July 25, 2016 / 3:02 AM / 2 years ago

コラム:安倍政権は保護主義の誘惑に勝てるか=河野龍太郎氏

[東京 25日] - 経済専門家のアベノミクスに対する一般的な評価は、「第1の矢の金融政策、第2の矢の追加財政は、限界に近いところまで発動されたが、潜在成長率の上昇につながる第3の矢の成長戦略は遅々として進んでいない」というものだろう。

株価は円安誘導で上昇していたが、円高の逆回転が始まると途端に、急低下した。一方で、過去2年間、経済は全く成長していないのに、有効求人倍率は四半世紀ぶりの高水準まで上昇している。この3年間で分かったことは、成長率が低いのは総需要が不足しているからではなく、潜在成長率そのものがゼロ近傍まで低下しているから、ということである。

だとすれば、マクロ安定化政策を追求するのはそろそろやめて、成長戦略に注力すべきという意見が広がっても良さそうなものである。にもかかわらず、金融市場では、ヘリコプター・マネー待望論が広がる一方、成長戦略に対する機運がむしろ萎えているのはなぜか。

それは、英国民投票における欧州連合(EU)離脱選択に象徴されるように、反グローバリゼーションのうねりが世界中で強まっているからに他ならない。世界的に経済構造改革を進めることが危険視されるようになっているのである。

つまり、先進各国で成長率が低迷を続ける中、潜在成長率の回復を狙って自由貿易や規制緩和を推進すると、その恩恵を享受できない人々の不満がさらに高まり、極右・極左勢力が台頭、政治的な不安定性が高まると懸念され始めている。

グローバリゼーションの進展を国民が比較的スムーズに受け入れてきた米英ですら、反自由貿易、反移民の政治的な大きなうねりが生じ、それが英国のEU離脱選択や、米大統領選でのトランプ現象やサンダース現象につながっている。

人々の怒りが募っている底流には、各国で潜在成長率が低下し、さらに労働分配率のすう勢的な低下によって、実質賃金が全く上昇していないことがある。インフレ率を高め成長を回復させようとした各国中央銀行の思惑は外れ、原油高や通貨安で人々の実質賃金はさらに低下、資産価格ばかりが上昇し、多くの人の目には、社会の奴雁(どがん、見張り役)であったはずの中央銀行が経済格差の拡大を助長しているように映る。

しかし、同じように成長率が低迷し、実質賃金の低迷が続く日本では、マイナス金利を導入した日銀への批判は激しいものの、政治の世界では、極右・極左勢力の台頭は見られず、安倍政権は先進国で最も安定した政権基盤を確保している。

ここで、懸念されるのが、日本の与党政治家が次のように感じているのではないか、ということだ。

「幸いにも成長戦略が進まず、日本では自由貿易や規制緩和などグローバリゼーションの影響が十分広がらなかったから、極右・極左勢力も台頭していない。人手は足りないが、移民政策も棚上げしたままである」

「一方で、事実上の中央銀行ファイナンスによる追加財政の継続によって、財政資金が多様な階層に行きわたり、社会の不満は和らげられている。米欧で観測されるような政治的不安定性を避けるには、今後も中央銀行ファイナンスによる追加財政を強化し、つまり事実上のヘリコプター・マネーに着手し、自由貿易や規制緩和、移民政策などの成長戦略については棚上げ、あるいは、保護主義的な政策に方向転換すべきではないのか」

もし、上記のような考えが広がっていれば、極めて由々しき事態である。

<新自由主義はどこを修正すべきか>

大規模な財政政策と反自由貿易路線は、まさに大恐慌後、各国で取られた政策パッケージだ。保護貿易的な政策は、他国からの安価な商品の流入をストップさせるため、物価水準を高め、インフレ醸成が可能となる。継続的な拡張財政が人々の職を生み出すだけでなく、保護主義的な政策の下で、生産拠点も国内に回帰するため、低所得者の賃金も相対的に回復する。経済格差も縮小するため、政治的には人々の支持が得られやすい政策だ。

