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コラム:「リスク・オフの通貨」はどこに 日本円に市場心理の変化=植野大作氏

[東京 13日] - 市場心理の変化に対するドル/円JPY=EBSの反応が変わってきている。3月にNYダウ.DJIが過去最高値から4割近く暴落しても一時111円台まで円安に振れる場面があり、その後に株が反発してナスダック指数.IXICが史上最高値を更新しても105円前後の円高水準に留まった。少し前まで鉄板のリアクションだった「リスク回避の円高」も「リスク摂取の円安」も起きない場面が散見される。 

8月13日、市場心理の変化に対するドル/円の反応が変わってきている。社員は円紙幣。2013年2月撮影(2020年 ロイター/Shohei Miyano)

筆者の記憶が正しければ、国内外の市場関係者が日本円をリスク回避時に買われる「リスクオフ通貨」と見なして売買する風潮が強まったのは、恐らく2008年秋の世界金融危機の後あたりからだ。それ以前のメディアの報道には、円を「安全通貨」や「低リスク通貨」と表現した記事は恐らく見つからないはずだ。 

改めて指摘するまでもないが、為替市場の流行には栄枯盛衰がある。たとえある時期において市場の群集心理を支配している為替の格言でも、何十年経っても風化しない確固たる理由とそれを実行に移す売買の担い手がいない限り、いつかは廃れることもある。 

最近、円が市場のリスク許容度の変化に対して昔のように分かりやすい反応を示さなくなってきたのには、何か訳があるはずだ。以下、筆者が考える理由を4つ挙げておく。

<昔ほどは荒れないドル円>

第1に、最近はリスクオフ局面で、円だけでなくドルも買われる通貨になり始めている。このため、国内外で株価や資源価格が値崩れして市場関係者がリスク忌避色を強めても、その他の通貨に対してドルと円が同じように買われるため、ドル/円は昔ほど荒れないケースが多い。 

株や商品が高騰して市場のリスク選好が高まる局面でも同じだ。その他の通貨に対してドルと円が一緒に売られやすくなっているため、ストレートドル市場とクロス円市場で同時に発生するドル安圧力と円安圧力が錯綜するドル/円市場では極端な値幅が出にくくなっている。

世界最大級の対外純資産国の通貨である円は、市場心理が極端に委縮する局面では安全な通貨と見なされやすいが、世界最大級の対外純債務国のドルも最近は買われやすい通貨になっていることが示すように、巨大な対外純資産の裏付けは市場心理の変化に対する通貨の反応に影響を及ぼす条件の1つではあるが、唯一無二の目安ではない。

「米中二大国の覇権争い」、「新型コロナウイルスとの戦い」など、先読み困難なテーマが異常に増えた世の中で、「有事のドル買い」というかつて常識とされていた為替のセオリーが改めて見直され、「対外純資産国通貨の円」と「基軸通貨のドル」の値動きが同期し始めている。

<増える「輸入のドル買い」>

第2に、最近の日本は1ドル=100円を超える為替水準でも昔のような貿易黒字を稼げない体質の国になっている。かつての日本には、為替が1ドル=70円台や80円台になっても年間10兆円前後の貿易黒字を稼げる国際競争力のある産業の拠点が国内にあった。

このため、国内外の市場がリスク忌避色を強め、国境をまたぐ金融取引がよどむような局面になっても、一定期間内に必ず決済される国内輸出企業のドル売り超過は停止せず、リスクオフ時に起きるドル安・円高を助長する触媒になってきた。

だが、今の日本は1ドル=100円超でも安定的な貿易黒字を稼げなくなり、最近はコロナ不況下で貿易赤字を計上している。このため、リスクオフの局面でも淡々と染み出てくる貿易絡みの為替フローは、円高を助長する「輸出のドル売り」よりも、円高にカウンターを当てる「輸入のドル買い」の方が大きくなっている。 

日本の国際収支全体を眺めても、経常収支は依然として黒字だが、その中味はほとんど海外資産から上がってくる利息や配当だけになっている。貿易取引で稼ぐ外貨と違い、海外からの利子や配当の形で振り込まれる外貨は円転される比率が低いため、円高圧力は見かけより低くなる。 

