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コラム:円安の長期化を喜べない本当の理由=門間一夫氏

[東京 10日 ロイター] - 年初に104円台だったドル/円相場は、最近は110円前後で推移している。日銀の「全国企業短期経済観測調査(短観)」では、企業が収益予想の前提としているドル/円相場が106円台であり、現実はそれよりもだいぶ円安になっている。米国と日本の金融政策の違いを考えると、今後さらに円安が進むストーリーは想像できても、逆は想像しにくい情勢だ。

年初に104円台だったドル/円相場は、最近は110円前後で推移している。米国と日本の金融政策の違いを考えると、今後さらに円安が進むストーリーは想像できても、逆は想像しにくい情勢だ。写真はイメージ。2017年6月撮影(2021年 ロイター/Thomas White)

<25年平均から大幅かい離する円安>

筆者は2─3年前まで、為替はいずれ円高方向へ大きく振れるのではないかと考えていた。日銀のマイナス金利政策やイールドカーブ・コントロールにより、円相場は長期的な均衡値に比べて無理やり円安にされている可能性が高いとみていたからだ。

国際決済銀行(BIS)によれば、近年の円の実質実効レートは過去25年間の平均に比べて25%も安い。実質実効レートは本来、長期平均に収れんする力が働く性格を持つので、長期平均から25%も円安方向にかい離しているなら、いずれ円高になると見るのは自然な発想なのである。

実質実効レートよりもわかりやすい指標として、英エコノミスト誌が半年ごとに更新している「ビッグマック平価」がある。これはビッグマックの価格が内外で同じになるような為替相場のことであり、それをドル/円相場についてみると、最近は69円となっている。実際の円はそれより4割近くも安いのだから、米国人は日本のビッグマックをさぞかし安いと感じるだろう。

もちろん、ビッグマックという単一商品だけで為替相場を論じるのは単純すぎる。しかし、そこに一定の真実が含まれていることも確かである。ハンバーガーだけでなく多くの財・サービスにおいて、今の日本の物価は他の先進国に比べてかなり安い。コロナ前に内外を行き来していた人なら、それを実感していたはずである。

<日本の「物価安」はデフレと無関係>

物価だけでなく賃金も、日本は他の先進国より低いと言われるが、それはあくまでも今述べた極端な円安のせいであり、日本で長年デフレが続いていたこととは無関係である。

そもそも日本で長く続いたのは概ねゼロインフレの状態であって、それを「デフレ」と表現すること自体に、筆者はやや違和感を持っている。ただ、「日本は長年デフレだった」という言い方は既に市民権を得ているので、そこは今さら強くは言わないことにする。

重要なのは、日本が長年デフレであったということと、日本の物価が海外よりも安いということとは、最初から別の次元の話だという点である。前者は物価の「変化率」の話であり、後者は物価の「水準」の話である。変化率は高いが水準は低い、変化率は低いが水準は高い、という現象は世の中にいくらでもある。

実際に1990年代半ばごろ、日本の物価の「上昇率」は低下傾向にあり、今から振り返れば「長年にわたるデフレ」の入り口にあった。しかし、そのころ日本で問題になっていたのはそのことではなく、日本の物価の「水準」が他の先進国に比べて高過ぎることであった。

これは当時「内外価格差」と呼ばれ、望ましくないことだから政策的に是正すべきとされた。その結果、卸小売りや運輸などの規制緩和に大きくかじが切られ、財やサービスをより安く消費者に届けることが礼賛された。

ただし、内外価格差の最も重要な理由は、当時の円高にあった。規制緩和はそれ自体としてやってよかったとは思うが、内外価格差が解消された最大の理由は、円高が是正されたことにある。

今起きている日本の物価安はまさに当時の逆、つまり円安による「逆内外価格差」である。この夏議論が紛糾した最低賃金についても、上げるべき理由の1つとして、日本の最低賃金が他の先進国に比べて著しく低いという指摘があった。しかし、日本の賃金が海外に比べて低い最大の理由も円安である。1ドル=69円で計算すれば、日本の物価は安くないし、日本の賃金も低くない。

