[リヤド 23日 ロイター] - 午前3時、スペイン人の生物学者カルロス・ドゥアルテ氏はサウジアラビアの王宮にいた。この国でもっとも権力を持つ人物を未明までずっと待っていた。
ようやくホテルへ戻り、数時間後に目を覚ますと、スマートフォンに緊急のメッセージが届いていることに気がついた。王宮からだった。持続可能な開発目標(SDGs)を話し合うために集まったドゥアルテ氏などの科学者と役人は、今すぐ戻るようにとのことだった。ムハンマド・ビン・サルマン皇太子の準備が整ったのだ。
インタラクティブ版:オイルマネーで脱石油、サウジ戦略転換の現実味
気候問題の解決に身を捧げる科学者が、気候問題の解決に非協力的な国のトップの助言役を務めるーーありえそうにない話だが、サウジという国は矛盾に満ちている。ドゥアルテ氏によると、サウジは彼がずっと訴え続けてきたアドバイスを受け入れ、資金を供給している。
サウジは世界最大の石油輸出国だ。石油は地球温暖化の主要因であり、サウジは気候変動の影響を強く受ける国でもある。
ムハンマド皇太子は反体制派を弾圧してきた。米国の国家情報長官室は2018年に発生したジャマル・カショギ記者殺害事件について、皇太子が承認していたという報告書を公表した(皇太子は関与を否定している)。その一方で、女性の社会進出や非イスラム教徒の観光客受け入れなど、この抑圧された湾岸国家を変える努力をしていると称賛されてもいる。
そしてサウジのオイルマネーは、ドゥアルテ氏が描く「ブルーカーボン」構想を資金面で支えている。森と生き物の息づく海洋保護区が、大気中の余分な二酸化炭素(CO2)を少しずつ取り込んでいくというこの計画。専門家の間には、長期的に生態系の再生で300ギガトンのCO2を除去できるとの予測がある。19世紀半ばの産業革命以降、人類が大気に放出したCO2の3分の1に匹敵する。
海草や海藻が群生する藻場の再生は特に効果が期待されており、同じような場所にある熱帯雨林の最大15倍もの炭素を貯蔵できると、ドゥアルテ氏は試算している。
<サウジアラビア政府と働くということ>
ドゥアルテ氏は、世界で最も影響力のある環境科学者1000人を取り上げたロイターの「ホットリスト」で12位にランクされた。欧州、北米、オーストラリアなど複数の大陸をまたいでキャリアを築き、2015年からはアブドラ王立科学技術大学(KAUST)に所属している。
科学者や外交官の中には、サウジが気候変動対策のリーダーになるなんて考えることすら夢物語だと見る向きもある。同国の経済は約5割を石油に依存している。産出量は米国に次ぐ2位で、世界の石油供給量の12%を占める。気候科学者のマイケル・マン氏の言葉を借りれば、サウジは「悪役のひとり」と言える。
ドゥアルテ氏はそれに対し、サウジ政府は自身が長らく提唱してきた気候変動問題の解決策の多くを前向きに受け入れてきたと反論する。
世界が持続可能なエネルギーに移行していく中、サウジもその流れに適応していく以外に選択肢はないと、ドゥアルテ氏は言う。サウジ政府の資金で研究することについても、米国政府から資金を受ける科学者が直面するジレンマとなんら変わらないと主張する。米国は世界最大の化石燃料の産出国であるだけでなく、消費国でもあるからだ、と。
ドゥアルテ氏が科学者として歩んできたキャリアは、野心的な研究の資金集めには時として道徳上の計算が必要なことを示している。サウジを選んだのは、人類史上最大の脅威とも言える気候変動問題の解決につながる構想を追求するチャンスだと考えたからだ。
「大量の論文と称賛を残すだけの科学者で終わりたくない。最期の瞬間に人生を振り返り、少しだけでも世界をより良い場所にしたと思えるような生き方をしたい」
国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の米国代表としてサウジと対話してきたデビッド・レイドミラー氏は、化石燃料の立場を危うくする提案にサウジがたびたび抵抗してきたのを見てきた。サウジにとって気候変動は「存立を脅かす危機」だが、その脅威は小さい島国が直面するものとは全く異なる。
マーシャル諸島のような島国は、温暖化による海面の上昇で冠水していく。一方、「世界が化石燃料を使わなくなったとき、サウジの経済は崩壊し、社会の大変動が起きる」と、レイドミラー氏は語る。「そういった意味では、ある程度は同情する」
石油やガスとの決別を訴える活動家らは、税金や手数料を使って燃料価格を急激に引き上げたり、国が強制的に他のエネルギー源へ移行させることなどを求めている。ドゥアルテ氏は、このような手段はサウジだけでなく多くの産油国を不安定にすると話す。代わりに提言するのは、CO2の排出量を徐々に減らしつつ、大気から取り除く方法だ。
