Reuters logo
オピニオン:野心を失ったTPP=山下一仁氏
2015年8月4日 / 10:08 / 2年前

オピニオン:野心を失ったTPP=山下一仁氏

[東京 4日] - 7月末の閣僚会合で大枠合意が見送られた環太平洋連携協定(TPP)。正念場となる次回会合は8月末までに開かれる予定だが、このまま合意に向かったとしてもレベルの低い協定になる恐れがあると、キヤノングローバル戦略研究所の山下一仁・研究主幹は分析する。

同氏の見解は以下の通り。

<レベルの低い協定になる恐れ>

今回のTPP閣僚会合が大枠合意なく終わった理由について、法外な要求をしたとしてニュージーランドがやり玉に挙げられていることは、野心を失ったTPPの本質をよく表していると思う。

ニュージーランドは、シンガポール、チリ、ブルネイとともにTPPのベースとなった自由貿易協定(P4)の中核メンバーであり、規制緩和や農業の競争力強化などを通じた自由貿易推進にひときわ熱心な国である。特に酪農分野に強く、乳製品の輸出量は世界最大を誇る。今回のTPP閣僚会合でも、酪農分野の関税の大幅な引き下げや輸入枠の拡大を求めて譲らなかったと報じられている。

同国のこうした交渉姿勢に対して、甘利明TPP担当相は名指しこそ避けたもの、「ある国が過大な要求を他国に求めている」として批判したという。しかし、果たしてニュージーランドの要求は本当に行き過ぎたものだったのだろうか。

そもそもTPPについては、農作物を含めてすべての関税を撤廃するというレベルの高い協定を目指していると報道されてきたはずだ。米国でもオバマ大統領が「21世紀型の協定」と呼んだことは記憶に新しい。

しかし、現実には関税や貿易ルールなど多方面で妥協が図られ、当初予定されたものとは程遠いレベルの低い協定になりつつあるようだ。レベルの低いものとなってしまった大きな原因は、日本が農産物について関税撤廃に応じなかったため、米国も自動車について保護的な態度をとることになったからである。

また、日米の農産物と自動車の協議の進展を各国とも待っていたので、ニュージーランドに対して最後の段階になって無理な要求をするなという日米の批判は当たらない。

<関税ゼロでも日本の農業は壊滅しない>

報道で伝わってくる交渉内容を見る限り、TPPは日本経済の活性化をもたらすカンフル剤とはなりそうもない。既得権益によって盛んに喧伝されているような「痛み」もなければ、消費者が得られる明白な「メリット」も期待できないだろう。

例えば、豚肉については10年程度かけて安い肉にかかっているキログラムあたり482円の現行関税を50円程度まで下げ、高い肉にかかっている4.3%の関税を撤廃すると報じられている。しかし、実際には業者は高級・低級の部位をミックスし、関税が最も安くなる方法で輸入しており、関税がゼロになったとしても影響はほとんどない。

また、牛肉については、15年程度かけて38.5%の現行関税を9%に引き下げるというが、これによる影響もほとんどない。1991年に輸入数量制限を廃止し関税のみの制度に移行した際の当初税率は70%だった。税率がその半分近くに引き下げられたにもかかわらず、和牛の生産はむしろ大幅に増えている。さらに、2012年秋以降、円は対ドルで50%以上も下落しており、関税を撤廃しても、日本産牛肉の価格競争力は維持される。

一方、コメについては、米国が無税の輸入枠を拡大するよう求めており、10万トン前後での攻防になっているという。しかし、日米のコメの内外価格差は逆転し、現在の10万トンの主食用輸入枠は昨年度12%しか消化されない状況になっており、輸入枠を拡大しても輸入は増えない。

日本政府が米価を上げれば輸入は行われるが、これまでも政府は輸入枠と同量かそれ以上の外米を市場から買い入れ、 家畜のエサや米菓用などに振り向け、国内の主食コメ市場に影響を与えないようにしてきた(つまり10万トン輸入しても10万トン市場から買い入れて隔離してきた)のであり、米価の低下を招くことにはならない。

 8月4日、キヤノングローバル戦略研究所の山下一仁・研究主幹は、ニュージーランドの通商交渉姿勢に対する一部批判はTPPの本質を表していると指摘。写真は7月31日、TPP閣僚会合後に会見に臨む交渉参加12カ国の担当閣僚。米ハワイ州マウイ島で撮影(2015年 ロイター/Marco Garcia)

要するに、日本の農業に影響はほとんどないということだ。言い換えれば、影響を阻止する姿勢が継続されるため、TPPでは国内農業の合理化も国際競争力の育成も望めないということである。

<コメ輸入の政府保証をやめるべき>

むろん、こうした状況に向かいつつある責任を日本政府側だけに求めるのも間違いだ。例えば、冒頭で述べたニュージーランド批判の背景には、自国の乳製品を守りたい米国側の意思も見え隠れする。

