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コラム:最強の安全通貨スイスFと凋落する円、読み取るべきは何か=植野大作氏

[東京 15日] - スイスフラン/円相場の高騰が目覚ましい。5月2日には一時153円台と1979年以来、約44年ぶりの高値圏まで上昇する場面があった。2000年9月に記録した過去最安値の58円台から、22年8カ月間で2.6倍を超える値上がりだ。

 2000年代以降の為替市場で、日本円に対する底値から高値までの上昇率が最も大きな主要通貨は米ドルでもユーロでもポンドでも豪ドルでもない。スイスフランだ。植野大作氏のコラム。写真は円紙幣のイメージ。2017年6月撮影(2023年 ロイター/Thomas White)

2000年代以降の為替市場で、日本円に対する底値から高値までの上昇率が最も大きな主要通貨は米ドルでもユーロでもポンドでも豪ドルでもない。スイスフランだ。

特に最近のスイスでは、国内第2位の金融機関が経営危機に陥り、最大手に買収されるというニュースが流れたばかりだ。そのような騒動を起こした国の通貨が歴史的な高騰劇を演じたことに対し、違和感を抱いた日本の投資家や事業法人からの問い合わせが増えている。

<円に貿易赤字の重し>

かつて日本円とスイスフランは、為替市場関係者の間で「憲法9条による戦争放棄」と「ウィーン議定書による永世中立」によって、ともに「戦争に巻き込まれるリスクが低い国の通貨」というイメージを持たれていた。

また、世界に金融不安が広がって国境をまたぐ金融取引が低迷しても止まらない貿易取引の現場で安定的な黒字を稼いでいる国の通貨でもあるため「二重の安心感」から、国際紛争の勃発時や世界的な金融危機の発生時には率先して買われやすい「安全通貨」の双璧として、いずれ劣らぬ存在感を示していた。

ただ、近年の日本では貿易収支の赤字体質が定着しつつあり、輸出入決済の現場では恒常的な「円余剰・外貨不足」の状態が定着している。安定的な貿易収支の黒字を計上し続けているスイスとは対照的だ。

昨年2月に始まったロシアとウクライナの戦争が長期化の様相を呈する中、為替市場のセオリー通りなら「戦場に近い国の通貨」であるフランが売られて「戦地から遠く離れた国の通貨」である円が買われるのが普通だが、「貿易赤字国の通貨」に転落してしまった近年の日本円は、リスク回避マネーの疎開先としての信認を失いつつあるようだ。

「ロシア・ウクライナ戦時下においてスイスの金融大手の経営危機が取りざたされる状況下でもスイスフラン/円が歴史的な高値圏まで買い進まれた」という意外な事実は、かつて隆盛を誇っていた「安全通貨」としての日本円の地位の没落を暗示している。

<唯一のマイナス金利国>

また、スイスと日本の金融政策運営を比べると、ロシアのウクライナ侵攻後に高まったインフレ退治を目的にスイス国立銀行(SNB)は昨年の夏にマイナス金利政策と決別。当時、マイナス0.75%だった政策金利は現在、1.50%まで引き上げられている。

一方、日銀の植田和男総裁は「賃金上昇を伴う物価目標2%」の達成にめどが立っていないことを理由に現在の金融緩和を粘り強く続ける方針を堅持し、前任の黒田東彦総裁から引き継いだマイナス0.1%の短期政策金利を当面維持する見込みだ。

かつて日本より深いマイナス金利政策を採用していたユーロ圏やスウェーデン、デンマークなどの中央銀行も既にマイナス金利政策からは脱却して「プラス金利の国」に戻っている。現在、短期政策金利をマイナス圏に水没させている国は世界で唯一、日本だけだ。

ロシア・ウクライナ戦時下で到来したインフレ局面に対峙して、マイナス金利をやめて利上げに動くスイスと動かぬ日本の金融政策の印象格差が、歴史的なフラン高・円安の進行を助長する触媒になっている。

現在、世界で共通の為替テーマは「来たるべき米国景気の減速局面で発生するドル安圧力の受け皿探し」になっている。だが、貿易赤字体質が定着しているマイナス金利の日本よりも、安定的な貿易黒字体質でプラス金利のスイスの通貨が選ばれやすいのは自明の理だ。スイスフラン/円相場は、今後もしばらく歴史的な高値圏で推移する可能性が高いのではないか。

<分散投資へのヒント>

一方、より長期的な視野に立って過去のスイスフラン/円相場のチャートを俯瞰(ふかん)すると、日本の若い働き手世代が現在取り組んでいる老後資金の積み立てなど、投資の時間軸が長ければ長いほど、「国際分散投資の裾野を広げる」という発想も時に有効であるということが分かる。

筆者の記憶に誤りがなければ、2000年の秋にスイスフランが過去最安値の58円台で取引されていた時期、その後数十年以上の時を経て、日本人投資家に最も大きな為替差益をもたらす通貨がスイスフランになることを見抜いていた市場関係者は、ほぼ皆無だった。

昔からスイスフランは名目金利の水準が低かったため、「高金利好き」が多い日本人投資家の注目を集めていなかったが、もともと不人気な通貨だったが故に、本邦投資家の保有残高が少なく、いざ通貨高の条件が整って実際に値上がりしても「益出しの売り」や「ヤレヤレの売り」が出てこないので、皆が驚くほど急激な上昇気流に乗ったのかもしれない。

国際分散投資に取り組む際の時間が長くなるほど、「いつ」、「どんな理由」で、「何が値上がりして何が値下がりするのか分からない」のは、外国為替市場の日常だ。

このため、「現在人気がある通貨」だけを見つめて集中的に投資するのではなく、たとえ現在不人気であっても、「何らかの見所のある通貨」ならば、分散投資の裾野を広げておいた方が、数十年後に到達する頂上の標高が高くなる場合もある。

現在、我々が目撃しているスイスフラン/円相場の歴史的な高騰劇は、そのような教訓を何よりも雄弁に我々に伝える為替市場の啓示であるように思える。「1フラン=153円台」という想像もできなかった高値圏にまで駆け上がってきたスイスフランの姿に接し、そのような感慨を抱いているのは果たして筆者だけだろうか。

蛇足になるかもしれないが、日本が位置する東アジアには北朝鮮問題や台湾問題など、万が一にも暴発した場合に著しいカオスを金融・為替市場にもたらす可能性を秘めた地政学的なテール・リスクの火種がくすぶっている。今世紀最強の「安全通貨」としての存在感を高めるスイスフランの動向には今後も注意を払いたい。

編集:田巻一彦

*本コラムは、ロイター外国為替フォーラムに掲載されたものです。筆者の個人的見解に基づいて書かれています。

*植野大作氏は、三菱UFJモルガン・スタンレー証券のチーフ為替ストラテジスト。1988年、野村総合研究所入社。2000年に国際金融研究室長を経て、04年に野村証券に転籍。国際金融調査課長として為替調査を統括、09年に投資調査部長。同年7月に外為どっとコム総合研究所の創業に参画、12月より主席研究員兼代表取締役社長。12年4月に三菱UFJモルガン・スタンレー証券入社、13年4月より現職。05年以降、日本経済新聞社主催のアナリスト・ランキングで5年連続為替部門1位を獲得。

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