[東京 7日] - 日銀が9月に導入した「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」は、景況感や為替市場の動きを上下両方向に加速させる政策だ。財政出動など他の景気刺激策とセットで効果を発揮しやすい。
この金融政策の枠組みは、1940年代の米国における金利の釘付け政策と似ている。この時代は戦中と戦後の2つの局面に分けられ、ダウ平均株価は戦後に財政支出が減少する局面では横ばいとなったが、戦時中に世界的な戦費支出が行われた局面では2倍近くも上昇した。
財政支出次第の「他人任せ」政策のようにも見えるが、日銀は世界的な財政支出(もちろん戦費支出でなく経済対策への支出)で今後の景況感が回復しやすく、銀行の貸し出しも伸びると判断したのだと思う。本稿では、日銀が想定している密(ひそ)かな勝算を考えたい。
<新たな枠組みの景気循環増幅効果>
まず、今回の金融政策の枠組みは、「プロシクリカリティ(景気循環増幅効果)」が強いことを確認したい。要するに、前述の通り、景気や為替市場の動きを上下両方向に増幅させやすい。
本来、金融政策はカウンターシクリカル(景気循環に対して抑制的)な性格を持っている。しかし、景気が良くなっても10年債がゼロ%近傍のイールドカーブを維持すると、例えば現状の80兆円の国債買い入れでは足りなくなるかもしれない。つまり、景気が良くなれば、資金をより多く供給することになる。
なお、国債買い入れ額については、おおむね現状程度の買い入れペースをめどとするとしたが、事実上、イールドカーブ維持の目標を実現するための手段に格下げとなった。
実質金利で考えても、インフレ率が高まったら、その分すべてが実質金利の低下要因となる。つまり、長短金利を固定的に扱うことで、景気が良い時には緩和効果が上がる。
逆に、景気が悪くなって、イールドカーブが自然と低下し始めると、国債購入額は減っていこう。実質金利も上昇しやすい。つまり、景気が悪い時には緩和効果が落ちる。
同様に、新しい金融政策の枠組みは為替の動きも増幅する。通常ならば、円高となれば長期金利が低下し円の魅力は縮小する。このようにカウンターシクリカルに働きやすい。
しかし、新しいフレームワークでは、円高となっても金利は下がらず量的緩和が縮小するのだからデフレスパイラルが続きやすい。一方、円安となっても、名目金利は上がりにくく、実質金利は低下して、量的緩和も拡大しやすい。よって、円安が加速しよう。
このように、今回の金融政策の枠組みは、景気や為替市場の動きを上下両方向に増幅する効果が強いと言える。
<日銀の決断を促した世界的な財政出動見通し>
では、世界的な財政出動と日本の銀行貸し出し増加に期待できる根拠は何か。
まず前者について言えば、国際交渉の場では、中国が人民元切り下げを思いとどまる代わりに、先進各国には財政刺激策が求められてきた。そこで、昨年12月には米国で陸上交通修繕(FAST)法が成立し、5年間で3050億ドル(約31兆円)の公共投資が決まった。
カナダ政府も今年3月、インフラ投資などに10年間で1200億カナダドル(約10兆円)を投じる計画を発表した。国内総生産(GDP)換算すると日本なら30兆円レベルだ。
さらに、日本では2年程度で28.1兆円の経済対策の一部となる今年度補正予算案が間もなく成立する見通しだ。
こうした報告が20カ国・地域(G20)財務相・中央銀行総裁会議の場で行われてきており、そこに日銀の黒田東彦総裁や幹部は居合わせている。
最終的に、9月の中国・杭州G20首脳会議では競争的な通貨切り下げを回避することが再確認された。実際、このところ人民元安の動きが止まってきた。世界へのデフレ圧力となる人民元の切り下げは当面回避されるだろう。
