December 26, 2017 / 4:33 AM / 7 months ago

視点:教育無償化に見るエビデンス軽視の危うさ=中室牧子氏

中室牧子 慶應義塾大学准教授

 12月26日、中室牧子・慶應義塾大学准教授は、安倍政権が進める教育無償化策は主に2つの点について議論が不十分だと指摘。写真は東京大学で2016年7月撮影(2017年 ロイター/Toru Hanai)

[東京 26日] - 安倍政権が進める教育無償化策は、主に2つの点について議論が不十分だと中室牧子・慶應義塾大学准教授は指摘する。

1つは、無償化策が経済格差と教育格差の世代間連鎖を断ち切る効果を本当に持ち得るのかという視点。もう1つは、無償化策で需要サイドに働き掛ける一方で、いかにして幼児教育や高等教育の「質」を担保するのかという供給サイドの視点だという。

これらの点について、議論を尽くし、高い費用対効果が見込まれる施策を行うためには、海外で浸透しつつある「科学的根拠(エビデンス)に基づく教育政策」へのシフトが急務だと説く。

同氏の見解は以下の通り。

<高所得者優遇になる可能性>

中室牧子氏

政府は2017年12月8日、幼児教育無償化などを盛り込んだ2兆円規模の新しい経済政策パッケージを閣議決定した。幼児教育・保育に関しては、3―5歳児は、親の所得を問わず、認可保育所や幼稚園、認定こども園の費用を無償化(認可外施設については2018年夏までに結論)。0―2歳児の保育は、住民税非課税世帯(年収約250万円未満)を対象に無償化するという。2019年4月から一部スタートし、2020年4月には後述する高等教育向けを含めて全面的に実施すると報じられている。

この決定を聞いて、私は複雑な思いだ。確かに、消費増税の使途を見直し、一部を幼児教育に振り向けるという安倍政権の決断そのものは正しいと思う。教育経済学では、教育支出を投資として捉え、投資によって子供が将来得る収入がどれほど大きくなるかをリターン(収益率)として表すが、この収益率が最も高いのが幼児教育であり、学齢が進むにつれて下降することが海外の研究で知られている。翻って、日本の就学前児童1人当たり公財政教育支出の対国内総生産(GDP)比は8.2%と、先進国中で最下位。日本政府が幼児教育に十分な投資を行ってこなかったことは明白だ。

ただ、今回の無償化策は、主に2つの点において、議論が尽くされていないと考える。まず、3―5歳児について、原則一律の無償化で本当に良いのかということだ。経済的に困難な状況にある世帯の子供を教育面で金銭的に支援するというのが政策の主眼ならば、すでに存在する児童扶養手当の引き上げなどで十分対応できる可能性がある。

何より、現行の制度では、保育園と公立幼稚園は親の所得に応じた応能負担となっている。それを3―5歳児について一律無償化するとなれば、最大の恩恵を受けるのは高所得者だ。無償化で浮いた分を子供の塾や習い事などに振り向けられるので、親の社会的・経済的地位による教育格差を是正するどころか、むしろ拡大してしまう恐れがある。

<保育の質低下を招く恐れ>

第2に、幼児教育の「質」をどのようにして担保するのかという供給サイドの議論が不十分な点が気掛かりだ。言うまでもなく、日本の幼児教育政策における喫緊の課題は、「保育園落ちた日本死ね」という匿名ブログが話題になった通り、供給が質量ともに不足している状況をいかに解消するかという点であるはずだ。

むろん、待機児童問題が深刻な地域では、無償化を視野に保育園などが急増するシナリオもあり得るかもしれない。ただ、保育士不足が深刻化しているなかでの「量」の拡大は、保育の「質」の低下を招き、長期的にマイナスに作用する恐れがある。

私が2015年に慶應義塾大学文学部の藤澤啓子准教授と行った共同研究では、国際的な評価項目で計測した保育の質は子供の発育状態と強く相関していることが分かっている。保育士の経験年数の長さ、出生時体重も、子供の発育を規定する要因だ。

