[8日 北京 ロイター] - 紅衛兵の集団に手を振る毛沢東の姿を北京で初めて目にしたときのことを語りながら、王士吉氏は目に涙を浮かべた。毛沢東が階級闘争を宣言して「文化大革命」を開始した1966年のことだ。
「あのとき私は、毛主席のために自分の人生を捧げようと決意した」と元兵士の王氏はロイターに語った。「紅衛兵として生き、紅衛兵として死ぬこと、常に紅衛兵であり続けることを私は誓った」
王氏によれば、汚職から貧富の格差拡大に至るまで、現在中国が抱える問題はすべて、1970年代終盤に、毛沢東主席(1893─1976年)の死後に鄧小平が主導した歴史的な経済改革にまで遡ることができるという。王氏はこれを「修正主義」と呼ぶ。
「こうした悪影響を根絶するには、今のような民営化をやめるしかない」と王氏は言う。
中国共産党の内外を問わず、過去30年間の市場主義改革は行き過ぎであり、貧困などの社会格差や汚職を生んでいると考える左派(保守派)勢力にとって、毛沢東は有力なシンボルとなっている。
こうした人々は、9日に没後40年を迎える毛沢東を礼賛することで、現在の指導部と彼らが推進する市場志向政策に対する圧力をかけようとすることもある。
毛沢東は、現代中国の建国者として中国共産党から公式な敬意を捧げられており、人民元紙幣にはすべて毛沢東の肖像が印刷されている。だが、自身のイメージを現代化しようと、共産党が毛沢東の遺産を軽視したがっているのではないかと危ぶむ声もある。
当局者が否定しているにもかかわらず、左派過激主義のウェブサイトには、北京の中心部・天安門広場にある観光名所の毛主席記念堂が閉鎖、あるいは別の場所に移転されるのではないかという憶測が周期的に広がっている。
1月、河南省において、高さ36.6メートルの金色の毛沢東像が正式に登録されたものではないとして当局により撤去されたことに、毛沢東支持者たちは激怒した。
王氏は、毛沢東の歴史上の地位が無視もしくは過小評価されているのではないかと懸念し、先月「中国保衛毛沢東人民党(毛沢東を保衛する人民党)」と称する政党を立ち上げた。中国共産党に対する露骨な挑戦である。そのうえ彼は、「毛継東」(毛の遺産を継ぐ者の意)というペンネームまで使っている。
自身の権威に対する挑戦を決して認めない中国共産党にとって、これらの政党は許しがたい存在だ。
王氏は、毛沢東は民主主義を望んだであろうと信じているという。彼は先週ロイターに、最初の党大会を砂塵の舞う北部都市、石家荘で今週開催する予定だと述べ、約50人の参加を見込んでいると語った。
だが6日、理由に触れることなく党大会の中止を知らせる短いテキストメッセージが王氏から送られてきた。その後、王氏と連絡が取れなくなっている。石家荘の警察はコメントを拒否している。
<毛思想>
中国共産党は毛沢東にも誤りがあったことを認めているが、中国を混乱と暴力の渦に陥れた1966─76年の文化大革命(文革)や、何百万もの餓死者を出した1958─61年の「大躍進」については、まだ公式の説明がない。
習近平国家主席は、個人的に文革で苦しめられた立場である。父親は投獄され、習氏自身も、都市部で暮らす何百万人もの中国人青年と同様に、地方に送られ、農村での生活を強要された。
指導部との人脈を持つ情報提供者がロイターに語ったところによれば、毛沢東の命日である9日、少なくとも北京では目立ったイベントは行われない可能性が高いと話している。ただし国営メディアは、出身地である湖南省ではイベントが行われると告げている。
だが毛沢東は、はるか遠く離れた地で記憶を呼び覚ましている。
オーストラリアの2大都市、シドニーとメルボルンでは、毛沢東の命日を記念するコンサートが中止された。一方については、中国系市民から内容が不穏当であるという苦情があり、安全上の懸念があるためだとされている。
中国外務省はこれらのイベントから距離を置いており、海外在住の中国人により企画されたものだと述べている。
毛沢東ファンの一部は、中国国内でもイベントを企画している。その1人がテレビ評論家でブロガーの司馬南氏だ。共産党擁護派の同氏は、あからさまな反対意見は控えつつ、毛沢東を称賛している。
司馬氏はロイターの取材に対し、書道展と、毛沢東と面識があった人々が参加するシンポジウムを開催すると語った。
司馬氏は習主席が毛沢東を軽視しているとも考えておらず、実際のところ習主席を支持している。だが、今日の中国に見られるような一攫千金志向ではなく、平等主義や一般大衆の尊重という毛沢東の考え方を無視しているせいで問題が生じているという点は明確に主張している。
「毛沢東思想から逸脱していることが、腐敗がますます深刻化していることの重要な理由だ」と彼は言う。
<毛沢東の時代>
共産党内では改革の方向性について議論はあるものの、習主席の支配に対して左派勢力からの本格的な挑戦の動きは見られない。
かつて党指導者の座を争う候補と目され、新毛沢東主義の旗を掲げた人物として元「重慶派」の薄熙来氏がいるが、2013年に汚職と権力乱用の容疑で無期懲役の判決を受けている。
失脚以前、薄被告は毛沢東の影響に基づく左派的な考え方を信奉しており、思い切った平等主義的な公約を掲げていた。支持者によれば、彼は権力闘争の犠牲になったのだという。
薄被告の裁判への抗議を人々に呼びかけたとして2013年に拘束された記者Song Yangbiao氏は、ロイターの取材に対し、9日は毛沢東関連のイベントに参加する予定だったが、理由を明示しないまま中止になってしまったと話している。
「党は毛沢東を大切にしていない」とSong氏は言う。「毛沢東の時代に汚職があっただろうか。もちろんなかった」
(翻訳:エァクレーレン)
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