容から75年を記念するため、首都ワシントンのスミソニアン国立アメリカ歴史博物館では、当時の写真や資料を展示する1年間の特別展が17日始まった。写真の多くは、アンセル・アダムスやドロシア・ラングといった著名写真家によるものだ。

マンザナー強制収容所で、オカザキさんが姉妹と母親と一緒に写っている写真が米議会図書館のアーカイブに保管されている。

オカザキさんは常に恐怖と隣り合わせだった収容所での生活を思い出し、「有刺鉄線に囲まれ、監視塔には武装した見張りが立っていて恐ろしい」と語った。

一部の日系人は、当時の差別的な扱いと、トランプ大統領が先月署名したイスラム圏7カ国からの入国制限令との間に類似点を見いだしている。

 2月17日、第2次世界大戦中の1942年、家族と共に米カリフォルニア州ロサンゼルスの自宅から、人里離れた同州の砂漠地帯にある日系人収容所に送られたとき、ジョイス・ナカムラ・オカザキさん(写真)はまだ7歳だった。写真は、同州の全米日系人博物館で18日撮影(2017年 ロイター/Lucy Nicholson)

「現在のイスラム圏に対する入国制限令への反応は、75年前に私の祖父母や両親に対して行われた強制収容への反応と同じものだろう」と、日系のマーク・タカノ下院議員は先月議会で語った。同議員の家族は第2次世界大戦中に強制収容所に入れられていた。

<監視下の移動>

元収容者のカンジ・サハラさんは、ロサンゼルスの自宅からわずか30分程度離れたサンタアニタパーク競馬場に設けられた収容所に到着したときのことを語ってくれた。サハラさんは当時8歳だった。

「地元のキリスト教会に送られると聞いていた。私たちを乗せるバスが10台か15台、待機していた」と、現在82歳のサハラさんは言う。「バスを降りると、駐車場に馬小屋とバラックが延々と並んでいるのが見えた。そこが私たちの住む場所だった」

同競馬場は収容された1万8000人以上の一時的な「集合センター」だった。そのなかには、テレビドラマ「スタートレック」シリーズで有名となる俳優のジョージ・タケイさんも含まれていた。

6カ月後、サハラさんと家族は定住先となるアーカンソー州ジェロームの収容施設に移送された。今回は列車での移動だった。

「各車両の終わりには見張りがいて、日よけは下ろされていた」と、当時の移動についてサハラさんは語る。

しかし、ジェロームでの暮らしは改善されたという。

「まず気づいたのは、1つのバラックに住む人数の違いだった。サンタアニタではほとんど動けないくらい詰め込まれていた」とサハラさん。「『ほら、私たちの地位が上がっている』と言ったものだ」

サハラさんと家族は1945年、サハラさんが11歳のとき、収容所を出ることを許された。オカザキさん一家は1944年7月に収容所を去った。自由を再び得るには、米国政府に忠誠の誓いを立てる必要があった。

オカザキさんは「抑留」という言葉を嫌い、「監禁」あるいは「収監」という言葉を好む。「私は市民であるから、捕虜ではない。抑留は、戦時中の敵国人を指している」とオカザキさんは言う。

1988年、当時のレーガン大統領は生存する元収容者に補償を行う法案に署名。元収容者は政府から2万ドル(約230万円)の補償金と謝罪を受けた。

(Melissa Fares記者 翻訳:伊藤典子 編集:下郡美紀)

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