[東京 18日] - 日本の国際収支統計を議論する際、近年では必ず旅行収支を主軸として訪日外国人観光客(インバウンド)需要の回復が議論のテーマとなることが多い。確かに旅行収支は日本が能動的に外貨を確保できる貴重な経路であり、国際収支の展望を語る上での重要な論点である。
<膨張するその他サービスの赤字>
一方、その重要性に比してまだ、認知度が低い論点として「その他サービス収支」が挙げられる。実際、数字だけを見れば旅行収支よりもその他サービス収支の方が、はるかにインパクトを持っている。
財務省が5月11日に公表した2022年度の国際収支統計によると、サービス収支の赤字は5兆2765億円に達している。このうち旅行収支は1兆4303億円の黒字、輸送収支は9271億円の赤字、その他サービス収支は5兆7797億円の赤字だ。もはやサービス収支の帰すうは、その他サービス収支次第と言っても過言ではない。
ちなみに旅行収支が最も大きな黒字を稼いでいた2019年度でも、その規模は2兆4571億円なので、既にその他サービス収支赤字はその倍に達している。これから旅行収支黒字が往時の勢いを取り戻しても、サービス収支全体を押し上げる構図にはなりにくいだろう。
10年前の2012年度と2022年度を比較した場合、旅行収支が1兆0069億円の赤字から1兆4303億円の黒字へと転換しているのは特筆されるが、その他サービス収支の赤字は1兆9026億円から5兆7797億円へ3倍弱に膨らんでいる。
変化の速度や規模で言えば、もはや比較にならないとすら言える。しかし、後述するようにその他サービス収支赤字拡大の要因が多岐にわたるためか、これまであまり注目されてこなかった。
より俯瞰すれば、2022年度の経常黒字がピーク時(2017年度)の22兆3995億円から9兆2256億円まで縮小していることを思えば、サービス収支だけで5兆円以上の赤字に達しており、そのほとんどがその他サービス赤字で説明できる状況は、やはり看過できるものではない。
<拡大するデジタル・コンサル・研究開発の赤字>
その他サービス収支赤字の拡大要因は多岐にわたるが、新聞報道等で注目され始めているように、デジタル赤字と称される項目の影響は確かに大きい。
上述したように、2012年度から2022年度の間にその他サービス収支赤字は約3.9兆円(1兆9026億円の赤字から5兆7797億円の赤字)拡大しているが、このうち通信・コンピューター・情報サービスが約1.4兆円(2892億円の赤字から1兆6610億円の赤字)と増分の4割弱を占める。
このほか専門・経営コンサルティングサービスは、2012年度からのデータが入手できないので最も古いデータである2014年度と比較すると、やはり約1.4兆円(4585億円の赤字から1兆8477億円の赤字)拡大している。
専門・経営コンサルティングサービスにはインターネット広告などへの支払いも含まれており、いわゆるデジタル赤字の性格も含むが、近年、日本で事業拡大する外資系コンサルティング企業が日本で売り上げを記録した場合、その一定割合が本国へ送金されているはずであり、その寄与も相応に大きいと推測される。
その意味で通信・コンピューター・情報サービスは確かにデジタル赤字だが、専門・経営コンサルティングサービスの全てをそのように総称することはできない。後者に関してはデジタル関連割合を特定することが公表統計からでは難しい。
ちなみに研究開発サービスの赤字も2012年度から2022年度の間に約1.2兆円(5395億円の赤字から1兆7671億円の赤字)拡大している。
科学技術・学術政策研究所 (NISTEP)の報告書などを見ると、日本における民間部門の研究者数はほとんど伸びておらず、これが諸外国対比で見て異様な状態であることが指摘されている。
研究開発拠点としての脆弱性が増す中、研究開発サービスの受け取りよりも支払いが増えるのは必然である。これまで日本では「モノ作りは海外だが、頭脳労働は国内」という暗黙の了解があったように思われるが、統計を見る限り、頭脳労働も流出が始まっているように見える。
<唯一の黒字も頭打ちか>
なお、日本のその他サービス収支で唯一の黒字を稼ぐ知的財産権等使用料も楽観はできない。知的財産権等使用料は特許権などの産業財産権等使用料と音楽や映像の使用権などを含む著作権等使用料から構成される。
日本の知的財産権等使用料は産業財産権等使用料が黒字を記録する一方、著作権等使用料が赤字を記録する構図だが、近年、著作権等使用料の赤字が膨らんでいる。産業財産権等使用料とは日本企業が海外子会社等から受け取るロイヤリティであり、親子間取引の結果である。言うまでもなく日本企業の海外生産移管の結果であり、アジアや北米からの受け取りが多いことで知られている。
片や、著作権等使用料は「ソフトウェアや音楽、映像、学術を複製して頒布するための使用許諾料」と言われ、近年利用の増える海外企業による音楽や動画配信サービスを利用した時の支払いはここに記録される。著作権等使用料で増勢が続けば、知的財産権等使用料の黒字は徐々に水準が切り下がることが予想される。
以上のように、デジタル関連分野やコンサルティング分野、そして研究開発分野のように、これまで注目されていなかった項目から外貨が漏出する構造が根付き始めているのが、近年の日本の対外経済部門の実情と言える。
円相場の現状や展望を議論する上では米連邦準備理事会(FRB)の利上げ回数やその幅、雇用統計や消費者物価指数など米国の単月指標の振れに注目することも当然重要ではある。
しかし、近年の日本の対外経済部門で起きている動きを見ると、中長期的な視座に立って構造変化を踏まえながら円相場の見通しを検討することが重要になりつつある、というのが筆者の基本的立場である。
編集:田巻一彦
(本コラムは、ロイター外国為替フォーラムに掲載されたものです。筆者の個人的見解に基づいて書かれています)
*唐鎌大輔氏は、みずほ銀行のチーフマーケット・エコノミスト。2004年慶應義塾大学経済学部卒業後、日本貿易振興機構(ジェトロ)入構。06年から日本経済研究センター、07年からは欧州委員会経済金融総局(ベルギー)に出向。2008年10月より、みずほコーポレート銀行(現みずほ銀行)。欧州委員会出向時には、日本人唯一のエコノミストとしてEU経済見通しの作成などに携わった。著書に「欧州リスク:日本化・円化・日銀化」(東洋経済新報社、2014年7月) 、「ECB 欧州中央銀行:組織、戦略から銀行監督まで」(東洋経済新報社、2017年11月)。新聞・TVなどメディア出演多数。
*このドキュメントにおけるニュース、取引価格、データ及びその他の情報などのコンテンツはあくまでも利用者の個人使用のみのためにコラムニストによって提供されているものであって、商用目的のために提供されているものではありません。このドキュメントの当コンテンツは、投資活動を勧誘又は誘引するものではなく、また当コンテンツを取引又は売買を行う際の意思決定の目的で使用することは適切ではありません。当コンテンツは投資助言となる投資、税金、法律等のいかなる助言も提供せず、また、特定の金融の個別銘柄、金融投資あるいは金融商品に関するいかなる勧告もしません。このドキュメントの使用は、資格のある投資専門家の投資助言に取って代わるものではありません。ロイターはコンテンツの信頼性を確保するよう合理的な努力をしていますが、コラムニストによって提供されたいかなる見解又は意見は当該コラムニスト自身の見解や分析であって、ロイターの見解、分析ではありません。
私たちの行動規範:トムソン・ロイター「信頼の原則」