August 29, 2018 / 7:28 AM / 3 months ago

コラム:米FRBが長短金利操作を検討する日=井上哲也氏

[東京 29日] - 米連邦準備理事会(FRB)が8月22日に公表した7月31日―8月1日の連邦公開市場委員会(FOMC)議事要旨によれば、政策金利が「事実上の下限(ELB)」に達した場合の政策手段について、執行部の分析も活用しながら検討を行ったことが明らかになった。

 8月29日、野村総合研究所の井上哲也氏は、米FRBが量的緩和と同じく長短金利操作についても、日本の先行例を研究し、米国流に変えて採用するかどうかは今後の興味深いテーマだと指摘。写真はパウエルFRB議長。米ワシントンで7月撮影(2018年 ロイター/Mary F. Calvert)

ELBとは「Effective Lower Bound」の略で、景気後退時にどこまで政策金利を引き下げることができるかを表す概念である。従来は、ZLB(Zero Lower Bound)、すなわち「ゼロ金利下限」と言われていたが、欧州中央銀行(ECB)や日銀がマイナス金利政策を導入したこともあり、より広い概念としてELBの語が使われるようになった。

米国では過熱感が指摘されるほど景気が好調なのに、金融当局者がこうした議論を行うことは、「ぜいたくな悩み」のように映るかもしれない。だが、FRBの立場からは、以下の通り、真剣に考えるべき理由が存在する。

<今後10年でELBに複数回直面する恐れも>

まず、パウエルFRB議長が8月24日、ジャクソンホール会議での講演で強調した慎重な利上げスタンスの下では、今回の景気拡大における政策金利の最高到達点が3%前後にとどまる可能性が高いことである。

日欧から見れば3%は十分高い水準だが、米国の過去の景気循環のうち1980年代以降だけでも5%程度は確保できたことに比べれば相当に低い。

長い目で見ても、景気拡大局面で平均的に到達し得る政策金利の最高到達点が、過去に比べて低下することへの懸念もある。ファンダメンタルな面では、その最大の理由は米国の長期的なインフレ率や経済成長率が低下しており、かつなかなか元に戻らないことにある。

このため、短期的にも長期的にも、FRBにとって景気後退に対応するための利下げ余地は小さくなり、以前よりも容易にゼロ金利になってしまう懸念が生ずる。実際、上記の議事要旨によれば、執行部は今後10年の間に政策金利がELBに複数回にわたって直面するとの推計を示したようだ。

もちろん、この問題は突然浮上したわけではなく、FRBは以前から十分意識していた。だからこそ、2017年6月のFOMCで決定した金融政策の「正常化」に関する方針でも、今後は政策金利の上げ下げを主たる政策手段にするが、利下げだけでは十分に緩和的な金融環境を実現できない場合にはバランスシートの規模や内容に関する政策手段(つまり量的緩和のような資産買い入れ)を活用するとの考え方を明確に示している。

それにもかかわらず、ここへきてFRBがこうした検討を行ったことは一層興味深い。つまり、上記の議事要旨が示すように、FOMCメンバーが資産買い入れは有効ではあるが効果は強くないとの理解を共有し、だからこそ打開策を模索しているようにみえるからだ。

<「平時」の多用には疑問が残る資産買い入れ>

そこで、FRB自身の議論も参照しながら資産買い入れの効果を改めて整理すると、第1に、金融危機の際に金融仲介を回復したり、資産価格の過小評価を修正したりする上では有効である。この点は、パウエル議長による上記の講演でも確認されているし、FRBだけでなく金融市場でも広く共有されている。

第2に、タームプレミアム(期間に伴う上乗せ金利)を相応に引き下げる上でも有効だ。フィッシャー前FRB副議長が2015年の講演で整理したように、定量的な効果に関する推計にはばらつきもあるが、量的緩和の第1弾から第3弾を通してみれば10年国債の利回りに対して100ベーシスポイント(bp)を超える引き下げ効果があったとの結果が多い。一見すると小さい印象を与えるが、短期政策金利でなく長期金利を直接に引き下げている点に注意すべきだろう。

しかし第3に、資産買い入れの運営を機動的に行うことは容易ではない。この点は縮小したり、撤退したりする局面に特に当てはまる。実際、FRBは量的緩和の第2弾のように大規模な資産買い入れを大きなストレスなく実施したが、量的緩和の第3弾に象徴されるようにその縮小は極めて緩やかに進めざるを得なかった。さらに、買い入れた資産の削減に至っては、原則として市場での売却を行わず償還に委ねるだけに、相当な時間を要することが明らかだ。