だが、サウジに批判的な人たちは懐疑的に見ている。サウジは近年、太陽光や風力発電への大規模な投資を発表したものの、電力のほとんどを石油や天然ガスでまかなっている。また、サウジ自身が石油の使用量を減らしたとしても、原油を産出し、輸出し続けることは可能だ。
ロイターのホットリストで37位に入った米国の気候科学者マイケル・マン氏も懐疑派の1人。気候変動問題を話し合う会議でサウジと対峙(たいじ)する側にいたこともあるマン氏は、気候科学に懐疑的な見方を助長してきた同国政府に不信感を抱いている。サウジの大学で研究するドゥアルテ氏の決断を尊重しつつも、彼の「計算」には疑問を感じている。
「もしかしたら相手に影響を与え、見方を変えるチャンスがあるかもしれない。だが同時に、相手は道徳的なライセンスを買い取ったようなもので、働くことによって科学者は、ある程度相手を正当化することになる」と、マン氏は言う。「サウジは悪役のひとりだと思うし、私なら彼らと親しくなるのは気まずさを感じる。でもそれは、それぞれの科学者が判断することだ。彼はサウジで建設的な役割を果たせると判断したわけだ」
サウジ政府のために働くことの道徳的な疑問は、石油の問題だけにとどまらない。カショギ氏殺害に対する政府高官の関与、イエメン内戦への介入を巡り、欧米からは非難の声が上がっている。
サウジで働くことについてドゥアルテ氏に尋ねると、怒りの表情を浮かべた。そして2003年のイラク戦争に言及した。「大量破壊兵器があるという証拠はでっち上げだった。犠牲者は150万人にも上ったと理解している」
民間人の死者数はいまも争点になっているが、同氏はイラク戦争に関わった欧米諸国からの資金を受け取る科学者らが、サウジで働く科学者をどうして批判できるのかと苦言を呈した。
「誰もそれについては追及しないではないか」と話すと、顔から怒りは消え、にっこりと笑った。
<救世主は独裁者フランコ>
ドゥアルテ氏が得た意外な支援者は、サウジが初めてではない。10代の頃、スペインの独裁者フランコの名を冠した奨学金によって矯正施設から救われている。
ポルトガル人の父親とスペイン人の母親を持つドゥアルテ氏は、ポルトガルのリスボンで生まれた。3歳のときにおじ、おばと暮らすため、スペインの小さな村に送られた。両親が引っ越したマドリードからは約320キロ離れていた。
その後にマドリードの両親と一緒に住むことになったが、学校に通い始めたドゥアルテ少年のスペイン語はつたなく、ポルトガル語の訛りも強かった。いじめられ、からかわれたという。
言葉のいじめは次第に暴力へと変わり、1人の男児に攻撃された。ドゥアルテ氏がレンガを拾って投げたところ、相手の頭に当たり、ぱっくりと傷が開いた。
修道士が運営する学校は、9歳のドゥアルテ少年を矯正施設に入れた。「そこでは身体的虐待を受けた」という。「定規や大きい木のコンパス、幾何学の道具を使って殴られるんだ。コンパスの頭で殴られたときは5針縫った」と、ドゥアルテ氏は言う。
修道士らが丸暗記の勉強法を強いたこともあり、成績は振るわなかった。しかし13歳のときに、貧困家庭の子どもたちのための「フランコ奨学金」を受給し、自宅から約600キロ北西にあるア・コルーニャの高校に通うことになった。奨学金はドゥアルテ氏を修道士たちから解放した。
フランコはスペイン内戦が終わった1939年から、死を迎えた1975年まで実権を握った。
「面白いことに、フランコが金を出していたにも関わらず、高校の教師はみんな共産主義者とアナーキストだった」とドゥアルテ氏は語る。「ここで考えることを学んだ。暗記は必要なく、概念を理解するのが重要だと学んだ」
フランコが死去してほどなく、1970年代後半に奨学金はなくなった。ドゥアルテ氏はマドリード大学の残り3年の学費を払う必要があったが、幸いにもプロのバレーボール選手として働いてまかなうことができた。1982年に生物学の学位を、1987年にカナダのモントリオールにあるマギル大学で陸水学の博士号を取得した。
<砂漠でサンゴを育てる>
厳重に警備されたアブドラ王立科学技術大学(KAUST)は、紅海沿岸のトゥワルにある。首都リヤドはアラビア砂漠の向こう側、約965キロ先だ。
ドゥアルテ氏がサウジに来た当時、男女が並んで研究し、男性教授が女子学生と同じ部屋に入れるのはこの大学だけだった。学生の多くは世界中から来た外国人だ。
KAUSTの外では、男性がいるレストランのオープンエリアで女性も食事できるようになったのはつい最近の2019年。解禁したのはムハンマド皇太子だ。一方、KAUSTには独自のルールがあり、何年も前から学生の半分は女性で、スタッフにも多くの女性がいる。
