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コラム

コラム:失敗を覆い隠すバーナンキ氏の「勇気」

[ロンドン 15日 ロイター BREAKINGVIEWS] - 1930年代以降で最悪の経済危機に突入した時、米連邦準備理事会(FRB)議長にベン・バーナンキ氏を戴いていたことは、米国にとって幸いだった。

 10月15日、1930年以降で最悪の金融危機が勃発した時、当時米FRB議長だったベン・バーナンキ氏は首尾よく大胆な行動を起こしたが、より重要な問題は、同氏の行動が、その効果より大きな副作用を伴ったのではないかという点だろう。写真は2009年、FRB議長として議会証言をするバーナンキ氏(2015年 ロイター/Kevin Lamarque)

元プリンストン大経済学教授の同氏は「大恐慌通」を自任し、FRBの過去の失政がいかに経済を破滅へと導いたかを理解する稀有な人材だった。このほど出版された回顧録のタイトルが示す通り、同氏はリーマン・ブラザーズの破綻後に「行動する勇気」も兼ね備えていた。

FRBは大恐慌の再来を防ぎ、米経済を回復へと導いた──。

少なくとも公式の物語は上記の通りで、600ページに及ぶバーナンキ氏の回顧録で長々と再現されている。

金融危機が勃発した時、同氏は確かに首尾よく大胆な行動を起こした。ベアー・スターンズのポートフォリオを受け継ぎ、破綻寸前のアメリカン・インターナショナル・グループ(AIG)に資金を貸し出し、金利をゼロ近辺に引き下げた後に相次いで量的緩和(QE)を打ち出した。

しかしより重要な問題は、危機の前、最中、そしてその後にバーナンキ氏がとった行動が、効果より大きな副作用を伴ったのではないか、という点だろう。

バーナンキ氏の抱える大きな知的弱点は、金融政策、信用創造、資産価格バブル、そして経済危機との関係を理解できていない点にある。大恐慌に関する彼の見解は、ミルトン・フリードマンとアンナ・シュワルツの1963年の共著、「米国金融史」を起源とする。FRBが通貨供給量の急減とデフレの浸透を許したことによって1930年代の大恐慌を招いたというのが、同書の主張だ。この見解は、1920年代末にウォール街でみられた投機ブームが果たした役割を無視している。

これに代わる歴史物語は、1920年代にFRBが政策金利を低過ぎる水準に設定していたことから始まる。インフレ率が落ち着いていたために当時は正当化されていたこの金融緩和は信用ブームを招き、投機バブル──フロリダからシカゴに至る不動産市場から株価まで──へとつながる。

低金利は、米国よりも金利が高かった中欧や南米への大量の資金フローを後押しすることにもなった。FRBは1920年代末に金利を引き上げる。国際的な資本フローは逆流し、不動産バブルは崩壊、金融危機への道が開かれ、大恐慌へとつながっていった。

バーナンキ氏は1920年代の前任者らと同様、中央銀行の使命は物価の制御であり、資産価格バブルは無視すべきだと信じている。資産バブルは崩壊するまで認知できない、というのが彼の主張だ。事実、彼には投機が泡立つのに気付かないという難点がある。2005年の米国の住宅バブルを見逃し、価格の標準偏差が長期トレンドを上回っていたことを無視した。

ここには矛盾がある。バーナンキ氏は、FRBが金融政策によって資産価格を押し上げられる──これは危機後のQEの主目的の一つだ──と信じながら、その後の資産価格の下落は予想不可能であり、金融政策とは無関係だというのだから。

バーナンキ氏は、バブル潰しに金融政策を用いるべきではないと唱えている。後始末をする方が簡単だと、かつては主張していた。直近の不動産バブル崩壊があまりにも厳しかったため、彼は今では金融規制がその仕事を肩代わりできると考えている。

ただ彼は、FRBその他の米金融当局が、2008年以前に世界金融システムが脆弱さを増していたことを認識しそこねたと認めている。アニマルスピリットを抑制し、慎重な金融活動を奨励することが目的なら、金融政策の引き締めに匹敵するほど有効な策は見当たらない。ジェレミー・スタイン前FRB理事が言うとおり、金利は「隅々まで行き渡る」からだ。

リーマン・ショックの最中、ポール・ボルカー元FRB議長はバーナンキ氏をこう批判した。中央銀行を「法律で定められ、想定された権限範囲ぎりぎりのところまで連れて行き、その過程で、長く根付いてきた中央銀行の原則および慣行を一部踏み越えている」。バーナンキ氏は、モラルハザードおよび中央銀行の理論的権限といった細やかな点をさほど気にかけていない。

危機の最中、当時イングランド銀行(英中央銀行)総裁だったマービン・キング氏に対して「金融危機にイデオロギー信奉者は無用だ」と語っている。FRBが採った非伝統的手段は、その成功によって正当化された。最終的には市場の動揺を鎮めることに成功したのだから。

これに比べ、パニックが過ぎ去った後も異例の金融政策が長々と続いていることを正当化するのは難しい。バーナンキ氏は、超低金利が経済を侵食していることを認めていない。FRBの政策はまたしても資産価格インフレを再燃させた。金融危機の後、米家計資産の国内総生産(GDP)に対する比率は急速に過去最高水準を回復した。

歴史は繰り返す。低金利に背中を押され、投資家は再びなりふり構わず利回りを追い求めている。基準の緩い融資やジャンク債の大量発行が復活し、企業の信用力は悪化した。低コストのマネーがあふれて価格の変動は抑えられ、投資家はポートフォリオ内の流動性を低下させている。そしてまたもや、低金利を温床にして数兆ドル規模の世界的キャリートレードが行われ、金融的脆弱性が新興国市場へと輸出されている。

2013年初めにFRB議長職を退くに当たり、バーナンキ氏は、FRBが海図なき航海を進んだ結果、「既知の海域に少なくとも近づいてはいる」と発言している。随分のん気なものだ。低金利が新興国市場をどれほど傷付けたか、金利を正常化すると米国内にどんな影響があるか、FRBがどうやって膨張したバランスシートを縮小できるのかなど、われわれはまだ何も分かっていない。

低金利が世界の金融システムに及ぼした悪影響に思いを致す代わりに、バーナンキ氏は低金利が「実体」経済にもたらした恩恵に着目したがっている。しかしその点でもまた、金融緩和は意図せざる結果をもたらした。世界金融危機後の米国経済は、回復の足取りが鈍く、失業率も今なお高い。低金利によって体力の弱い企業も破綻を逃れ、生産性の伸びが抑制された。ゾンビ企業がこの星をのし歩いている。

バーナンキ氏自身が認める通り、金融業界と産業界は深く結びついている。金融政策によって金融の脆弱性が増し、資産価格バブルが促進されるなら、経済全体もいつまでも無縁ではいられないだろう。これが大恐慌、そして世界金融危機がもたらした教訓だった。バーナンキ氏が未だに学んでいない教訓である。

●背景となるニュース

・バーナンキ氏の回顧録「行動する勇気」はノートン社から出版された。

*筆者は「Reuters Breakingviews」のコラムニストです。本コラムは筆者の個人的見解に基づいて書かれています。

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