この3点目が意味することは、大規模な資産買い入れを行った場合、それを元に戻すための時間が通常の景気循環を上回ってしまう可能性が高いことである。その意味で、資産買い入れは相応に有効だが効率性には難のある政策手段ということになる。

資産買い入れの縮小や撤退を慎重に行わなければならない理由の大きな部分が危機後の経済構造の脆弱性にある点も含めて、まさに資産買い入れは「有事」の政策手段であって、「平時」の多用には疑問が残ることになる。

<日銀の「長短金利操作」は参考になるか>

こうした観点から言えば、FRBがELBに直面したとしても、現在の日銀のように比較的小額の資産買い入れで長期金利を抑制できるのであれば、それは効率的な政策手段となり得る。しかも、7月末に日銀が決定したように、長期金利の目標値を10bp単位で調整できるのであれば、機動性の面でも魅力的である。

もちろん、話はそう単純ではない。まずFRBは、日銀が長期金利をコントロールできている要因が米国にも妥当するかどうかを検討する必要がある。

しばしば米国から指摘される点として、日本は長期の成長率やインフレ率が低いので長期金利の抑制が比較的容易であるという理解がある。それ自体は正しいが、FRBは米国のファンダメンタルズに即して長期国債金利の誘導目標水準を相対的に高くすれば、米国の経済構造の下で政策効果を発揮し得るはずである。

むしろ、この点に関してはマイナス金利との関係にも注目すべきだろう。日本では成長率やインフレ率の低さもあって、将来にわたってマイナス金利の局面が何度も実現するとの予想が生じ、長期金利の上昇圧力が抑制されている可能性である。

その意味でFRBは、マイナス金利政策とイールドカーブ・コントロール(長短金利操作)が相互補完的である点にも注意する必要がある。

一方、国内市場で意識される点として、日銀による国債市場での価格支配力が非常に強いとの理解がある。これは、ストックにとどまらず、(日銀による買い入れだけでなく政府の発行額も減っているため)フローで見ても依然として日銀のプレゼンスが大きい事実や、市場金利が目標を上回る恐れが生じた場合の「指値オペ」を含む日銀のコミットメントの強さに基づく面が大きいのだろう。

これらの点はFRBも対応できるように思われるが、日本の市場では依然として国内投資家の存在が支配的で、相対的に少数の大手プレーヤーに対して政策当局による「道徳的説得」が利きやすい点では、米国との相違も感じられる。

加えてFRBは、長期金利の引き下げが景気や物価以外の面で持ち得る影響についても、日米での違いを認識する必要があろう。このうち、金融システムに及ぼす影響については大きな違いがある。

実際、緩やかな利上げの下で長期金利の上昇が抑制されている現在の米国では、株価だけでなく広範なクレジット商品の価格も顕著な上昇を示した。同時に、伝統的な銀行の金融仲介機能の外で行われる金融取引(いわゆるシャドーバンキング)や資本市場も量的に拡大している。これらの点は、長期金利の引き下げが可能であれば政策効果も大きいことを示す一方で、将来に向けて金融システムの不安定化につながる要因を作っているとも言えよう。

他方、財政に対する影響にはそこまで大きな差異はないかもしれない。長期金利を引き下げれば、少なくとも結果的に国債費は軽減されるが、長い目で見ればこのことが財政規律の維持を難しくするリスクが残る点で、日米の置かれた状況に差異はない。

経済規模と比較した場合の債務残高はもちろん日本の方が厳しいが、歳出スタンスの面では、周知の通りトランプ米政権が拡張的な財政政策志向を強めるなど、米国には日本以上に懸念すべき面も現れ始めている。

ELBに対する政策手段が乏しいだけに、日米間での構造的な相違や他の政策との関連を考慮しても、FRBが潜在的な効率性や機動性を有する長短金利操作を最初から放棄するのももったいないように思う。量的緩和と同じく長短金利操作についても、先行した日本の例をFRBが研究し、最終的には米国流に変えて採用するかどうかは、今後の興味深いテーマである。

井上哲也氏(写真は筆者提供)

*井上哲也氏は、野村総合研究所の金融イノベーション研究部主席研究員。1985年東京大学経済学部卒業後、日本銀行に入行。米イエール大学大学院留学(経済学修士)、福井俊彦副総裁(当時)秘書、植田和男審議委員(当時)スタッフなどを経て、2004年に金融市場局外国為替平衡操作担当総括、2006年に金融市場局参事役(国際金融為替市場)に就任。2008年に日銀を退職し、野村総合研究所に入社。主な著書に「異次元緩和―黒田日銀の戦略を読み解く」(日本経済新聞出版社、2013年)など。

*本稿は、ロイター外国為替フォーラムに掲載されたものです。筆者の個人的見解に基づいています。

(編集:麻生祐司)

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