[東京 22日] - 日銀は、物価安定目標の達成時期をこれまで6度にわたって先送りし、現時点では2019年度頃としている。このため、日銀の長短金利操作付き量的・質的金融緩和は長期化すると見込まれる。
一方、欧米の主要な中央銀行は、徐々に正常化へと軸足を移しつつあり、内外の金融政策スタンスの格差は著しい。このため、為替市場では円安予想が根強く、米商品先物取引委員会(CFTC)によれば円の売り越し幅(投機筋の円ショート)が7月中旬にかけて約2年半ぶりの規模にまで急拡大し、ドル円も7月上旬に114円台半ばに達する場面がみられた。
今後も低金利通貨調達/高金利通貨運用といったキャリー取引が意識されやすく、円ショートが拡大する場面がみられよう。ただ、結論から言えば、以下複数の理由から、筆者はこうした円キャリートレードの勝算は低く、年末にかけて緩やかなドル安円高傾向が続くとみている。
<しぼむインフレ期待>
第1に、長短金利操作付き量的質的緩和の長期化を根拠に、円安を当然視するのは必ずしも合理的とは言えない。
確かに、これまで日銀は指し値オペなどによって、円金利の上昇を抑え込むことに成功している。ただし、総括的検証を経て、低過ぎる金利やフラット過ぎるイールドカーブの弊害を是正するために長短金利操作を導入した経緯から、金利の低下余地も限られている。このため、海外の金利が上昇する場面では金利差拡大が円安圧力となる一方、海外の金利が低下する場面では金利差縮小が円高を招く。
つまり、長短金利操作によって円安圧力と円高圧力のどちらが勝るのかは、海外金利の動向に依存しており、それは日銀のコントロール外だ。世界的な低インフレが懸念され、米国でさえ年初来、長期金利は低下傾向をたどっている。今後とも内外の金利差は拡大しづらいだろう。
第2に、円相場に強い影響を及ぼすのは、名目ではなく、実質金利(名目金利-インフレ期待)だ。特に日本では名目金利が極めて低いため、円相場にとって重要なのはインフレに対する期待感となる。すなわち、インフレ期待が高まれば、実質金利の低下が円安を、インフレ期待がしぼんでデフレマインドが復活すれば、実質金利の上昇が円高を招くメカニズムが働きやすい。
その点、債券市場のインフレ期待を示すブレークイーブン・インフレ率(10年物)は、10カ月ぶりの低水準に沈んでおり、これが実質ベースでみた円金利の上昇と円高圧力を招いている。日銀は現行の緩和政策枠組みをもってしても、市場のインフレ期待をコントロールできていないと考えられる。
第3に、日銀緩和の持続性や連続性に疑念が生じる可能性が高い。日銀の国債保有残高は、今年3月末の時点で約427兆円と、全体の約4割に達しており、量的な拡大はいずれ限界を迎えるとの懸念が消えない。
さらに、来年4月の黒田東彦日銀総裁の任期到来後、政策の連続性に変化が生じる可能性も次第に意識されそうだ。もちろん、黒田総裁続投の可能性もあるが、仮に総裁が交代する場合は要注意だ。
たとえ同じリフレ派であっても、量的緩和と金利誘導とのバランス、マイナス金利の副作用の考え方、オーバーシュート型コミットメントへのコミット度合い、正常化へのスタンス、市場との対話姿勢などいずれをとっても、黒田総裁とは異なる可能性の方が高いと考えられるためだ。
<今回は逃げ足の速い円ショート>
最後に、円ショートが造成された場合も、すぐに円の買い戻しが誘発されやすいと考えられる。基本的に、円キャリートレードにとって重要なのは為替相場の安定、すなわち低ボラティリティーと多少の円高にも持ちこたえるだけのバッファーをもたらす金利差だ。
例えば、円キャリー取引が活発化した2005年から2007年7月までを振り返ると、3カ月物LIBOR(ロンドン銀行間取引金利)でみた日米金利差は平均して約4.3%、ボラティリティーが8.0%(いずれも年率)だった。対する足元の日米金利差はわずか1.3%程度にとどまり、ボラティリティーは相次ぐ地政学リスクの台頭もあり、平均すると年初来、おおむね10%程度で推移してきた。リスクに中立な投資家が、ドル円の今後の値動きは正規分布に従うとの前提で判断するなら、確率論でみてとても勝ち目はない。
加えて、不穏な朝鮮半島情勢や迷走ぶりが目立つトランプ米大統領の今後の政権運営など相場の波乱要因も数多く見込まれる。もちろん、こうした環境下でも先述の通り、円ショートは造成されるとみられるが、これは金利差でのリターンが見込めない分、もっぱら為替差益を狙ったものとなりがちだ。このため、少しでも予想に反して、円高となった場合、円の買い戻しを誘発しやすいと考えられる。
したがって、すでにそうした動きとなっているが、円ショートが拡大した場合も、2005―07年当時と異なり、逃げ足の速い円ショートである点に留意が必要だろう。
足元では、景気拡大が続き、日本の労働市場が改善しているにもかかわらず、賃金が伸び悩み、物価上昇圧力も鈍い。適合的な期待形成が働く日本では、こうしたギャップを目の当たりにした分だけ、ますますインフレ期待はしぼむ恐れがある。日銀の異次元緩和が長期化する傍ら、実質金利には上昇圧力が加わり、根底での円高圧力が続こう。
一方の米国でも、低失業率と鈍い賃金上昇が併存しており、利上げ期待は低下している。利上げ期待や相対的にみた金融政策での優位性が薄れたドルには、2014年半ば以降に上昇した分の反動が加わり、緩やかなドル安圧力がかかりやすい。日本からの活発な対外投資が歯止めとなって、昨年前半ほど派手ではないにせよ、じわりとドル安円高圧力が加わり、4月に付けた年初来安値108.13円を下回っていくとみる。
*内田稔氏は、三菱東京UFJ銀行グローバルマーケットリサーチのチーフアナリスト。1993年、東京銀行(現・三菱東京UFJ銀行)入行後、国内外で一貫して外国為替業務に携わる。J-money誌の東京外国為替市場調査ファンダメンタルズ分析部門では2013年から16年まで個人ランキング1位。
*本稿は、ロイター日本語ニュースサイトの外国為替フォーラムに掲載されたものです。
(編集:麻生祐司)
*本稿は、筆者の個人的見解に基づいています。
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