一方、本格的な人口減少時代に入った日本では国内事業の伸びは低迷、日銀の超低金利政策で十分な利子を稼げる安全な債券を国内で探すことが無理になっている。このため、日本から海外への資本流出圧力が強まり、海外からの利息や配当で稼いだ外貨を長期投資の形で再び海外へ還流させるループがうまく出来上がりつつある。 

日本からの対外投資は、市場でドル高が進み過ぎると高値警戒感から額が目減りする一方、ある程度までドル安が進むと値頃感から金額が増える傾向がある。このため、為替需給の調節機能が働き、極端な円安も円高も起き難くなっているようだ。

<背景には日米金利差の縮小も>

第3に、新型コロナ対応策として米国がゼロ金利を復活させ米日短期金利差が急激に縮小したことで、金利の低い円を借りてドルの利息を稼ぐ円キャリートレードのうま味がほぼ消えた。その結果、市場心理が楽観的に振れる局面で、十分な金利差のあった頃なら投機主導で進み易かった大幅なドル高・円安が起き難くなっている。 

これまで市場心理が悪化する局面で頻繁に起きた強烈な円高は、国内外の投機筋が平時において膨らませていた円売りポジションを解消する際に発生する円の買い戻しが主因である場合がほとんどだった。平時における円安が昔ほど派手には進みにくくなった分だけ、リスク回避局面における円高への揺り戻しも小さくなっているとみられる。

<今は昔の日米物価格差>

第4に、日米の購買力平価より円安気味の為替水準が定着しているのに、日本の貿易黒字は一向に増えてこない。このため、これまで長期円高論者の決めセリフになっていた「日米の物価格差からみて、円は安過ぎる」という議論に疑義が生じている。 

例えばディズニーランドの「1日利用券」の値段を比べると、4月に値上げされたとはいえ、東京では8200円、米カリフォルニア州では104─154ドルだ。両者の割り算で求められる「ディズニーランド平価」は1ドル=53円台─78円台と、現在の相場水準からすれば相当に円高だ。

ただ、日米の物価にそんな差がつく為替水準が何年も続いているのに、日本は昔のような貿易黒字を稼げていない。日本経済の長期低迷で日本人の所得や国内産業の競争力が落ちているのなら、日米の物価格差が埋まらないのは、為替のせいではなく国力の低下に真の原因がある可能性もある。 

実際、日米の一人当たりGDPを比べると、1991年当時は日本が389万円、米国が325万円と日本の方が上だったが、2019年時点では米国が710万円、日本は439万円と逆転された上にかなりの差がついている。 

バブル崩壊後、日本人の年収の伸びが低迷し続けたことが、日米物価格差が埋まらなくなった本当の原因であるなら、今の為替は日本の実力見合いで正当なのかもしれない。足元のドル/円相場がフェア・バリュー近辺で取引されているのなら、そこから離れる遠心力は働き難い。ドル/円の値幅が上下どちらに振れても甘くなっているのはそのせいかもしれない。 

本稿に列記した筆者の推論に誤りがなければ、当分の間、市場心理の変化に対するドル/円の反応はあいまいな日々が続くだろう。今後、日本が安定的な貿易黒字をまた稼げるようになったり、米日金利差が再び開いて円キャリートレードのうま味が増したりすれば、ドルと円の同調性が崩れ、円が「ドルにも勝る無敵のリスクオフ通貨」に戻る可能性あるが、仮にそうなるにしても、今すぐではなさそうだ。 

当面のドル/円相場は、リスクのオン・オフいずれの環境でも、売り圧力と買い圧力のどちらが強まるのか判然とし難い状態が続き、「為替予想屋泣かせ」の通貨ペアになりそうだ。

*本コラムは、ロイター外国為替フォーラムに掲載されたものです。筆者の個人的見解に基づいて書かれています。

*植野大作氏は、三菱UFJモルガン・スタンレー証券のチーフ為替ストラテジスト。1988年、野村総合研究所入社。2000年に国際金融研究室長を経て、04年に野村証券に転籍、国際金融調査課長として為替調査を統括、09年に投資調査部長。同年7月に外為どっとコム総合研究所の創業に参画、12月より主席研究員兼代表取締役社長。12年4月に三菱UFJモルガン・スタンレー証券入社、13年4月より現職。05年以降、日本経済新聞社主催のアナリスト・ランキングで5年連続為替部門1位を獲得。

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編集:北松克朗

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