[東京 15日] - ウクライナ情勢が緊迫の度合いを増している。現在、ロシアは「武力侵攻の意思はない」と言いつつもウクライナとの国境付近に大規模な軍隊を展開、即時進軍可能な準備を整えたと報じられている。
そのようなロシアの動きに対し、欧米はウクライナに侵攻した場合は強力な経済制裁を課すと警告しつつ、外交的解決を模索しているようだが、ロシアが応じるかどうかは未知数だ。
ロシアはウクライナの北大西洋条約機構(NATO)非加盟の確約を強く求めているが、欧米はそれを拒否し、外交協議は難航している。今のところ対話は続いており、「最悪の事態」は回避されているが、2014年春にはロシアがウクライナ南部のクリミア半島に侵攻、事実上併合したという前例もある。
このため、「万が一」を案じる市場では、ウクライナ絡みの悪報が伝わるたびに国際商品市況が高騰したり、株価が値崩れしたりなど、神経質な反応がみられている。このような状況は、いったいいつまで続き、為替市場にどのような影響が及ぶのだろうか。
<侵攻なしなら、市場の注目度低下へ>
ウクライナ侵攻の構えをみせているロシアの目的が、NATOの東方拡大阻止にあり、武力併合の意図がない場合、ウクライナがNATO加盟を強行しない限り、ロシアは進軍しないだろう。
このケースでは、ウクライナ周辺の緊張は長引くかもしれないが、ロシアと欧米のにらみ合いが常態化するにつれ、足元で観測されている資源価格や株価の過剰反応は徐々に沈静化していくと予想する。
実際、かつて北朝鮮が頻繁にミサイル発射や核実験を始めた当初こそ、市場は毎回のように「株安・円高」の過剰反応を示していたが、最近は北朝鮮が大同小異の挑発行為を再開しても、市場はほとんど反応しなくなっている。
古今東西、世界のどこかで軍事的な緊張が高まると、当初は市場心理が悪化してリスクオフ色の強い反応が引き起こされるが、実際の武力衝突に至らない冷戦状態に移行するにつれ、市場のアレルギー反応は収まってくる。ウクライナ情勢も例外にはならず、今後、当事国のにらみ合いが続くだけなら市場の関心は薄れていくだろう。
もっとも、国や民族の領土的野心が絡む問題は、時に暴発することもある。ウクライナの首都キエフは、ロシア人から見ると国の発祥だとの言い伝えもあり、ロシアに詳しい専門家によれば、日本に例えると奈良や京都のような場所だそうだ。
ロシアがウクライナのNATO加盟を許す可能性は極めて低く、欧米とウクライナが非加盟を確約しない限り、ロシアによる侵攻リスクはくすぶり続けるだろう。有事が起きた場合に備え、為替市場にどんな影響が及ぶのか、事前のイメージ・トレーニングが必要だ。
<侵攻なら、ルーブル・ユーロ安に>
ロシアがウクライナに侵攻した場合、市場の初期反応で最も激しく売られる通貨は、やはりロシア・ルーブルになるだろう。西側諸国からの厳しい経済制裁を受けるロシア経済は失速不可避との思惑が強まるからだ。
その際、市場で顕在化する初期反応の常として、紛争地域に隣接する地域の通貨も売り圧力にさらされやすい。このため、主要通貨の中ではユーロに強い売り圧力がかかりそうだ。
実際のところ、ユーロ圏の輸出入に占めるロシアとウクライナの比率は4%程度に過ぎず、経済の結びつきはそれほど強くない。ただ、ロシアからの輸入依存度が高い天然ガスなどの価格が高騰すれば、ユーロ圏の景況感は下振れする。
また、ロシアのウクライナ侵攻を嫌気して世界的な株安連鎖が起きれば市場心理が萎縮するため、一部の産油国を除き、大半の新興国通貨はセオリー通りに売られそうだ。特に、ウクライナに隣接して大量の難民流入の連想が働くポーランド、エネルギー収支が赤字のインドやトルコなどの通貨には悪影響が及びやすいだろう。
<買われるスイスフラン>
一方、そのような状況下で最も買われやすい通貨は、スイスフランになりそうだ。永世中立国の通貨であるスイスフランは国際紛争に巻き込まれる心配がほぼ皆無であるため、最も安全な「疎開先通貨」として選ばれやすい。
