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焦点:中国「民主村」に潜入、監視と密告に口つぐむ住人たち
November 22, 2017 / 2:43 AM / 22 days ago

焦点:中国「民主村」に潜入、監視と密告に口つぐむ住人たち

James Pomfret

[烏坎村(中国広東省) 10日 ロイター] - かつて「民主村」と呼ばれた中国南部広東省の烏坎(ウカン)村だが、今では、あらゆる幹線道路に設置された監視カメラが住民の動きを見張っている。

住民によると、あちこちに当局の密告者がおり、数十人の村民が刑務所や拘置所で厳しい獄中生活を送っている。

この村は2011年、草の根運動によって民主的な選挙を中国当局に認めさせたことで、世界的に知られるようになった。しかしその後、当局が土地強制収用を巡る抗議運動を制圧し、運動を主導したリーダーを投獄した。それから1年経てもなお、息詰まる厳重な監視下にある。

ロイター取材班は今回、この村を訪問する貴重な機会を得た。村民数人と村の現状に詳しい関係者とのインタビューを通じて、烏坎村とその周辺一帯に敷かれた厳戒態勢と、何としても治安維持を図ろうとする中国政府の強硬な姿勢が浮き彫りになった。

かつてメディアを温かく歓待していた村民たちが、いまでは報復を恐れ、口を開くものはほとんどいない。

「この村にはもう何も残されていない」と村の若い男性が語った。神経質な様子で、長く言葉を交わそうとはしなかった。「何が起きたか知っているだろう」と言い残すと、彼は足早に立ち去った。

関係筋によると、100人の専属職員を擁する「烏坎村の大規模作業部会」が省レベルで設立された。密告者やパトロール部隊を組織し、監視カメラや投光照明を配備することにより、村の「安定」を維持しようとするものだ。

中国政府は1980年代、国内の村々で選挙実施を許可し始めた。とはいえ民主活動家らは、そうした村の役職を決める選挙のほとんどが当局の干渉を受けていたと指摘する。

2011年、烏坎村で繰り広げられた地元当局に対する相次ぐ抗議運動によって、ついに当局が折れ、自由で開かれた選挙を認めた。これによりこの村は「民主の村」として、中国における民主主義の希望の星となった。

しかし、いまや烏坎村は、中国当局による市民社会や個人の権利に対する締め付けに屈してしまった。2011年当時、村の抵抗運動を率いていた指導者の1人だったZhuang Liehong氏はそう嘆く。

「烏坎村で起きていることは、中国全土で起きていることだ」とZhuang氏は語る。「表現の自由や個人の権利がない、中国の暗部を映し出している」

ロイターは広東省政府にファックスで質問を送ったが、回答はなかった。

習近平国家主席が率いる中国政府は、国民生活のあらゆる面に共産党の統制を浸透させようとしている。こうした方針に対しては、中国当局が人々が異議を唱えることを認めず、市民社会を中央政府に対する挑戦とみなして弾圧している、との批判の声も上がっている。

「習近平氏が2013年に政権の座に就くと、市民社会の限界を押し上げようとする人々を制圧することが、自らの権力を固める政治活動の土台となった」。加トロント大学のダイアナ・フ氏と米マサチューセッツ工科大学のグレッグ・ディステルホースト氏は、「現代中国における草の根政治参加と抑圧」と題した共同論文でそう指摘する。

中国新指導部の発足によって、習主席に権力が集中するなか、一部の専門家は、習政権2期目となる今後5年間も、社会安定を目指す厳格な政策は続くだろうとみている。それは烏坎村のような地域にも影響を及ぼすだろう。

「これまでさまざまな問題に直面してきた中国共産党は、独裁体制で巻き返しを図ると決めた」と、国際人権団体アムネスティー・インターナショナル東アジア担当ディレクターのニコラス・ベクリン氏は述べた。

<世界の注目を集めた村>

2011年に烏坎村で起きた抗議運動において、前出のZhuang氏は治安当局の機動警官隊から、1万5000人が暮らす海岸沿いの集落を守るためのバリケードを築く作業に加わっていた。電話取材に応じた同氏は、2014年に村を離れ、ニューヨークに亡命中だ。

