嶋津洋樹 MCP チーフストラテジスト
[東京 10日] - 米国の保護主義的な通商政策と、それに反発した中国の対抗措置を受けて、「米中貿易戦争が起こり、世界景気にも悪影響が及ぶ」との懸念が強まっている。
こうした懸念のきっかけは、米国が3月23日、安全保障に対する脅威を理由に、米通商拡大法232条を適用する形で鉄鋼とアルミニウムへの輸入制限を発動、それに反発した中国が4月2日、米国から輸入する128品目に対し、関税を上乗せする対抗措置に踏み切ったことだ。
また、トランプ米大統領は3月22日、中国が知的財産権を侵害しているとして、同国が米国へ輸出する製品に追加関税を課すこと(米通商法301条の発動)を認める大統領令に署名。4月3日には、その具体的な措置として、ハイテク分野を中心とする中国製品約1300品目案を公表し、通商政策で中国に譲歩するつもりがない姿勢も示した。
一方、中国は4月4日、同国を狙い撃ちにした後者の貿易制裁に対する対抗措置として、大豆、自動車、一部の航空機やトウモロコシなどを含む米国製品106品目に対して25%の追加関税を課す方針を表明。こちらも米国の要求には簡単に屈するつもりがないことを示した。
トランプ大統領が4月5日に追加関税を検討していると明らかにしたこと、中国がそれにも反撃する方針を示していることで、「貿易戦争」は一見、現実味のあるリスクになったと言えるだろう。
<大恐慌時とは違う>
もっとも、トランプ大統領が打ち出した今回の2つの措置は、必ずしも同じ目的に基づいたものではないと筆者は考える。米中間の貿易摩擦の激化はあっても、1930年代の大恐慌時にみられたような世界的な保護貿易の拡大という意味での貿易戦争に発展するとは思わない。つまり、トランプ大統領が狙うのはほぼ中国だけで、全世界を敵に回すものではないとみている。
もう少し踏み込んで言えば、鉄鋼とアルミニウムの輸入関税については、国内世論を意識したポーズの色彩が濃く、それ以上でもそれ以下でもない可能性が高い。一方、中国に対する措置は、同国が近年、米国への対抗意識を鮮明にしていることを受けたもので、それを決して認めないという米国の立場を示したものと受け取れる。
実際、トランプ大統領は4月4日、米中間の貿易戦争について「行っていない」と否定。中国に対する一連の措置について、若干の痛みが出る可能性もあるが、長期的には米国のためになるとの考えも示した。これは、1930年代の大恐慌時のような保護貿易主義を意図していないことを物語るだろう。
ムニューシン米財務長官は4月8日、テレビ番組に出演し、中国が自由かつ公正で互恵的な貿易のための条件づくりに同意する必要性があると強調。米国の対中貿易赤字は中国が不公正で一方的な通商政策を行っている結果との認識を持っていることを示唆した。
また、ロス米商務長官は2017年7月31日の米系メディアへの寄稿で、「中国は市場経済ではない。中国政府はナショナルチャンピオン(国を代表する大企業)を育成し、そして市場を著しく歪める他の措置を講じている」と指摘。トランプ大統領もこうした認識を共有している可能性が高い。
<対中政策の正念場>
実際、米政権の認識は、ファクトに基づいている。例えば、中国の輸出金額は、同国が世界貿易機関(WTO)に加盟した2001年12月前後から急速に拡大。国際通貨基金(IMF)のデータに基づくと、世界の輸出金額に占める中国のシェアは1980年に1.0%、1990年に1.9%、2000年に3.9%と、ほぼ10年間隔で倍増している。
しかも、2006年には8.0%とさらに倍増。その期間は6年と一気に短縮した。ちなみに、中国が名目国内総生産(GDP、ドル換算ベース)で日本を逆転したのは2010年である。
