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コラム:ポンド危機に学ぶ人民元ショック療法=唐鎌大輔氏
2016年1月21日 / 08:14 / 2年後

コラム:ポンド危機に学ぶ人民元ショック療法=唐鎌大輔氏

[東京 21日] - 足元の悲観ムードの源泉を挙げるとすれば、それはやはり断続的な人民元安誘導とその原因である中国経済の減速懸念となろう。

「悲観の極み」とも言えるムードの中、毎日午前10時15分に発表される元の対ドル基準値が前日比横ばい、もしくは高値に設定される時は相場心理が改善する傾向が見られる。だが、中国当局が自国経済の実態やそれに対する市場の眼差しと真摯に向き合うつもりならば、断続的な元安誘導やこれをフォローするかのような微妙な元高修正は悪手だろう。

これまでの展開を見る限り、そうした場当たり的かつ中途半端な対応で市場が「あく抜け感」を覚えることは難しい。しかも、市場心理に歯向かうような為替誘導の代償として外貨準備は確実にすり減っていく。

昨年12月末時点で中国の外貨準備は約3.3兆ドルと依然潤沢であり、市場(元売り)に立ち向かい続ける「弾薬」としては相当な余裕がある。だが、これが3兆ドルを割り込み、さらに2兆ドル、1兆ドルを割れていくような展開になった場合、手薄になった通貨防衛力を前に投機的なアタックが勢いづく懸念がある。

そうした悲観シナリオを見越した場合、十分な防衛力を備えている今こそ、フロート化とともに元相場を大幅に急落させる好機と考えられなくもない。国際金融大国を志向する以上、追い込まれてフロート化させられるパターンだけは中国としても避けたいはずである。一度下げたいところまで下げさせれば、痛みは急性的だが一時的なもので済む可能性がある。

<英ポンド危機の教訓>

歴史を踏まえれば、危機的な結末を想像するのはむしろ自然だ。中国は2005年7月に元相場のドルペッグを見直し、現行の管理変動相場制に移行したが、その後もドルペッグの色合いを残してきた。

毎日公表される基準値が当局の手に委ねられている以上、元相場が「フリーフォール」状態になることはないし、逆に際限のない騰勢に悩まされることもない。よって、市場の下げたい水準ないし上げたい水準まで為替相場が変動することはない。こうした管理相場は両通貨圏の実体経済に大きな乖(かい)離がない場合は問題にならないが、片方が通貨安を欲する不況で、もう片方が通貨高でも構わない好況となった場合などには問題が表面化する。

これは、通貨統合の是非を考察する際の定番理論「最適通貨圏」の議論である。最適通貨圏を形成する条件は多岐にわたるが、労働や資本などの生産要素に関し移動の自由が確保されていること、相互の貿易依存度が高いこと、インフレ率が収斂(しゅうれん)していること、景気循環が似ていることなどが一般的に指摘される。

こうした条件を満たせなかったがゆえに起きた混乱の最たるものが欧州債務危機だが、元相場の現状と展望を語る上では1992年9月の英ポンド危機を思い返すことも参考になる。

英国は90年10月、域内通貨間の為替レートを事実上固定する欧州為替相場メカニズム(ERM)への加入を表明する。ERM加盟国通貨は各国通貨間で設定される中心相場から上下2.25%の変動幅に抑制することが求められたが、当時の英国とドイツの景気格差がこの維持を難しくした。同じ90年10月にはドイツにおいて東西統一がなされ、公共投資の急拡大を背景にインフレが高進する状況に陥っていた。

こうした状況において独連銀は利上げで対抗するが、ここで当時不況に陥っていた英国との齟齬が生まれる。英国は国内景気に配慮し利下げが必要な状況であったが、対独マルク相場をERMの変動幅に収めるためには利上げが必要な状況に立たされた。欧州全体で統合に向けた機運が盛り上がっていた中、英国はERMへの追随、つまり「望まぬ通貨高」という道を選んだのだ。

