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コラム:分配政策は実現可能か、試される岸田首相の胆力と実行力=熊野英生氏

[東京 19日] - 岸田文雄首相は、過去1年間、用意周到に政策プランを練ってきたと考えられる。衆院選の自民党公約は、その岸田首相のプランを土台にしているので、筆者には他党と比較して政策に厚みが感じられる。

 10月19日、岸田文雄首相は、過去1年間、用意周到に政策プランを練ってきたと考えられる。衆院選の自民党公約は、その岸田首相のプランを土台しているので、筆者には他党と比較して政策に厚みが感じられる。熊野英生氏のコラム。写真は10月4日、東京都で代表撮影(2021年 ロイター)

1年前の自民党総裁選で菅義偉前首相に敗れてから、岸田首相は捲土重来(けんどちょうらい)を期して、周到に政策パッケージを準備してきたに違いない。筆者は、その政策に期待感を抱く反面、どこまで徹底的に分配政策を押し進められるか、不安を感じる。なぜならば、徹底してやり抜く決意がないと、この先で相当の抵抗が待ち受けていると直感するからだ。

<賃金・物価のパラダイム転換>

アベノミクスは当初、金融緩和で物価を上げるという実験を行っていたが、成果が上がりにくいとみると、官民一体の賃上げにシフトした。今思えば、安倍晋三元首相は変幻自在だった。

対する岸田政権はそこまで器用ではないと思う。むしろ、器用でないからこそ「初志貫徹」ができるかどうかが、今後の岸田政権の求心力に影響するだろう。

その初志になるのが分配政策だ。賃金を上げることで、求心力を高め、デフレ脱却を完全に達成するために、賃金上昇で実体面から物価を後押しするという見方もできる。

主な政策手段として想定されているのが、法人税減税をてこにした対応のようだ。このツールは、安倍政権でも使われた。2013年度からの所得拡大促進税制という仕組みで、やはり賃上げに積極的な企業に法人税減税を行った。

しかし、残念ながらそのインセンティブが弱く、実態は元々賃上げをする企業が1年に限って減税の恩恵を受けるという内容だった。法人税減税の比率は、人件費の増加に対して、その15─25%に限定された。還元額は支払う法人税の2割を上限にするという縛りもあった。今度は、上限を決めずに、50─70%まで比率を上げるのだろうか。減税効果を複数年度で行えば、賃上げの誘導効果はより高まる。

<数多くの課題>

衆院選が終わって、本格的な制度設計に移ると、賃上げを法人税で誘導する政策は、様々な実務的壁にぶつかると予想する。

例えば、想定する賃上げに、ボーナスを含むのか、ベースアップだけなのかも問題になる。多くの経営者は、ボーナスで所得を分配したいと考えるだろう。減益になれば速やかに人件費を圧縮したいからだ。

それでは、雇用者からみて生活の安心材料にはなりにくい。雇用者は、月例給与を増やしてこそ、安心して消費を増やせると考える。

また、非正規労働者への還元も問題になる。現在、企業には嘱託や契約社員に移行したシニア職員が数多くいる。ベースアップは彼らには波及しにくい。無論、パート・アルバイトにも波及しにくい。雇用形態が多様化している現状で、岸田首相が表明している賃上げの裾野を広げることができるだろうか。

<公的価格引き上げ>

以前から、デフレ解消のために公共料金を引き上げて、公務員給与も上げるというアイデアはあった。しかし、公共料金を全般的に上げるのは「国民の受け」が悪いので、無理だろうと思ってきた。

しかし、岸田首相は、看護師、介護職員、幼稚園教諭、保育士などの待遇改善のため、賃金の原資である公的価格を引き上げる方針だ。今まで手を付けなかった待遇の見直しを優先し、消費者には値上げを我慢してもらうつもりなのだろうか。

これも本格的に実施すれば、国民から抵抗を受けるだろう。徹底してやり抜く決意が試される。すぐに方針を引っ込めてはいけない。

筆者は、公的価格に手を付けるアイデアは、おそらく、公共事業の価格見直しを参考にしたのではないかと考える。人手不足が深刻化する建設業界の声を反映し、公共事業の価格を積算する際に、労務単価の適正化(=値上げ)が行われてきた。同様に、人件費にしわ寄せが行かない工夫をしたと考えられる。

岸田政権は、中小企業政策として、賃上げ分を価格転嫁できるように下請け取引に対する監視体制を強化するという。筆者は一歩進めて、企業の労働単価引き上げを「見える化」できるように、情報開示すれば、きめ細かく法人税減税を実施することができると考える。そこまで徹底しなければ、企業の賃金分配の目詰まりを是正できないだろう。

<金融緩和の出口戦略と分配政策の問題>

岸田首相が本気で、経済メカニズムを正常化しようとするのならば、時間をかけて金融政策の出口まで検討することが望ましい。これは思考実験だが、預金金利上昇や配当増加が進めば、金融資産への分配も実現する。

いわばマネーの運用収益の分配だ。今や家計金融資産残高は2000兆円に迫る。1%の運用利回りで年間20兆円、名目国内総生産(GDP)対比で3.8%の所得が分配される。年金生活者には、その恩恵が大きいはずだ。

しかし、巨大な金融資産の裏側には巨大な政府債務がある。政府の利払い負担が増えることになる。日銀が出口にたどり着けないのは、政府の利払い負担力がまだ低いからでもある。

政府が成長戦略に成功して、安定成長を実現した後は、いくらか金融資産の運用収益の分配を増やせるかもしれない。おそらく、金融面でデフレ脱却へと歩を進めるという政策も、相当の抵抗に遭遇するだろう。岸田首相がそれに耐え抜くだけの胆力を持ち合わせているかどうかが試される。

この問題は、財政再建とセットで考えていくべき課題になるだろう。財政再建を追求する理由の1つは、政府債務の膨張・発散を止めることにある。従来の財政再建の考え方は、基礎的財政収支を安定的に黒字化できれば、その後の利払い費用は増加する税収分で賄える体制に移行できるというプロセスの構築である。論壇の中には財政再建アレルギーが根強く、岸田首相でさえも容易に財政再建を口にできないと推察される。

しかし、岸田首相が2022年7月の参院選で勝利し、本気で長期政権化を狙っているのならば、いずれ財政再建の道筋を仕切り直すことは避けて通れない。

今回の衆院選での各党の公約をみて、早期にばらまき的な財政運営と決別しなくてはいけないと強く感じた有権者も少なからず存在しているのではないか。そうした「苦い薬を飲ませる政策」を求める意見から、逃げない政治家に期待したい。

編集:田巻一彦

(本コラムは、ロイター外国為替フォーラムに掲載されたものです。筆者の個人的見解に基づいて書かれています)

*熊野英生氏は、第一生命経済研究所の首席エコノミスト。1990年日本銀行入行。調査統計局、情報サービス局を経て、2000年7月退職。同年8月に第一生命経済研究所に入社。2011年4月より現職。

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