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アングル:音楽が死んだ日、アフガン「女性オーケストラ」の沈黙

[3日 ロイター] - タリバンが首都近郊に迫ったとの知らせを聞いたとき、ネギン・クパルワクさん(24)は、カブールの自宅にいた。

9月3日、 タリバンが首都近郊に迫ったとの知らせを聞いたとき、ネギン・クパルワクさんは、カブールの自宅にいた。写真は2016年4月、カブールのアフガニスタン国立音楽学校で練習するオーケストラのメンバー(2021年 ロイター/Ahmad Masood)

アフガニスタンで名を馳せた女性だけのオーケストラの「顔」だった指揮者のクパルワクさんは、すぐさまパニックに陥った。

前回タリバンが政権の座にあったとき、彼らは音楽を禁じ、女性の労働も認めなかった。そして、彼らが掲げるイスラム主義の理念を裏切ったとみなす者を標的として攻撃した。

クパルワクさんは室内を駆けずり回り、腕の露出を隠すためのローブを手に取って、装飾を施した小さなドラムセットを隠した。それから、かつて好評を博した演奏を伝える写真や新聞記事の切り抜きを集め、ひとまとめにして燃やした。

「とても恐かった。まるで自分の人生のすべての記憶が灰になってしまったように思えた」と、米国に逃れたクパルワクさんは語る。タリバンがあっというまにアフガニスタンを制圧し、数万人の人々がクパルワクさんのように国を脱出した。

女性だけのオーケストラは、ペルシャの音楽の女神にちなんで「ゾフラ」と名付けられ、主に13歳から20歳までのカブールの孤児院出身の女性で構成されていた。

2014年の結成以来、このオーケストラは、タリバン政権崩壊以来の20年間に多くのアフガニスタン人が享受するようになった自由を国際社会に向けて象徴する存在だった。その一方で、きわめて保守的なムスリム中心のアフガニスタンでは、国内の一部からの敵意や脅威にも晒され続けてきた。

鮮やかな赤のヒジャブをまとい、ギターに似た「ラバブ」などの民俗楽器でアフガン伝統音楽と西洋のクラシック音楽とを融合した曲を奏でるオーケストラは、シドニーオペラハウスやスイス・ダボスの世界経済フォーラムなどで聴衆を魅了した。

現在、オーケストラがかつて活動したアフガニスタン国立音楽学校(ANIM)はタリバンの武装兵によって封鎖され、国内の一部地域ではすでにタリバン勢力がラジオ局に音楽の放送停止を命じている。

「アフガニスタンが石器時代に戻るとは私たちも予想していなかった」と、ANIMの創設者であるアフマド・サルマスト氏は語る。ゾフラはアフガニスタンにおける自由、女性のエンパワーメントを象徴するものであり、その楽員らは「文化使節」として貢献したと同氏は語る。

オーストラリアでインタビューに応じたサルマスト氏は、ロイターに対し、タリバンはスタッフを音楽学校から締め出したと語った。

「ゾフラの少女たちや、学内の他のオーケストラや楽団メンバーは、生命の危険を感じて身を隠している」と彼は語る。

タリバンの広報担当者に音楽学校の現状について質問を送ったが、回答は得られていない。

西側諸国部隊のアフガニスタン撤退を受けて実権を奪還して以来、タリバンは国民や国際社会に対し、彼らが認める諸権利について安心させようと努めてきた。

タリバンは、女性の労働や教育と同様、文化活動についても、シャリーアと、アフガニスタンにおけるイスラム教と文化の慣習の範囲内で許可されるとしている。

<取り残された楽器>

クパルワクさんが音楽の思い出を灰にした8月15日、タリバンは抵抗に遭うこともなくカブール市内に入った。その日、クパルワクさんの仲間たち数人は、10月に予定されていた大規模な国際ツアーに備え、ANIMでの練習に参加していた。

午前10時、学校の警備員がリハーサル室に駆け込み、タリバンが迫ってきていると音楽家たちに伝えた。サルマスト氏によれば、彼女たちは脱出を急いだため、首都の街路で持ち歩くには重すぎる、あるいは目立ちすぎる楽器を残してきたという。

当時オーストラリアにいたサルマスト氏は、身の危険を感じ助けを求める生徒たちから多くのメッセージを受信したという。部下の職員からは、タリバンがサルマスト氏を探しており、すでに何度も家宅捜索を行っているため、帰国しないようにとの進言があったという。

アフガニスタンの演奏家たちが直面する危険が血なまぐさい形で表面化したのは、2014年のことだ。カブールのフランス系学校で行われていた演奏会で自爆テロが発生し、聴衆のひとりだったサルマスト氏も傷を負った。

タリバンの反政府勢力が実行を認め、自爆テロの標的となった演奏は「イスラム的価値観」への侮辱であると語った。

西側諸国に支援された政権がカブールにあった20年間は、市民的自由という点ではタリバン時代よりもはるかに寛容だったが、その間も「女性だけのオーケストラ」という理念に対する反発はあった。

ゾフラの団員はかつて、音楽をやっていることを保守的な家族に隠さざるを得なかったり、暴言を浴びたり殴られそうになったした経験を語っていた。若いアフガニスタン人の間にも反感はあった。

クパルワクさんは、カブールでのある出来事を覚えている。少年の一団が、オーケストラの演奏をじっと眺めていた。

帰り支度をしていると、少年たちが仲間うちで交わす言葉が聞こえてきた。「音楽を演奏するなんて恥知らずだ」「家族はどうしてあれを放っておくのか」「女子は家にいるべきだ」と彼らは口にしていたという。

<恐怖に震える>

「タリバンのもとでの生活は、陰口を叩かれるよりはるかに酷いだろう」と、ゾフラでチェロを担当していたナジラ・ワリさん(21)は語る。

ワリさんは、タリバンによるカブール奪還の際に米国留学中だった。母国のオーケストラ団員たちに連絡したところ、彼女らは発見されるのを恐れて楽器を破壊し、ソーシャルメディアのプロフィールを消去していたという。

「仲間がどうなるか不安でドキドキしている。向こうにはタリバンがいて、次の瞬間に彼女たちに何が起こるか予想もできない」と彼女は語る。

「このままの展開が続けば、アフガニスタンから音楽が消えてなくなるだろう」

タリバンの首都到達から数日後、クパルワクさんはカブールからの脱出に成功し、アフガニスタン人女性ジャーナリスト数人と共に空路で退避することができた。

クパルワクさんの若さでは、かつてのタリバン支配下での生活を十分には思い出せない。だが、まだ幼い少女の頃、学校に通うために首都に来たときのことは今も記憶に焼き付いている。

「そこで見たものは、廃墟と、倒壊した家、壁に残る弾痕ばかりだった。覚えているのはそれだけ。そして、いまタリバンの名を聞いて心に浮かぶのは、そのイメージだ」と彼女は語る。

彼女は音楽学校で慰めを見出し、ゾフラの団員の中で「家族よりも親しい女友達」を見つけた。

「そこにはいつも音楽があり、悪い日など1日もなかった。色彩豊かで、美しい声にあふれていた。今は沈黙があるだけだ。そこでは何も生まれない」

(翻訳:エァクレーレン)

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