[東京 31日] - ロシアのウクライナ侵攻は、足元で少しずつ局面が変化しつつあるようだ。ロシアはウクライナの首都・キエフ攻略の戦略を修正し、ウクライナ東部に兵力を集中させると報道されている。背景には、ウクライナ側の抵抗が思いのほか強かったことがあるとみられる。ロシアが和平交渉の合意へ動かされる可能性も高まったという識者の見解も出ている。
<対ロシア制裁は長期化の公算>
もしも、ロシアの武力侵攻が停止したとすれば、ロシア制裁は見直されるだろうか──。
それは容易には進まないと予想される。停戦にロシアが合意しても、ロシアが敗北したことにはならない。東欧諸国は、引き続きロシアの軍事的脅威におびえるだろう。米国も、ロシアの経済力を著しく低下させるために、原油・天然ガス・石炭や希少金属(レアメタル)の輸入を制限し続けると考えられる。
これは、需給ひっ迫の要因である。世界経済は、軍事侵攻が止まると不確実性の霧が晴れて、生産・消費活動を活発化させる可能性が高い。そうなると、需要超過が起こって、物価はさらに上昇することになる。
<米国の引き締め効果>
バイデン政権は、ロシアのウクライナ侵攻を受けて、国防費をさらに積み増すようだ。秋に中間選挙を控えていて、米国民はインフレに不満を高めているが、バイデン政権は積極財政に傾きやすい。
実は、岸田文雄政権も物価対策を4月末までに打ち出す意向だ。しかし、物価上昇に対して、財政出動で応じると、教科書的にはインフレ拡大の方に働きかけてしまう。例えば、ガソリン・灯油の値上がりを補助金で上がりにくくすると、家計はそこで余力が生じて、他分野での消費を増やす。
すると、企業にとっては価格転嫁がしやすくなって、結果的に消費者物価は上昇する。政策で価格を抑えようとしても、消費者の購買力が高まるので、企業は仕入れコストを引き上げやすくなって、政策を講じない分野での物価上昇が進む。
財政政策が日米ともに物価上昇に作用する中で、盾になりそうなのは 米連邦準備理事会(FRB)の利上げである。2022年中にあと6回の米公開市場委員会(FOMC)がある。0.50%の利上げを含めて、年末まで連続利上げに踏み切るとみられている。その効果が、どこまで米国発のインフレ圧力を抑えるかが注目される。
<経済安保もコスト高要因>
少し中長期的にみると、米国は新しいサプライチェーンを国内や友好国へとシフトしていくことだろう。これは、従来の自由貿易とは異なる。自由貿易の原則は、世界中で最も安い国・地域から輸入することで、コスト面でのメリットを最大限に生かそうということだった。
経済安保の発想は、取引先が安全保障面での問題があって、供給をストップした場合を考えて、たとえ割高でもよいから別の取引先へと調達をシフトするということだ。つまり、仕入れコストはどうしても割高になってしまう。
今回、ロシアにレアメタルの調達を強く依存していることが、製造業では問題視された。経済制裁に対するロシア側からの報復措置によって、供給が止まるのではないかという不安である。
パラジウム、ニッケル、白金などのレアメタル、ネオンガスやクリプトンといった希少ガスは、世界中がロシアに供給を依存している図式がある。半導体や自動車などの主要産業が、ロシアからの調達を振り替えたいと考えているが、そう簡単にはできない。
逆に、ロシア以外からの供給を奪い合うようになったり、在庫を確保しようとする動きが、コスト上昇につながっている。こうした需給のアンバランスは、かなり長期化しそうだ。
日本企業が、今後、経済安保を重視しようとするのならば、コスト上昇を吸収できるくらいに付加価値率を高めなくてはいけない。これまで何回も言われてきた高付加価値化という課題に、改めて取り組むということだ。
<脱炭素化も加速>
対ロシア制裁によって、ドイツなど欧州各国は、ロシア産のエネルギー供給に強く依存している状態はまずいと思い始めたことだろう。その認識がもたらすのは、脱炭素化ペースの一段の加速方針だと予想する。
気候変動問題に関する国際的な枠組みであるパリ協定に沿って、2030年に温室効果ガスを2013年比で半減する目標を前倒しすることが打ち出される方向になると筆者はみている。ロシア産の化石燃料への依存を低下させるだけでなく、再生可能エネルギーへのシフトも加速することになりそうだ。
欧州では、温室効果ガスに対して課税を欧州並みにしていない国の輸入品に、同程度の関税率を上乗せする「国境炭素税」を検討している。この国境炭素税がかけられて、最も困るのはロシアと中国ではないかと指摘したい。
日本も欧州への輸出品にも関税率を上乗せされる可能性がある。今までは、欧州だけが熱心に国境炭素税を推進しているように思えたが、対ロシアの包囲網を先進国で作ろうとする流れができると、米国を巻き込んで、炭素課税を導入・強化することになるかもしれない。
なお、日本でも、地球温暖化対策税(温対税)は2012年に導入されている。その税率は1トンの二酸化炭素(CO2)当たり289円と極めて低い。世界銀行は、パリ協定の目標達成のために1トンのCO2当たり40-80ドル(5000─1万円)程度に設定する必要があるとしている。日本で、温対税をもっと引き上げる対応を実施すると、消費者が負担するエネルギー・コストは総じて上昇することになるだろう。
筆者は、ガソリンの揮発油税・地方揮発油税を温対税にシフトさせると、世界銀行の示す1トンのCO2当たり40ドルの負担に相当するので、追加負担をぎりぎり回避できると考えている。しかし、実務的にそれほど簡単なことではないだろう。
電源構成を化石燃料から再生エネルギーに大きくシフトさせると、天候の変化などにより、急に化石燃料を使用する発電所稼働の必要性が高まるというケースが増える。その場合、化石燃料の需給はひっ迫しやすくなり、原油価格などはかえって高騰するという見方もある。脱炭素化は、意外なことに原油価格を上げるという結果を招くことになると言われる。
編集:田巻一彦
(本コラムは、ロイター外国為替フォーラムに掲載されたものです。筆者の個人的見解に基づいて書かれています)
*熊野英生氏は、第一生命経済研究所の首席エコノミスト。1990年日本銀行入行。調査統計局、情報サービス局を経て、2000年7月退職。同年8月に第一生命経済研究所に入社。2011年4月より現職。
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