ちなみに、1998年ごろから2012年ごろまでの約15年間が、日本の長期デフレ局面とされることが多い。デフレが物価安の原因なら、デフレの影響が最も累積していた2012年ごろに、他の国と比べた日本の物価の安さが最も際立っていたという事実がなければならない。当時の為替は1ドル=80円台だったので、そういう事実はもちろんない。

その後、2013年ごろから進んだ円安によって、日本の物価や賃金は海外に比べてみるみる安くなった。政府や日銀が「もはやデフレ的な状況ではない」という勝利宣言を出すに至ったころ、日本は物価も賃金もすっかり低い国になっていたのである。

<心配な日本の製造業の競争力>

さて、筆者はいずれ円高になると考えていた、という冒頭の話に戻ろう。日本の物価や賃金が海外よりも低いなら、日本でモノを作れば輸出競争力が高いはずである。本当なら、貿易収支がどんどん黒字になり、それにより円高圧力が強まるというメカニズムが働くはずなのだ。

実際、1980年代半ばにはそういうメカニズムが働いた。1985年のプラザ合意で一気に円高になるという乱暴な展開ではあったが、そういう通貨外交が進められた点も含めて、大幅な貿易黒字が為替を動かしたと言える。

ところが、近年の日本は、円安にもかかわらず貿易黒字が増える気配はない。貿易収支は小幅の黒字や赤字を繰り返す状態が長く続いている。言い換えれば、今ぐらいの円安でなければ、日本の製造業はもはや国際競争力を保てなくなっている可能性が高いのである。

「バラッサ・サミュエルソン効果」と呼ばれる考え方がある。製造業の生産性上昇率が非製造業のそれに比べて十分に高い経済では、物価水準が海外よりも高くなるというのである。すなわち、製造業の競争力が強い国では為替相場が上昇するため、国内物価が他国よりも高くなる方向に「内外価格差」が発生するのである。

すでに言及した1990年代半ばの円高による「内外価格差」問題についても、「バラッサ・サミュエルソン効果」で説明できるのではないかという議論があった。「内外価格差」が生じているのは製造業が強い証拠であり、残る日本経済の課題は非製造業の構造改革を進めることだ、という認識が広く受け容れられていたように思う。

時は流れ、今や日本は円安で物価が安い「逆内外価格差」の国になった。「バラッサ・サミュエルソン効果」に沿って考えれば、非製造業が強くなったか製造業が弱くなったかのいずれかであるが、実際に起きたことは残念ながら後者であろう。

かつて日本では、製造業は国際競争にさらされているから強く、非製造業はぬるま湯につかっているからダメなのだ、と言われ続けてきた。しかし、製造業が国際競争に勝ち抜くためにとった手段は、主として生産拠点を海外へ移すことであった。

それにより企業経営としては、グローバルに稼ぐ力を維持・強化することに成功した。だが、「国境の内側のモノづくり」は国際競争にさらされて、ただ弱まっただけだったのかもしれない。

今の円安が、いわゆる「日本売り」だとは思わない。規律なき財政金融政策を続ける日本は市場の信認を失い、円はいずれ暴落するという「怪談」が根強く存在する。しかし、株価はまずまずだし、債券市場は極めて安定していて「日本売り」の兆候はない。為替相場は、弱くなった「国境内のモノづくり」を正しく反映しているだけのように見える。

日本の物価安がデフレと無関係であることは、説明したとおりである。だが、日本の製造業の凋落を反映しているのだとしたら、円安だから安心ということではなく、中長期的な日本経済のあり方に対する警告と受け止めるべきである。

(本コラムは、ロイター外国為替フォーラム向けに執筆されたものです。筆者の個人的見解に基づいて書かれています)

*門間一夫氏は、みずほリサーチ&テクノロジーズのエグゼクティブエコノミスト。1981年に東京大学経済学部を卒業後、日本銀行に入行。86年に米ウォートンビジネススクール留学。調査統計局長、企画局長を経て、12年に日銀理事(13年3月まで金融政策担当、以降、国際担当)を歴任。16年に日銀を退職し、みずほ総合研究所エグゼクティブエコノミスト。21年4月から現職。

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