しかし、安価で多様な商品が海外から流入しなくなると、実質購買力は大きく低下し、一国全体で見れば、人々は貧しくなる。自由貿易の下では、比較優位原則が働き、より高い付加価値を生み出す産業、つまりより高い賃金を生み出す産業に経済資源がシフトしていたが、その動きが逆転するのだから、潜在成長率は当然にして低下する。保護主義政策で、経済格差が縮小するといっても、それは縮小した一国全体のパイを皆で平等に分けるというのが実態だ。

本来、自由貿易や規制緩和で経済全体のパイを大きくするというのは、いつの時代であっても正しい政策のはずである。1980年前後にレーガン・サッチャー革命の下で開始された新自由主義的政策で修正を図るとすれば、一体どの部分だろうか。

例えばレーガン・サッチャーの新自由主義路線は、経済政策に限れば、以下の3つに分けられる。1)大きな政府の修正、自由貿易の推進、規制撤廃など、資源配分の効率化によって潜在成長率を高める政策、2)所得再分配を弱めることで、稼ぐ人のインセンティブをより高める政策、3)金融自由化によって、金融面でも資源配分の効率化を促す政策、の3つである。

まず、1番目の資源配分を効率化する政策については、時代がどう変わろうとも望ましい政策だ。限られた経済資源を、生産性の高い分野に振り向けるべく、市場メカニズムを機能させる。その過程で創意工夫が発揮され、人々が欲する新たな財・サービスが生み出される。その際、自由貿易を進め、規制撤廃を行って経済活動を自由にすることが、最も有効な手立てとなる。

ただし、自由貿易や規制撤廃を推進すると、スキルの高い人への経済的評価はより高まるが、スキルの低い人への経済的評価はより低下する。グローバリゼーションの影響だけでなく、スキル偏向型のイノベーションが世界的に広がっているため、スキルの高い人により有利に働き、所得格差が一段と広がる。

これにどう対応するか。経済学は、まず自由貿易や規制緩和の推進で、経済全体のパイを可能な限り高めた上で、その後、インセンティブを大きく歪めない範囲で所得再分配を進めよと教えてきた。しかし、この35年余り、各国で続けられてきたのは、所得再分配についても、より稼ぐ人のインセンティブを高めることで、全体のパイの拡大を狙った政策である。グローバリゼーションやスキル偏向型のイノベーションの進展によって格差が拡大するのに、所得再分配でそれをさらに助長した可能性がある。

この問題について、1990年代以降の日本では、低所得者も高所得者も全員が沈んでいるのであり、経済格差は拡大していないという主張もある。しかし、グローバリゼーションの進展で、もともと正規雇用でも解雇が容易であった米国を除くと、日本を含め世界中で非正規雇用が増大した。日本でも所得の分散が広がったのは間違いない。

また、多くの国では、増大する非正規雇用に対し、様々なセーフティネットが拡充されている。例えば英国では、ブレア時代にグローバリゼーションに対し、セーフティネットの拡充や人的資本を高めるニューレイバー政策が進められた。しかし、正規社員が転落しないように構築されてきた日本のセーフティネットは、非正規雇用のサポートが今でも十分ではない。

というのも、そもそもセーフティネットを供給してきたのが政府ではなく企業だったためだ。資本市場からの強いプレッシャーにさらされるようになった企業経営者は、労務コストの大きい正規雇用を絞り、セーフティネットを用意する必要のないコストの安い非正規雇用のウエイトを高めるようになった。

問題はマクロ経済にショックが訪れた場合、社会全体でリスク分担ができないと、リンクの弱い部分にばかり皺(しわ)寄せが行き、マクロ経済そのものもショックに対し脆弱になることである。不安を抱えた人が増えれば、消費が回復しないのも当然だろう。公共財としてセーフティネットを拡充する必要がある。

<豊かな高齢者は負担側に回るべき>

重要なのは、経済全体のパイを大きくするための規制緩和、自由貿易路線はあくまで維持し、その過程で生じるリスクを社会全体で分担するという視点である。そうした意味で、一億総活躍プランの方向性は妥当だが、問題は財源だ。現在の日本の社会保障制度は、高齢者へのサポートが優先され過ぎている。