中国はWTO加盟の際、法令の透明性確保など、法治行政を確立することを約束。そこには知的財産保護の強化も含まれていたが、政治体制の特殊性という国内事情が優先され、取り組みの遅れが続いた。そこへ、米国の住宅バブル崩壊に端を発した世界的な金融危機が発生。米欧の危機対応力の限界が明らかになる一方、中国が存在感を発揮したことで、取り組みの遅れは見逃されがちとなった。各国には巨大な中国市場に参入し、景気回復に利用したいとの思惑もあったと考えられる。
その間、中国はIMF副専務理事のポストを獲得(2011年)。2015年には、翌年10月から人民元を特別引き出し権(SDR)の5番目の通貨として採用することも認められた。2016年には、日米が主導するアジア開発銀行(ADB)に対抗し、アジアインフラ投資銀行(AIIB)を開業。中国経済圏の樹立を目指して2014年に掲げた「一帯一路」構想や、従来から「真珠の首飾り」構想として知られるシーレーン戦略の強化とともに、米国への対抗心をむき出しにしている。
オバマ前米大統領は、こうした動きをみせる中国に当初、融和的な態度で接していたが、トランプ大統領は「米国第一」を掲げて、当初から警戒感を抱いていたと考えられる。中国が人工知能(AI)やビッグデータなどの最先端分野で米国に匹敵する力をつけつつあることも、トランプ大統領は面白くないのだろう。そうした分野での遅れは、経済力のみならず、軍事力での逆転にもつながりかねない。
しかも、米国にとって厄介なのは、AIやビッグデータの研究成果が中国のように事実上の一党独裁体制の国と親和性が高いことである。つまり、中国政府にしてみれば、そうした研究は人々の言動を把握するのに役立つため、ヒト・カネ・モノを優先的に割くインセンティブが非常に高い。米国と異なり、人権保護や個人情報の管理に関する規制が緩く、政府の都合で恣意的に運用できることも、研究の進展に好都合だろう。
トランプ大統領が打ち出した一連の政策は、中国のそうした動きに資金面、規制面から一定の歯止めをかけようとする試みなのではないだろうか。筆者のこうした理解が正しければ、米国はその目的を達するまで強硬姿勢を貫く可能性が高い。しかし、狙いはあくまで米国に対抗しようとする中国であって、他の国ではない。それがエスカレートして米中間の貿易摩擦が激化することはあっても、世界中に保護貿易が蔓延(まんえん)するような事態は想定しにくい。
むろん、米中間の貿易摩擦が金融市場の動揺を通じ、自己実現的に世界景気を大幅に減速させるリスクは否定できない。また、そこまで深刻化しなくとも、中国製品に対する輸入関税の引き上げがドル安とともに米国のインフレを加速させ、金融引き締めによって、米国の景気後退入りが早まる可能性もあろう。ただ、金融市場の最近の反応は、そうしたリスクを冷静に織り込んでいるというよりも、貿易戦争に対する一種の「ヒステリー」を起こしているようにみえる。
なお、中国の習近平・国家主席は本稿を執筆中の4月10日にボアオ・アジアフォーラムで演説。その中で、外国企業の知的財産を保護することや、国内市場を外資企業に開放する方針を表明し、トランプ大統領の要求の一部を事実上受け入れる姿勢をみせた。
習主席がわざわざこのタイミングでこうした話題に触れたこと、それを受けて金融市場に安心感が広がっていることは、いずれもこれまでの反応が過剰だったことを示しているのではないか。
*嶋津洋樹氏は、1998年に三和銀行へ入行後、シンクタンク、証券会社へ出向。その後、みずほ証券、BNPパリバアセットマネジメントなどを経て2016年より現職。エコノミスト、ストラテジスト、ポートフォリオマネジャーとしての経験を活かし、経済、金融市場、政治の分析に携わる。共著に「アベノミクスは進化する」(中央経済社)
*本稿は、ロイター外国為替フォーラムに掲載されたものです。筆者の個人的見解に基づいています。
(編集:麻生祐司)
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