烏坎村は丘陵と湾に囲まれた美しい土地だ。牧場は草が生い茂り、魚やエビを育む豊かな水辺があり、それらを狙ってカワセミが訪れる。

 11月10日、一度は当局によって民主的な選挙の実施が認められた中国広東省の烏坎(ウカン)村だが、昨年、治安部隊によって抗議活動は制圧され、選挙で選ばれた村長らは身柄を拘束されるか、辞任するなどした。それから1年、ロイターはいまもなお息詰まる厳重な監視下にある烏坎村の現状を取材することに成功した。写真は村内に掲げられたプロパガンダの看板(2017年 ロイター/James Pomfret)

烏坎村の受難が始まったのは1990年代だ。村の指導部が結んだ一連の不透明な取引によって、農地が次々と土地開発業者に売却され始めたのだ。

2011年には、大勢の村民が売却された土地の返還を訴え始め、この問題が顕在化した。

数カ月に及んだ地元当局や治安部隊に対する抵抗運動は、世界中のメディアの注目を集めた。そしてついに省政府が譲歩し、共産主義国の中国では極めて異例な「民衆の勝利」が実現した。

土地取引の中心だった村の指導部は解任され、自由選挙が実施された。その結果、抗議運動の指導者7人全員が当選した。

だが発足したばかりの新指導部は、すぐに旧指導部の関係者による報復に直面したという。当選から数年内に抗議運動の幹部たちは公職を去り、昨年夏には村長の林祖恋氏が汚職容疑で拘束された。

村長の解放を求め、村人たちは再び立ち上がった。村人の多くが、国営テレビで放送された林村長の「自白」は強要されたもので、容疑はでっち上げだと主張した。

抗議活動は数カ月続いたが、数百人規模の治安部隊がゴム弾や催涙ガスを発射して制圧に動いた。さらに、被害者や目撃者によると、村人は警棒で殴られ、抗議活動はねじ伏せられた。

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昨年12月、烏坎村を管轄する海豊県の人民法院は、違法な集会や交通妨害、虚偽情報の流布などの容疑で、村民9人に対し2年から9年の実刑判決を言い渡した。同法院のウェブサイトが明らかにした。

ロイターは海豊県および烏坎村を管轄する陸豊市にコメントを求めたが、現時点で回答はない。

このうちZhang Bingchai氏は虚偽情報を流布したとして2年の実刑判決を受けている。2人の知人によると、Zhang氏は村の状況を携帯電話で外部に伝え、当局によるデモ鎮圧の様子を撮影し映像をネットに投稿したのだという。

抗議運動に対する当局の強硬路線は、社会の安定を確保したい中国政府の思惑を反映している、と烏坎村を何度となく訪問したことがあり、北京に同村の支援団体を創設したXiong Wei氏は語る。

「そして彼らは大きな成功を収めた。人々は誰も顔を上げようとしなくなった。だが(土地収用)問題は解決していない」と付け加えた。

<道沿いに立ち並ぶプロパガンダ>

武装警官が警戒に当たる検問所を抜け、烏坎村へと続く幹線道路に入ると、道沿いに並ぶ巨大な看板広告や鮮やかな旗が視界に飛び込んできた。これらは社会の安定と平和をうたったプロパガンダで、こうした広告やポスターは村の至る所にある。

「人民を愛する戦略を遂行するために団結し前進しよう」と書かれた看板には、銃を手に取りながら、天安門広場に掲げられた毛沢東の肖像画を見つめる兵士たちの頭上を、ハトの群れが飛ぶ様子が描かれていた。

「警察と人民が協力し、調和のとれた文化的な烏坎村を築く」とも書かれている。また別の看板は人々に「新たな精神」を呼びかけていた。

だが水面下では、ロイターの取材を受けた村民たちは、拭いきれない大きな憤りを抱えていた。

「村は壁にぶち当たった」とある村人はロイターに語った。「人々はもう何もしないだろう」

ニューヨークで逃亡生活を送るZhuang氏は、今後も意見を述べることをやめないと語った。同氏によれば、村に残してきた彼の母親は嫌がらせを受け、自宅に監視カメラが設置された。そこを訪問する者も当局の尋問を受け、なかには拘束された人もいるという。ロイターは彼の発言を独自に確認できなかった。

村の抗議運動を率いていた他の幹部たちは辞職後に、拘束されたか、嫌がらせを受けている、と同氏は語る。「私以外、皆が口を閉ざしてしまった。いまは静まり返っている」

(James Pomfret記者 翻訳:新倉由久 編集:下郡美紀)

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