学問の世界では通常、学術刊行物に掲載された論文の数が評価の物差しとなる。ドゥアルテ氏は2019年末の仕事納めで、「今年は79本、豊作だった」と研究チームをねぎらった。
79本のうちドゥアルテ氏が共同執筆したのは62本で、多くはKAUSTのスタッフや学生と共に執筆した。2020年になると、同氏が共同執筆した論文は99本に増えた。
ドゥアルテ氏は、大学の小さな建物内に設置された緑や青、紫の小さなサンゴが彩る水槽の横に立つと、手を伸ばして5センチほどの紫のサンゴをつかんでみせた。数カ月前には半分ほどの大きさだったという。
「幅3メートル、長さ200メートルのこの水槽が、リゾート地のあちこちに設置されているのを想像してみてほしい。これは世界中のサンゴを再生させるために私たちが開発している新技術だ」と、ドゥアルテ氏は説明する。
彼はこれを「コーラル(サンゴ)ガーデニング」と呼んでいる。空港やリゾート地などに同じような水槽を何百個も設置し、小さなサンゴを自然に戻せる大きさまで成長させるというものだ。
成功すれば、サウジ生まれのサンゴが世界中に移植されるようになるかもしれない。ドゥアルテ氏によると、紅海はほかの海よりも水温が高く、ここのサンゴは何十万年もかけて適応してきた。 温度への適応が重要なポイントだ。気候変動で世界各地の海水温が上昇、サンゴ礁の死滅が進む中、紅海のサンゴはその回復の種になるかもしれない。
KAUSTの科学者たちは、数百年ではなく数年でサンゴ礁を成長させる技術の開発にも着手している。ドゥアルテ氏は、大学から北に数百キロ離れた場所に計画されている2カ所のリゾート開発地で「ガーデニング」を試したいと考えている。
サウジの「紅海プロジェクト」は、化石燃料の市場が崩壊する前に石油依存から方向転換できるかという大胆な賭けの一つだ。数千億ドル規模の莫大な金が動いていることは言うまでもなく、国の経済の安定、さらには暗黙の了解として君主制の運命もかかっている。
<ニッチ市場を見つけた科学者>
KAUSTでの取材終盤、記者はドゥアルテ氏からリヤドで開かれる会議に誘われた。
ビジネス、観光、環境を話し合うその会議で出会ったのは、元KAUSTの海洋生態学者で、ドゥアルテ氏がサウジに来た時からの友人のアブドルアジズ・アル・スワイレム氏だった。彼は、ドゥアルテ氏がサウジの社会的階層と慣習のバランスをうまくとりながら、巧みに非礼や衝突を避ける様子に感嘆していた。
「彼には、アカデミックの世界以外では通用しない学者の理想主義と、外の世界の『やることリスト』との間の妥協点を見つけるスキルがある」と、アブドルアジズ氏は話す。
ドゥアルテ氏のプロジェクトにとって重要なエネルギー省は、最近まで石油省という名称だった。2019年9月に皇太子が名前を変えるとともに、半分血のつながった兄であるアブドルアジズ・ビン・サルマン王子をエネルギー相に任命した。
ドゥアルテ氏はこの名称変更について、政府の優先順位が変わったことの表れだと語る。紅海プロジェクトの会議が終わると、同氏は足早にアブドルアジズ王子との会合に向かった。
王子はこの日、短時間の取材に応じた。王子は気候変動が起きていることに異論はないとし、化石燃料の燃焼が問題の根源だと述べた。この問題をどう解決すべきか、2016年のパリ協定をおおむね引用する形で説明した。つまり、化石燃料の使用量を減らし、自然を回復させるとともに、大気から炭素を取り除く人工的なシステムを開発するというものだ。サウジは2030年までに化石燃料の国内使用量を大幅に削減することを宣言していると説明した。
「しかし」と王子は続けた。サウジは石油生産量の削減や、炭素排出量に対する手数料には同意しないという。それは不公平だと考えるからだ。サウジは自国の利益を守る、CO2の大部分を排出してきた先進国に、気候変動の問題を解決する責任を負ってもらわないといけないと述べた。
さらにサウジは経済の多様化を進めており、今後数年で石油輸出への依存度は大幅に低下するだろうと話した。「持続可能性と環境保護は両立できる」と、王子は語った。
王子はドゥアルテ氏の方に体を向けた。「カルロスのような人たちの意見を聞かないわけにはいかない」とし、価値があるうちは石油を輸出し続け、環境に優しい経済に移行するための財源とすると語った。
電気自動車を運転するつもりがあるか。最後にそう質問すると、一瞬の沈黙の後、まだだと答えた。まずはハイブリッドから始めるという。「プリウスを運転するのはいいかもしれない」
現実主義の科学者は、漸進的なこの発言ににっこりと笑って応じた。
(翻訳:宗えりか、編集:久保信博)
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