[東京 24日] - 人生の目標にしていた夢が実現してみると、以前に思い描いていた理想と違っていて、がく然とすることがある。その時は、古い目標を捨てて、新しい夢を追求するのが、人生における正解だ。
日銀は、2022年4月に目標にしていた2%の物価上昇を達成した。しかし、日銀を含めて誰も、現在の経済状態に満足をしていない。「まだ、安定的に2%を達成できたわけではない」、「今の物価上昇は輸入インフレだから、賃金上昇を伴わなくてはいけない」など、日銀は2%の目標達成に不満を述べる。
いやいや、物価2%という目標自体が間違っていたのではありませんか──と筆者は言いたい。
<2%達成と円安、共同声明の関係>
2013年に黒田東彦総裁が就任した時に、なぜ2%の目標かと問われて、欧米も2%を目標としているので、それよりも低い目標だと日本は円高に襲われると説明していた。
実際、2%が近づくと、円高リスクどころか、日本には20年ぶりの円安が襲ってくる。つまり、日本経済にとっては1%くらいの物価上昇率がちょうどよくて、2%は過大な上昇率だった。
そうした当初の想定の誤りが明らかになってきたのに、目標を正しく修正しないのは、政策判断の硬直性があるからだ。
日銀からすれば、政府との共同声明があるから、2%の目標は絶対だと感じられるのだろう。しかし、共同声明を結んでいる政府では、鈴木俊一財務相が「悪い円安」だと言っている。
「共同声明はまだ、あれでよかったのでしょうか。修正しませんか」と日銀は、政府に呼びかけた方がよい。そうでなければ、日銀の自縄自縛がこのままずっと続いていく。
<望ましい目標は賃上げ>
2%が達成されてわかったことは、賃金上昇を伴わない物価上昇では、国民の多くに不満が残ることだ。日銀に賃上げを促す能力はない。だから、望ましい物価上昇とは、賃上げなのだ。ただ、賃金を単に上げると、企業は人件費コストで収益を圧迫される。生産性上昇がなくては、望ましい賃上げにならない。
当初の作戦では、日銀は通貨供給量をコントロールして、物価を操作できるとしていた。その作戦が間違っていたことは、日銀自身が賃上げの重要性を述べ始めたことで明らかになった。
賃上げを実現することが、インフレ目標の真の目標なのだ。その達成には政府の税制支援や、労働組合との協力も必要になる。このように、変化する情勢に合わせて「あの手この手」を使うことが、政策目標の実現には不可欠だ。
筆者は、日銀のしていることが何もかも無駄だと言いたいのではない。せっかく、円安によって、輸出企業の収益をかさ上げすることに成功したのだから、その収益増を賃上げの原資にしなくては、もったいないと指摘したい。
企業経営者は、世界的な半導体不足やロシア・ウクライナ戦争による供給不安の長期化などで賃上げに踏み切れないと言うかもしれない。
その時は、政府が企業に3%超の賃上げを実行するための条件を聞けばよい。賃上げ促進税制を見直して、赤字企業にも繰越して法人税還付を実施できるようにすることや、ベースアップ率の部分に大きな還付率を付けるなどの方法もある。
日銀は与えられた目標に限られたツールだけを使っていては実現できないので、逆算して何のツールを使えば望ましい賃上げが可能になるかを提言してほしい。ツールがなければ、知恵を出せと日銀には言いたい。
<オーバーシュート型コミットメント>
日銀は、消費者物価指数(除く生鮮食品、コアCPI)が4月に前年比プラス2.1%になったとしても、2%超がしばらく続いて、安定的に2%にならない限り、政策の枠組みを見直さないとする。これは、長期金利のコントロールを引き続き行って、円安を促して輸入物価を上げていくことになる。
果たして円安を促し続けることで、安定的に2%になる状態が生まれるのか。いや、円安が止まれば、物価上昇も停滞するので、輸入インフレから賃金インフレへと転換するように、物価上昇の中身を変容させる必要がある。
日銀は、この転換メカニズムをはっきりと説明していない。自然に転換が起きると考えていれば、トリクルダウンと同じ結果、つまり変化が起きないことになる。円安がもっと進めば、企業収益が増えて、経営者が賃上げをしてもよいと考え方を見直すのだろうか。この辺の考え方は、ブラックボックス化している。
オーバーシュート型コミットメントは、日銀がもっと円安になっていけば、賃上げが進むと考えて、現状を放置するアプローチだ。すでに、円安によって輸入物価が上昇し、食料品などの値上がりに消費者が不満を述べるようになっている。中小企業は、仕入れ価格の値上がりを販売価格に転嫁しにくいと不安を訴えている。低金利のメリットよりも、円安のデメリットが助長されることをどう考えればよいのか。
<インフレ・リスク>
今後、柿の実が熟して地面に落ちるのを待つように、賃上げに火がつくのを待つことは隠れたリスクを持つ。
輸入インフレによって、消費者物価が2.1%から3%近くまで上がって、中小企業と家計がより購買力を失っていく可能性である。
筆者自身、物価上昇率が2%に達するという事態は、3─4カ月前は予想できなかった。現在のところ、2%を超えるのは、せいぜい4月から8月くらいの間だろうと予想している。ドル/円レートも130円前後が円安の限界で、それ以上は進まないと想定している。
しかし、そうした予想が外れて、輸入インフレが進み、それに対するゆがみがより大きくなった時、日銀は円安を放置し続けるつもりなのだろうか。
正直に言えば、黒田総裁の任期が来る2023年4月までは円安放置が続くとみている。だが、その間に現状の円安放置が続いた場合の弊害については、よく見定めることができない。
また、次の日銀総裁がより合理的な政策運営をするかどうかも不確実である。こうしたリスクをもっと大きな論争点として提起していく必要があると考える。
編集:田巻一彦
(本コラムは、ロイター外国為替フォーラムに掲載されたものです。筆者の個人的見解に基づいて書かれています)
*熊野英生氏は、第一生命経済研究所の首席エコノミスト。1990年日本銀行入行。調査統計局、情報サービス局を経て、2000年7月退職。同年8月に第一生命経済研究所に入社。2011年4月より現職。
*このドキュメントにおけるニュース、取引価格、データ及びその他の情報などのコンテンツはあくまでも利用者の個人使用のみのためにコラムニストによって提供されているものであって、商用目的のために提供されているものではありません。このドキュメントの当コンテンツは、投資活動を勧誘又は誘引するものではなく、また当コンテンツを取引又は売買を行う際の意思決定の目的で使用することは適切ではありません。当コンテンツは投資助言となる投資、税金、法律等のいかなる助言も提供せず、また、特定の金融の個別銘柄、金融投資あるいは金融商品に関するいかなる勧告もしません。このドキュメントの使用は、資格のある投資専門家の投資助言に取って代わるものではありません。ロイターはコンテンツの信頼性を確保するよう合理的な努力をしていますが、コラムニストによって提供されたいかなる見解又は意見は当該コラムニスト自身の見解や分析であって、ロイターの見解、分析ではありません。
私たちの行動規範:トムソン・ロイター「信頼の原則」