[東京 16日] - 人民元(CNH)の値崩れが著しい。5月13日の本土外市場での対ドルは一時1ドル=6.838元と、2020年9月以来、約1年8カ月ぶりのドル高・元安水準を記録する場面があった。2月24日に記録した3年10カ月ぶり高値の6.306元から、約1カ月半で8%を超える急落だ。
<人民元下落、ゼロコロナと都市封鎖が引き金>
今年の春先まで、人民元は米ドルを含めた世界の主要10通貨に対して全面高のパフォーマンスを示し「世界最強通貨」の座に君臨していた。日本の会計年度で区切ってみると、2021年度に人民元円は13.5%も上昇、日本人が買ったら一番もうかった外貨は元だった。
つい先ごろまで、人民元は人目をひく値上がりの快進撃を続けていただけに、その後の値崩れが逆に悪目立ちしている。一体なぜ、人民元はこれほど急に弱くなったのだろうか──。
その背景は明白だ。中国の主要都市部における新型コロナの感染拡大を受け、「ゼロ・コロナ政策」を標榜する中国政府の方針により、厳しい都市封鎖が上海で長期化。北京の一部にも拡大する中で、中国景気に下振れ懸念が台頭している。
そのような状況下、中国人民銀行(PBOC)は銀行から預かる預金準備率の引き下げを4月15日にアナウンスした。今後は政策金利引き下げの可能性もにおわせており、景気テコ入れを目的にした金融緩和の強化を示唆している。
一方、「ウィズ・コロナ政策」にかじを切りつつ、インフレ抑制に本腰を入れ始めた米国では、米連邦準備理事会(FRB)が3月に0.25%刻みで利上げを始めてゼロ金利政策と決別。5月には22年ぶりに0.5%刻みの追加利上げに踏み切った上に、6月からは保有資産の圧縮を始める方針も示すなど、金融引き締めの強化に動いている。
「ゼロ・コロナの中国」と「ウィズ・コロナの米国」の間で鮮明になっている景況格差や金融政策の方向性の違いが、最近のドル高・人民元安の背景になっていることは疑いようがない。人民元の下落基調は、まだまだ続くとみる弱気派が増えている。
<急落回避へ動く中国人民銀>
ただ、筆者はそろそろドル高・人民元安の流れが穏やかになり、早晩どこかで底打ちする可能性が高いと考えている。
中国の為替政策を所管するPBOCは4月25日、市中銀行から強制的に預かる外貨の預金準備率を5月15日付で9%から8%に引き下げる元安対策を始めると発表した。外貨の流動性を高めることで「これまでのようなスピードで元安が進むのは好ましくない」というメッセージを市場関係者に知らしめる狙いがある。
中国政府の厳しいゼロ・コロナ政策により、国内景気に下振れ懸念が台頭している中では輸出の促進に一定の効果が期待できる元安にメリットはある。
だが、あまりにも急激かつ一方的に元安が進み過ぎると中国企業のドル建て債務の返済負担が増すというデメリットがあり、ホームカントリー・バイアスが薄いといわれている中国の投資家や富裕層による海外への資金逃避を助長しかねない。
もちろん、中国の為替政策はブラック・ボックスなので、どのあたりまでのドル高・元安なら許容範囲なのか、正確には分からない。
ただ、世界第2位の経済大国になってもなお、中国は自国通貨の変動を「管理フロート制の弾力運用」という不明瞭な仕組みで制御できる余地を残しているため、PBOCが為替市場に対して「何らかのメッセージ」を送ってくると市場に疑心暗鬼が渦を巻き、「当局の意向」に対する忖度(そんたく)が価格形成に反映されやすい。
PBOCが現在の管理フロートの弾力運用に移行した2010年6月以降のドル人民元相場の実際の変動レンジを振り返ってみると、1ドル=6.0元台が元高許容の天井となっていた一方、同7.2元前後が元安容認のフロアーとして意識されていたふしがある。