不足する保育士の供給をどのように増やすのか。その際、質をいかにして担保するのか。保育士の在勤年数が長くなるために必要な待遇改善とは何か。出生時の体重に影響を与える母子の出産前後の健康状態・精神安定を図るためには何をすれば良いか。需要喚起策である無償化を進める前に議論を尽くすべきことはあまりに多い。

海外に目を転じれば、ニュージーランドでは、当局が全国の保育施設の質を定期的に評価、その結果をウェブ上で公開している。フィンランドでは、公的機関が出生時体重を下げないように母親の健康管理にまで介入している。一足飛びに同じことはできないにせよ、保育の質に関する情報を行政レベルできちんと把握し、政策にどう反映するかといった視点での議論が必要なのではないか。

<「日本は違う」に説得力なし>

高等教育の無償化についても、同様のことが言える。前述した政策パッケージには、返済が不要な給付型奨学金の拡充に加えて、住民税非課税世帯の学生に対する国立大学の入学金・授業料免除などが盛り込まれた(私立大は上限あり)。所得制限を設けたことは正しいが、格差の連鎖解消を目指すならば、親の所得や資産に応じて高等教育の授業料を決める応能負担をもっと徹底したほうが効果的ではないだろうか。

また、給付型奨学金は制度としては私も正しいと思うが、2017年度に試行が始まったばかりで効果測定もできていない段階において、大幅な拡充を決めるという政治姿勢が妥当なのかは疑問だ(そもそも十分な効果測定の仕組みが整っているか疑問だ)。

いずれにせよ、高等教育においても重要なのは、幼児教育と同じく、大学や専修学校などの「質」をどう担保するかという供給サイドに働き掛ける国家の教育投資戦略であるはずだ。国際比較において日本の大学の教育力や研究力に対する評価が低迷している状況を考えれば、なおさらだろう。

思うに、こうしたちぐはぐな政策がまかり通ってしまうのも、日本では「経験則」に基づく議論ばかりが先行し、「科学的根拠(エビデンス)」が軽視されているからではないか。欧米では、エビデンスに基づく教育政策運営は、ほとんどスタンダードとなりつつある。例えば、米国ではブッシュ政権下の2002年に「落ちこぼれ防止法」(No Child Left Behind Act)と「教育科学法」(Education Sciences Reform Act)が成立し、自治体や教育現場にはエビデンスに基づいた意思決定が求められている。

実は、そうした海外のエビデンスに着目した研究によれば、日本が実施した「子ども手当」のような現金給付型支援は、費用対効果がゼロか、極めて低い。むろん、海外のエビデンスがそのまま日本に当てはまるかという「外的妥当性」の問題もあるが、自らのエビデンスなしに「日本は違う」と言い張っても説得力はない。

ちなみに、私の研究室は2017年、埼玉県和光市の協力を得て、同市内の保育所の質を定量的に検証するプロジェクトを開始した。保育の質の違いが子供の認知能力(学力、知能指数など)や非認知能力(忍耐力、自制心、社会性など)にどのような影響を与えるのか、時間をかけて子供の発育状況を追跡調査し、教育政策決定の判断材料となるエビデンスを積み重ねていく計画だ。

教育に限ったことではないが、日本の厳しい財政状況を考えれば、高い費用対効果が期待できる政策を重点的に実行するのは自明の理である。次世代、すなわち子供たちにツケを回さないためにも、教育無償化ありきで政策を組み立てるのではなく、エビデンスに基づく議論が必要だ。

*本稿は、特集「2018年の視点」に掲載された中室牧子氏へのインタビューです。同氏の個人的見解に基づいています。

(聞き手:麻生祐司)

*中室牧子氏は、慶應義塾大学総合政策学部准教授。1998年慶應義塾大学卒業後、日本銀行、世界銀行を経て、米コロンビア大学博士課程修了。2013年から現職。専門は教育経済学。

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