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視点:TPP農業対策が不要な訳=山下一仁氏
2016年1月13日 / 02:40 / 2年前

視点:TPP農業対策が不要な訳=山下一仁氏

[東京 13日] - 2015年に合意した環太平洋連携協定(TPP)は、参加国への市場アクセス拡大など日本側にメリットも少なくないが、国内農業に対する影響は皆無に等しく、期待された農政改革には全くつながらないとキヤノングローバル戦略研究所の山下一仁・研究主幹は指摘する。

にもかかわらず、農業分野で大規模なTPP対策が打たれようとしているのは、ウルグアイラウンドと同様に選挙対策であり、いたずらに国民負担を増やすだけだという。

同氏の見解は以下の通り。

<TPPによる農業への影響は杞憂>

環太平洋連携協定(TPP)の合意内容は、他国市場へのアクセスの拡大や広範なルール作りなど評価できる部分も少なくない。だが、21世紀型の自由貿易協定(FTA)という前宣伝を信じて、農業の構造改革加速を期待していた立場からすれば、落胆させられる結果となった。

日本側がTPP交渉に際し農産物関税を守ることに固執してしまったのは、重ね重ね残念でならない。農業関係者は、重要5品目(コメ、麦、牛肉・豚肉、乳製品、サトウキビなどの甘味資源作物)のうち、約3割のタリフライン(関税区分の細目)で関税削減・撤廃が約束されたことについて、聖域を守るとした国会決議違反だと批判しているようだが、そもそも農林族議員の集まりである衆参農林水産委員会の決議があるだけであり、本会議決議のような国会全体の意思表明などは存在しない。

また、農産物の関税については、TPP交渉以前からすでに全体の24%の品目が税率ゼロ、48%が同20%以下となっている。この3年間で為替レートが50%も円安になっていることを考えれば、いますぐ関税が全廃されても実は騒いでいるほどの影響は生じない。

このことは、16年かけて現行の38.5%から段階的に9%まで従価税(取引価格に基づく関税)が削減されることになった牛肉や、10年かけて4.3%の従価税が撤廃されることになった豚肉についても言える。しかも、牛肉・豚肉とも輸入急増時には関税を上げるというセーフガード付きだ。

また、バター・脱脂粉乳については、生乳換算で計7万トンの追加輸入枠が設定され、枠内税率の段階的削減も決まったが、枠外の通常関税は維持され、農林水産省所管の独立行政法人による国家貿易制度もそのままとなった。

コメについても、米国とオーストラリアに対して新たな輸入枠がそれぞれ設定されるなどしたが、枠外の通常関税と国家貿易制度は同様に維持され、輸入枠についても輸入義務は課されなかった(輸入機会を提供するだけで輸入義務ではない)。

コメ関係の品目で関税削減・撤廃が約束されたのは、米粉(こめこ)調整品や穀物加工品(粟粥)などに限られている。砂糖についても、無関税・低関税の輸入枠が設定されたのは、チョコレート菓子などの調整品。輸入粗糖への課徴金を財源とする給付金で国産糖を支援する「糖価調整制度」も維持された。総じて見て、日本政府の交渉担当者はうまくやったというのが、大多数のTPP反対派の本心なのではないか。

ただ、こうした交渉結果が、長い目で見て、国民のためになったかと言えば、答えはノーだ。

過保護農政の肯定派は、円安は一時的なものであり、関税を撤廃すれば食料安全保障が脅かされ、農業の多面的機能(洪水の防止、水資源の涵養、生態系の維持など農産物の生産以外に果たす機能)が損なわれるというが、人口減少で縮小する国内市場において、高い関税(そして減反政策などの高価格維持政策)で守られている限り、収益力・イノベーション力の向上は進まず、じり貧になっていくだけである。

その先にあるのは、消費者(納税者)負担の増大と日本の農業の緩慢な死だ。市場原理にさらされ、価格競争力を磨き、世界の市場を開拓していかなければ、多面的機能も食料安全保障もやがて持続不可能になる。

しかし、今回のTPP交渉に際しても、そうした「攻めの農業」への転換は図られなかった。メガFTAをテコに、将来とも消費者に食料を安定的に供給できる「健全な農業」を実現するチャンスが失われてしまった。