スイスは経常収支黒字の国内総生産比が主要通貨圏では突出して高いため、軍事紛争の勃発時だけでなく、金融危機が引き金になって市場心理が悪化する際にも「万能のリスクオフ通貨」とし買いの対象にされることが多い。このため、今後「ウクライナ有事」が現実化した場合は、国内外の投機筋を中心に、条件反射的なフランの全面高が想定される。
<侵攻直後は円高>
その際、主要通貨の中では日本円と米ドルも「買われやすい通貨」になる可能性が高い。
まず、円については、係争地域の東欧から遠く離れた極東の島国の通貨であるため、直接的な悪影響を受けにくい印象がある。また、日本は憲法9条で戦争を放棄しているため、ロシアのウクライナ侵攻時にNATOが軍事作戦を展開しても中心的な役割を担う可能性は低い。
最近の日本円は、長期的な国力衰退懸念もあって昔ほど強い「リスクオフ通貨」のオーラをまとっていない。だが、経常収支は依然として黒字であり、クロス円市場では、昨今しばしば生じている世界同時株安の局面で「リスク回避の円高」が頻繁に観測されている。
<有事のドル買いは健在>
一方、米ドルは経常収支赤字国の通貨ではあるものの、世界で最も流動性の高い基軸通貨であることに加え、世界最強の軍事力を保持する超大国の通貨でもある。このため、国際紛争への懸念を背景に世界的に株価が崩落する局面では「有事の買い」の対象になりやすい。
東欧地域で何らかの軍事衝突が起きたとしても、米国本土が戦場にならない限り、米国内要因でほとんど決まる金融政策の方針を根底から覆すほどの痛撃を経済が受けるリスクは小さい。現在、米国はインフレの抑制に主眼を置いた金融引き締め局面に移行中であり、ロシアのウクライナ侵攻を理由にその方針がぶれる可能性は低い。
<円高後にドル切り返しか>
このように考察すると、ロシアがウクライナに侵攻した場合、スイスフランなどの例外を除いてストレートドル市場ではドル高、クロス円市場では円高が同時に進むだろう。その際、ドル/円市場では当初、「リスク回避の円高」が「有事のドル高」に若干勝って一時的な円高ショックが走りそうだが、しばらく時間が経つと、日米金融政策の方向格差を背景に進んでいるドル高・円安トレンドの中に吸収される可能性が高い。
実際、今から約8年前にロシアがクリミア半島を併合した際に観測されたドル/円の下振れ幅は103円台後半から101円台前半までと、3円弱に収まった。当時の日本は黒田東彦日銀総裁の任期前半に観測された異次元緩和の拡大期にあり、円の先安観が非常に強い局面だったため、「ロシアのクリミア侵攻」という大事件に接しても、初期反応でみられた円高ノイズは短期で収束した。
現在、米国では3月からの利上げ開始を見込んで長期金利が上昇傾向にある一方、日銀は前例のない前営業日夕方の指し値オペの通告なども使って長期金利に強力な天井制限を課す姿勢を明示。日米金利差の拡大観測に由来するドルの先高観が強まりやすい状態にある。
8年前の「クリミア・ショック」時の経験則に照らしてみる限り、ロシアが再びウクライナに攻め入った場合でも、ワンタイムの円高ショックは短命に終わる可能性が高い。今後、仮にそのような局面に遭遇した場合、逆張り系のテクニカル指標を参考に、押し目買いで臨むのが良いだろう。
編集:田巻一彦
*本コラムは、ロイター外国為替フォーラムに掲載されたものです。筆者の個人的見解に基づいて書かれています。
*植野大作氏は、三菱UFJモルガン・スタンレー証券のチーフ為替ストラテジスト。1988年、野村総合研究所入社。2000年に国際金融研究室長を経て、04年に野村証券に転籍、国際金融調査課長として為替調査を統括、09年に投資調査部長。同年7月に外為どっとコム総合研究所の創業に参画、12月より主席研究員兼代表取締役社長。12年4月に三菱UFJモルガン・スタンレー証券入社、13年4月より現職。05年以降、日本経済新聞社主催のアナリスト・ランキングで5年連続為替部門1位を獲得。
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