医療、介護、年金を通じ豊かな高齢者までサポートを続けていては、セーフティネットの拡充を含め現役世代の困窮者をサポートすることができなくなる。高齢者へのサポートをスリム化し、それを財源に現役世代の困窮者のサポートに利用するのは不可欠だ。

例えば、基礎年金の半分は国庫負担で成り立っているのであるから、一定以上の所得がある人への減額は許されるはずである。本来の社会保障の趣旨に立ち返り、世代にかかわりなく困窮した人をサポートし、高齢者でも豊かな人は負担側に回るという制度に切り替えなければならない。

自由貿易や規制撤廃の推進は、既得権益層と闘うことを意味し、強力な政治基盤を必要とする。また、非正規雇用にセーフティネットを広げるなど、現役世代の困窮者をサポートすることには異論は少ないと思われるが、その財源として、豊かな高齢者への社会保障サービスの削減を求めると、政治的反発は高まる。打ち出した途端に、多くの高齢者が既得権益層に転じる。

しかし、強力な政権基盤が存在する安倍政権であるからこそ、そうした改革の推進が可能なのではないか。安倍政権は高い成長によって問題を解決するというが、この3年間を振り返っても、高い成長の達成は容易ではない。低い成長の下でも持続可能な社会保障制度、財政制度を構築するというのが筆者の持論である。

<学部教育ではもはや不十分>

自由貿易路線を推進するうえで、もう1つ重要な政策がある。それは、人的資本を底上げすることだ。自由貿易の進展やスキル偏向型イノベーションが続くことで、スキルの高い人の賃金は相対的に上昇するが、スキルの低い人の賃金は相対的に低下すると述べた。所得再分配である程度是正するとしても、インセンティブへの悪影響を考えると再分配を強化するにも自ずと限度はある。自由貿易やスキル偏向型イノベーションの進展でより大きなメリットを享受し得るスキルの高い人材を増やさなければならない。そのためには教育改革が必要である。

戦後、日本の教育制度はほとんど変わっておらず、学部までの教育で「一般知」の習得を終える人が今でも圧倒的多数である。しかし、より革新的な財・サービスを生み出すには、理科系のみならず、欧米のように文科系についても大学院教育を普及させ、人的資本を拡充する必要がある。

1950年代以降、平均寿命が20年以上も長くなり、人生における就業可能期間が長期化していることを考えると、学部教育ではもはや十分とは言えない。日本の場合、教育セクターは政府が強い規制を設けているため、広い意味で言えば、これは政府の失敗である。規制緩和、規制改革によって、時代の要請に応じた教育サービスの供給を可能とすることが、人的資本を高め、経済全体のパイを拡大させる。

マイナス金利やゼロ金利を活用した新幹線網の大規模な整備などが謳われている。中央銀行ファイナンスによる大規模財政、つまり事実上のヘリコプター・マネーで日本経済を活性化せよ、というのである。しかし、人口が減少し、社会インフラへの需要が減少している日本にとって、それらは喫緊の課題なのだろうか。そうした政策を進めることが、果たして潜在成長率を高めることにつながるのだろうか。答えは明らかだろう。

なお、金融自由化に関しては、貿易自由化とは全く性質の異なるものであり、その推進は、むしろマクロ経済に不安定性をもたらすと筆者は常々考えている。近年、金融イノベーションと呼ばれていたものの多くは、後知恵で考えれば、バブルの元凶となった。そもそも銀行業はシステミックリスクを内包するため、規制が不可欠である。

グローバリゼーションが貿易自由化、規制撤廃を意味するのなら、筆者は引き続きグローバリゼーション支持派である。しかし、それが金融資本主義の席捲を意味するのなら、支持はできない。

*河野龍太郎氏は、BNPパリバ証券の経済調査本部長・チーフエコノミスト。横浜国立大学経済学部卒業後、住友銀行(現三井住友銀行)に入行し、大和投資顧問(現大和住銀投信投資顧問)や第一生命経済研究所を経て、2000年より現職。

*本稿は、ロイター日本語ニュースサイトの外国為替フォーラムに掲載されたものです。

(編集:麻生祐司)

*本稿は、筆者の個人的見解に基づいています。

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