<繰り返されるウルグアイラウンド対策の過ち>

何より問題なのは、TPPは農業に影響がないにもかかわらず、巨額の対策予算が組まれようとしていることだ。昨年12月18日に閣議決定された2015年度補正予算案には、TPP対策費として3403億円が盛り込まれているが、このうち3122億円が農水分野だ。政府が11月にまとめた「TPP関連政策大綱」に基づく施策として、担い手確保や収益力強化、イノベーション促進など様々な名目で、基金化など新規事業が打ち出されている。

こうした動きを見ると、1993年末の「関税及び貿易に関する一般協定(GATT)」ウルグアイラウンド農業交渉合意後に起きたことを思い出す。日本はコメの輸入数量制限を維持する代償としてコメについて他の品目より大きな輸入枠(最低輸入機会、ミニマムアクセス)を受け入れた。

政治的には蜂の巣をつつくような騒ぎとなったが、当時の細川内閣(非自民・非共産連立政権)は輸入量と同量のコメをエサ米や援助用に処分し、国内のコメの需給には何ら影響を与えないようにした。影響がないので対策も必要なしとされた。

ところが、その後自民党が政権に復帰すると、6兆円強の巨額予算が対策費として投じられることとなった。影響がないのに対策が打たれ、使い道に困って、はてはその一部が温泉施設建設などにも振り向けられたことはよく知られている話だ。

今回は特に畜産農家に対するバラマキが行われようとしている。政府のTPP関連政策大綱には、牛肉・豚肉の生産者支援の題目で、赤字経営になった場合の補てん割合(対赤字)を8割から9割に引き上げることが盛り込まれた。

また、乳製品の分野では、バターやチーズ向けの生乳に対する現行の補助金制度を拡充し、菓子などに使われている「生クリーム等」向けも支給対象に加えるという。前述したバターや脱脂粉乳のTPP輸入枠拡大が理由のようだが、「生クリーム等」自体が自由化されるわけではない(関税は維持され、輸入枠も設定されない)。

「生クリーム等」には飲用牛乳の一種である成分調整牛乳も含まれる。それも補助金の支給対象となるようなことがあれば、成分調整牛乳の生産が拡大して、財政負担がますます増えることにもなりかねない。

本来なら影響があるTPPをまとめて、影響があるから国内農業の合理化に向けて何をすべきか議論するのが正しい筋道のはずだ。ところが、影響がないのに対策が打たれるという、まるでウルグアイラウンド後と同じことが起ころうとしている。

こうした過保護農政の「とばっちり」を受けたのは自動車産業だろう。日本側が農業分野での関税撤廃の例外を多く求めてしまったため、工業品分野での米国側の譲歩を引き出すことができなかった。

米国は輸入車に課している2.5%の関税について、25年後になってやっと撤廃するという。実は米国と韓国の間ではすでにFTAが発効しており、16年に韓国車に対する輸入関税が撤廃される。2.5%の関税は決して小さくない。日本車メーカーの多くが米国に輸出しているのは価格の高い高級車だからだ。

ちなみに、TPP発効は17年以降になる見通しだ。そして、合意内容の見直しに関する再協議は協定発効から7年後と規定されている。それにわずかな望みをつなぐしかない。

(編集:麻生祐司)

TPP(環太平洋連携協定)批准に向けた最大の難関とされる米議会承認について、キヤノングローバル戦略研究所研究主幹の山下一仁氏は、在任中のレガシー(政治的遺産)作りを急ぐオバマ大統領が、2016年の米大統領選挙後の政治空白を狙って批准法案を通してくる可能性は十分あると指摘した。

*本稿は、山下一仁氏へのインタビューをもとに、同氏の個人的見解に基づいて書かれています。

*山下一仁氏は、キヤノングローバル戦略研究所の研究主幹、経済産業研究所の上席研究員(非常勤)。1977年、東京大学法学部卒業後、農水省入省。ウルグアイラウンド交渉などの国際交渉に参加。農水省の国際部参事官、農村振興局次長などを経て 2008年に同省を退職。東京大学博士(農学)、ミシガン大学行政修士・応用経済学修士。

*本稿は、ロイター日本語ニュースサイトの特集「2016年の視点」に掲載されたものです。

*本稿は、筆者の個人的見解に基づいています。

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