だが結局、これが投機筋につけ込まれる原因となった。92年9月15日、当時の英ポンド相場が無理に高値維持されていることを見透かしていたジョージ・ソロス氏率いるクォンタムファンドは大量の英ポンド売りを浴びせ、翌16日、英中銀のポンド買い介入も空しく、英国は押し退けられるように上下2.25%の変動幅からの離脱(ERM離脱)を余儀なくされた。これが後に「ブラックウェンズデー」と呼ばれるERM危機の大まかな顛末である。

ここで英国を中国に、ドイツを米国に、そしてERM変動幅(上下2.25%)を元の対ドル基準値変動幅(上下2.0%)と読み替えると、現在の元相場の置かれた危うさが見えてくる。現状では対ドル基準値が元高方向に設定されることを歓迎するムードが強いが、悲観ムードの根源をなしている中国経済の改善にはむしろ逆効果であるように思われる。

<通貨高への「痩せ我慢」は続かない>

なお、ブラックウェンズデーには続きがある。ERMから離脱し、変動幅を維持する義務がなくなった英国では通貨ポンドが当然下落し、金利も低下した。これに応じて輸出の持ち直しなども進み、実体経済の改善も進展した。

景気回復の要因はそれだけではないだろうが、ERM離脱が英経済の回復に寄与したとの評論は多く、92年9月16日をむしろ「ホワイトウェンズデー」ないし「ゴールデンウェンズデー」と呼ぶ声すらある。近年、ユーロ崩壊を推奨する論陣の多くはこの英国の経験を理由にすることも多い。英ポンド危機の教訓は、地力にそぐわない通貨高を人為的に保とうとする行為は最終的に大混乱とともに修正を迫られるという事実である。

本ケースに限らず、嫌々ながらも通貨高に対し「痩せ我慢」し続ける場合、何らかの大義が幅を利かせていることが目立つ。それは当時の英国や今のユーロ圏にとっては「欧州の統合・深化」という理想であり、中国にとっては近年腐心している「国際金融大国としての地位向上」といったところだろうか。昨今の米連邦準備理事会(FRB)による利上げも「危機対応からの脱却」という大義に執着した結果であり、「望まぬ通貨高」につながっている。

そうした大義は具体的な形を伴わないが、当該国にとっては崇高なものであるため、プライドが邪魔をして正確な判断を狂わせる恐れがある。アジアインフラ投資銀行(AIIB)設立や特別引き出し権(SDR)構成通貨への組み入れなど、大義の実現に向けて象徴的な出来事が相次ぐ中、中国が自国通貨の暴落をあえて容認する完全フロート化という決断をするのは容易ではないだろう。だが、どこかで売り一巡感を経て、市場に「あく抜け感」(いわゆるセリングクライマックス)を持たせない限り、無為に外貨準備を減少させ、将来的な通貨危機の確率を高めるだけにも思われる。

ただ、中国人民銀行が現状の政策運営(断続的な元安誘導と微妙な元高誘導)を続けても軟着陸できる可能性はある。それはFRBが正常化プロセスを諦めるという展開だ。FRBが「危機対応からの脱却」という大義からいったん離れ、ドル高是正という現実的な対応にシフトした場合、過度な元安への心配も和らぎ、ドルペッグの色合いを残すこともある程度は可能になる。そうなれば外貨準備が減少し続ける状況も変わろう。

すでに米製造業の景況感が不況入りを示唆している現状を見る限り、実はこの展開が一番あり得るのかもしれない。しかし、「FRBの挫折」が中国の通貨危機から連なる世界同時不況を救うという構図になるのだとしたら、何とも皮肉なことである。

*唐鎌大輔氏は、みずほ銀行国際為替部のチーフマーケット・エコノミスト。日本貿易振興機構(ジェトロ)入構後、日本経済研究センター、ベルギーの欧州委員会経済金融総局への出向を経て、2008年10月より、みずほコーポレート銀行(現みずほ銀行)。欧州委員会出向時には、日本人唯一のエコノミストとしてEU経済見通しの作成などに携わった。2012年J-money第22回東京外国為替市場調査ファンダメンタルズ分析部門では1位、13年は2位。著書に「欧州リスク:日本化・円化・日銀化」(東洋経済新報社、2014年7月)

*本稿は、ロイター日本語ニュースサイトの外国為替フォーラムに掲載されたものです。(here

*本稿は、筆者の個人的見解に基づいています。

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