この先、一段のドル高・元安が進んだ場合、外貨預金準備率の追加引き下げや上海市場で毎朝発表しているドル人民元の基準値の算定に「反循環的要素」を加えて市場にけん制球を投げるなどの追加措置が採られる可能性が高い。あくまで私見だが、1ドル=6.9元台まで元安が進むと、これまでより強い元安忌避の姿勢が示されるのではなかろうか。
一方、人民元の対円相場に目を転じると、昨今の急激な対ドル相場下落のあおりを受け、4月高値の1元=20円10銭台から5月直近安値の18円70銭台に至るまで、最大落差7%を超える調整を余儀なくされている。それでも一昨年3月のコロナパニック襲来時に記録した安値14円50銭台に比べると、まだ、3割近くも元高・円安の水準をキープしている。
現在、日本円は「悪い円安」の進行を自力で阻止するのに必要な利上げに耐えられる基礎体力がない「放漫財政・貿易赤字国の通貨」という残念な位置付けが為替市場で定着しており、「あまりにも一方的に売られ過ぎた」という理由で短期的に買い戻されることはあっても、長期的に前向きな気持ちになって上値を追いかけてでも買ってきそうなファンを探すのが難しい状態にある。
<都市封鎖の緩和後に人民元は上昇へ>
最近の人民元安の背景ついては「中国のゼロ・コロナ政策による景気下振れ懸念」という明確な理由が分かっているだけに、この先どこかで厳しい都市封鎖が緩和された時には、対ドル、対円ともに反発の余地が生まれる可能性がある。
現在、ロシア・ウクライナ戦争の影響で起きた資源価格高騰の影響を受けて日本の貿易収支は大幅な赤字を計上している。これに対し、中国の貿易収支は、同じ環境の下でも過去最大規模の黒字を維持し続けている。
米国や日本に対して中国が稼いでいる巨額の貿易黒字は、現在の1ドル=6元台や、1元=19円前後では中長期的にみて人民元がまだ割安であることの証左であると同時に、為替需給の面からは、根強い実需の元買いフローの恒常的な発生源にもなる。
中国のゼロコロナ政策が緩和に向かう時期が来れば、人民元の対ドル相場の下落も早晩ストップし、対円相場も20円超の水準に戻る可能性が高いのではないか。
一方、今から約4年前の2018年に米トランプ政権が発動した対中制裁関税の第1弾から3弾は、現在のバイデン政権の下で見直しの時期を迎えている。西側諸国による対露制裁に非協力的な中国に対し制裁関税引き下げの恩恵を与えることの是非については、米議会でも賛否両論あるようだ。
ただ、米バイデン政権が現在の内政面での最優先課題として取り組んでいる「高過ぎるインフレの抑止」という観点からは、対中関税の一部引き下げは、「株価に優しいインフレ対策」という意味では有力な選択肢の1つになっている。
米国による対中制裁関税の一部引き下げの是非は、高度に政治的な判断が絡んでくる複雑な問題なので、最終的な結論を予想するのは難しい。だが、イエレン米財務長官は「検討に値する」との見解を最近示していた。
仮に実現すれば、外国為替市場では元高方向へのサプライズを呼ぶニュースになる素質を秘めている。今後の米議会や米政権内部での議論の行方を慎重にウォッチする必要がありそうだ。
編集:田巻一彦
*本コラムは、ロイター外国為替フォーラムに掲載されたものです。筆者の個人的見解に基づいて書かれています。
*植野大作氏は、三菱UFJモルガン・スタンレー証券のチーフ為替ストラテジスト。1988年、野村総合研究所入社。2000年に国際金融研究室長を経て、04年に野村証券に転籍、国際金融調査課長として為替調査を統括、09年に投資調査部長。同年7月に外為どっとコム総合研究所の創業に参画、12月より主席研究員兼代表取締役社長。12年4月に三菱UFJモルガン・スタンレー証券入社、13年4月より現職。05年以降、日本経済新聞社主催のアナリスト・ランキングで5年連続為替部門1位を獲得。
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