また、コメ輸入枠に関する米国の対日要求が、報道の通り、日本政府による買い取り保証を求めているとすれば、それもまた自由貿易推進の理想に反するものである。

輸入枠は本来、関税を支払わなくて良いというだけで、全量輸入が保証されているわけではない。だが、日本の場合はこれまでも律儀に全量消化してきた経緯がある。これは、日本のコメ輸入が「国家貿易企業」による輸入だからだ。ここでいう国家貿易企業とはすなわち農林水産省であり、いわば国が約束したものを国が輸入するのは当然だという「買い取り約束」を実行しているわけだ。

 8月4日、キヤノングローバル戦略研究所の山下一仁・研究主幹は、7月末の環太平洋連携協定(TPP)閣僚会合で法外な要求をしたとしてニュージーランドがやり玉に挙げられていることは、野心を失ったTPPの本質をよく表していると指摘。提供写真(2015年 ロイター)

ただし、これまではトータルの輸入枠77万トンは全量輸入してきたが、昨年度の消化率に見られるように、そのうちの10万トンの主食用輸入枠については全量輸入してこなかった(前述したように、代わりに家畜のエサや米菓用などの輸入を増やし、全量消化した)。

自由貿易推進を追求するならば、日本はこの国家貿易企業を廃止して、民間に買い取りの判断を委ねれば良い。しかし、現在の国内米価は円安効果もあってカリフォルニア米より安いので、いくら関税ゼロの輸入枠を設定しても、外米は輸入されない。そこで、米国は国家貿易企業の存続を前提として、日本政府による買い取り保証を求めているのだろう。しかし、高くて買う必要もないものを買わされるというのは、属国のような扱いに他ならない。

ちなみに日本では、農林水産省がコメに加えて麦も、国家貿易企業として買い取り約束を実行している。小麦の場合は、米国から約6割、カナダとオーストラリアからそれぞれ約2割購入という事実上の管理貿易が長く行われている。

日本側からすれば、農林水産省の組織を守るという以外に同制度を維持することにメリットはないわけだから、むしろこの制度を撤廃する方向で交渉を進めるべきではないか。国家貿易企業が廃止されれば、トータルの輸入枠77万トン全体についても買い取り約束の前提がなくなり、納税者の負担も減る。

さらに欲を言えば、前述したように、農業分野における関税撤廃の影響はすでに軽微か無いに等しいわけだから、関税ゼロの方向で交渉を進め、その代わりに米国側に自動車やその部品の関税も即時撤廃するように求めていくべきではないか。

私自身、かつて農林水産省の交渉官として多角的貿易交渉(ウルグアイラウンド)に携わっていたので、多国間協議の難しさは熟知しているつもりだ。だが、妥協点のレベルは下げれば際限がなくなる。まさかとは思うが、仮にニュージーランドが自由貿易推進派ゆえにTPPの枠組みから弾かれるようなことがあれば、それは本末転倒の極みに他ならない。

(聞き手:麻生祐司)

*山下一仁氏は、キヤノングローバル戦略研究所の研究主幹、経済産業研究所の上席研究員(非常勤)。1977年、東京大学法学部卒業後、農水省入省。ウルグアイ・ラウンド交渉などの国際交渉に参加。農水省の国際部参事官、農村振興局次長などを経て2008年に同省を退職。東京大学博士(農学)、ミシガン大学行政修士・応用経済学修士。

*本稿は、山下一仁氏の個人的見解に基づいて書かれています。

*このドキュメントにおけるニュース、取引価格、データ及びその他の情報などのコンテンツはあくまでも利用者の個人使用のみのためにコラムニストによって提供されているものであって、商用目的のために提供されているものではありません。このドキュメントの当コンテンツは、投資活動を勧誘又は誘引するものではなく、また当コンテンツを取引又は売買を行う際の意思決定の目的で使用することは適切ではありません。当コンテンツは投資助言となる投資、税金、法律等のいかなる助言も提供せず、また、特定の金融の個別銘柄、金融投資あるいは金融商品に関するいかなる勧告もしません。このドキュメントの使用は、資格のある投資専門家の投資助言に取って代わるものではありません。ロイターはコンテンツの信頼性を確保するよう合理的な努力をしていますが、コラムニストによって提供されたいかなる見解又は意見は当該コラムニスト自身の見解や分析であって、ロイターの見解、分析ではありません。

私たちの行動規範:トムソン・ロイター「信頼の原則」
0 : 0
  • narrow-browser-and-phone
  • medium-browser-and-portrait-tablet
  • landscape-tablet
  • medium-wide-browser
  • wide-browser-and-larger
  • medium-browser-and-landscape-tablet
  • medium-wide-browser-and-larger
  • above-phone
  • portrait-tablet-and-above
  • above-portrait-tablet
  • landscape-tablet-and-above
  • landscape-tablet-and-medium-wide-browser
  • portrait-tablet-and-below
  • landscape-tablet-and-below