加えて、杭州G20は、鉄鋼の過剰生産能力の解消に向けた枠組みの構築でも合意した。中国政府が全株を握っている宝鋼集団と武漢鋼鉄集団の経営統合が発表され、鞍鋼集団と中堅の本鋼集団の合併協議も進んでいると報じられた。個別産業でも中国発デフレの輸出は穏やかなものになるだろう。
その他にも、9月6日には財政規律に厳しいドイツのショイブレ財務相でさえ、「総額でおよそ2700億ユーロ(約31兆円)の投資計画のカタログがある」と2020年までの財政計画をドイツ議会で説明した。また、民主党のヒラリー・クリントン米大統領候補は5年間で2750億ドル(約28兆円)の公共投資の増加プランを公約しているし、共和党のドナルド・トランプ候補は少なくともその倍との表現でインフラ投資増加を公約している。
つまり、財政支出は日本だけでなく世界中で数年継続することが期待されるのだ。日銀は今回の枠組みが効果を発揮しやすいと考えたのだろう。
<次は銀行が貸し出し増で応える番>
次に、日本の市中銀行が貸し出しを伸ばす可能性を指摘したい。今回日銀がマイナス金利の深掘りを見送り、市中銀行の金融仲介機能に対して一定の配慮を見せた。
実際、全国地方銀行協会の中西勝則会長(静岡銀行頭取)は早々に歓迎のコメントを出した。よって、今後は市中銀行が金融仲介機能を発揮しなければならない。つまり、貸し出しを伸ばさなければならない番だ。現在は沈黙を守る都銀も同様だろう。
今回、銀行は金融庁にとりなしを頼んだ格好ともなった。したがって、金融庁が望むコンサルティング機能を生かした貸し出し増加などに、今後、銀行は一段と真剣に応えないとならないだろう。マイナス金利で失った貸し出し意欲を奮い立たせる時だろう。
逆に、貸し出しを伸ばさないと、景況感の悪化につながり、マイナス金利の深掘りを誘ってしまう。こうした合成の誤謬(ごびゅう)的な市場の失敗問題には所轄官庁の指導が期待されるところだ。筆者は銀行と日銀の間で、金融庁を仲介とする手打ちが成立すると思う。
さて、かつての押し紐(ひも)論争が、時代を超え別のかたちで結論を得たと筆者は思う。押し紐とは、銀行という馬の背に乗る御者を日銀に例え、金融政策という手綱を手前に引き締めれば馬は止まるが、金融緩和で手綱という紐を前に押しても、手綱が緩むだけで馬が進むとは限らないとの例え話だ。
1992年当時から昨年までは量の議論だったが、今年から御者の手の位置は金利を表す。腕は前に長く伸ばされ、金利のゼロ%といえる馬の口元を越え、手は今や馬の前方に位置している。マイナス金利だ。腕を押す力は手から紐に伝わり、馬を前に引いているように思う。馬は引っ張られるのが嫌でも、これ以上手が前に出るマイナス金利の深掘りが嫌なら、貸し出しを伸ばし、御者の思う方向に進まざるを得ない。
なお、⼤規模な経済危機時における、信用保証制度のセーフティーネット機能強化などが今回の経済対策に盛り込まれたことも、日銀の新政策導入を後押ししたと見ている。
世界の金利は今後上昇するだろうが、それでも日本の金利は上昇させないことで、円安や株高、日本の景気回復が進むと日銀は考えているのだろう。日銀のこの勝算に期待したい。
*木野内栄治氏は、大和証券投資戦略部のチーフテクニカルアナリスト兼シニアストラテジスト。1988年に大和証券に入社。大和総研などを経て現職。各種アナリストランキングにおいて、2004年から11年連続となる直近まで、市場分析部門などで第1位を獲得。平成24年度高橋亀吉記念賞優秀賞受賞。現在、景気循環学会の理事も務める。
*本稿は、ロイター日本語ニュースサイトの外国為替フォーラムに掲載されたものです。
(編集:麻生祐司)
*本稿は、筆者の個人的見解に基づいています。
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