[東京 16日] - 13日の「CPIショック」によりドル高が進行し、ドル円はいよいよ1998年8月に付けた147円66銭が視野に入ってきた。 財務省の神田真人財務官は14日、「足元の動きは急激であり憂慮している」との見解を示したうえで、「緊張感を持って監視し、あらゆるオプションを排除せずに適切な対応をしたい」と述べた。
鈴木俊一財務相も同日、あらゆる手段を排除せずに対応していく方針を示したが、「あらゆる手段」に為替介入が含まれるかと問われると、「そう考えていただいていいのでは」と語ったという。日銀の「レートチェック」の噂が広がるなどしたこともあり、ドル円の上昇にはいったん歯止めがかかった格好だ。
今年のドル円は、年初の112円台から9月13日高値の145円付近まで、実に約33円も上昇しており、「急激」といえば急激だ。一方、先述した98年のドル円相場は、2月安値の122円台から8月の147円台まで約25円の上昇で、今年よりも上昇幅は小さい。しかし、同年には政府・日銀によって複数回のドル売り・円買い介入が実施されており、これを踏まえれば、そろそろ為替介入が実施されてもおかしくはない。それでも筆者は、今次局面の為替介入実施は極めて難しいと考えている。
<3つの側面>
理由は、第1に、足元の円安・ドル高はファンダメンタルズに沿っていることが挙げられよう。日本の経常黒字の急速な縮小が円安圧力になっていることに加えて、欧米の金融引き締めに対して、日銀の緩和政策維持、特にYCC(イールドカーブ・コントロール)により、日本と欧米の実質金利差は拡大傾向にある。この環境で円買い介入したとしても、効果は一時的にとどまるリスクが高いうえ、諸外国からの理解も得にくいだろう。
第2に、米国ではインフレとの闘いが続いており、米国にとってドル高はむしろ歓迎すべきことである点が挙げられる。98年には日米協調によるドル売り介入が実施されたが、この時は97年のタイに端を発した「アジア通貨危機」によるアジア諸国の経済の混乱もあって、ドル高のペースを緩めるとの配慮もあったと思われる。その観点でみても、当時と今の市場環境は異なっており、今回は日本のドル売り介入に対する米国の理解や協力を得ることは困難だろう。
第3に、政府・日銀がもしも単独でドル売りを実施した場合、効果が得られなかった場合のリスクが大きいことも挙げられる。もし、介入したにもかかわらずドル円の上昇に歯止めがかけられないとなると、投機筋が円売りに自信を持ち始め、さらに円売り圧力がエスカレートするリスクも伴う。
<98年と異なる環境>
98年当時のドル円は、そもそも95年に付けた安値79円75銭からの、超長期の上昇トレンドにあった。97年6月には上述したアジア通貨危機などの影響で、一時127円台から111円台まで急落したが、その後2度目の大きな上昇の波が起きていたところだ。この上昇トレンドの背景は、1)日米の金利差が既に大きく拡大していたこと、2)95年に就任したルービン米財務長官が「強いドル政策」を主導したこと、3)97ー98年には日本で金融危機が発生しており、信用力が低下した日本の金融機関がドルの資金調達に支障を来たし、ドル資金の確保に追われたこと、4)98年前半は米株価が上昇局面にあり、良好な市場心理により円キャリー取引が活発だったことーなどが挙げられよう。
急速なドル高・円安が進行するなか、財務省の公表によれば、98年4月9日と翌10日の2日間で合計2.8兆円のドル売り・円買い介入が実施され、さらに6月17日には日米協調介入も実施された(日本の介入額は2312億円)。4月の介入では、2日間で133円台から127円台まで、ドル円は約6円下落したが、6月は、たった一日で144円台から136円台まで、約8円の急落となった。この協調介入後にドル円は98年8月にかけて再浮上、147円66銭を付けるに至ったが、それまでの介入効果もあってか、高値警戒感などから徐々に反落し始めた。そこで、同年9月には米ヘッジファンドLTCMの破綻が起きた。米株価は暴落し、FRBの金融緩和と円キャリー取引の巻き戻しなどにより、2日で約20円幅という強烈なドル安に見舞われ、ドル円の長期上昇トレンドは完全に終止符が打たれたのである。
98年の市場環境に比べると、今回のドル円の上昇トレンドは、コロナという史上初の規模となるパンデミックが発端となったものの、基本的には米インフレと日米の金利差拡大が背景となっている点では、比較的シンプルな環境と言える。日本で金融危機も起きてはいないし、グローバルな景気減速懸念で市場心理は必ずしも良好とは言えず、投機的な円キャリー取引が当時ほど活発化する可能性も低そうだ。ゆくゆくは米景気減速とインフレの終息、FRBの利下げなどによって、ドル円のトレンドは下落方向に反転する公算が大きい。また、ソニーフィナンシャルグループでは、来年秋に日銀が10年債利回りの上昇をある程度許容するなど、金融政策の修正を行うと予想しているが、予想通りとなれば日本の実質金利の上昇を促し、日米実質金利差の縮小がドル円の下落を促す可能性も高いだろう。
<ピークは150円付近>
上述のとおり98年との市場環境の違いは明確だが、最も大きな違いは、米国が当時よりも極端なインフレに見舞われているにもかかわらず、金融環境はより緩和的であることだ。当時は米実質金利(名目金利ー期待インフレ率)が米潜在成長率付近で推移していたが、足元は潜在成長率1.9%に対して、米実質金利は1.0%と、これを大きく下回っている。パウエル議長は景気を犠牲にしてもインフレを抑制する構えだが、もしそうであれば実質金利を1.9%に近づくまで、FRBはタカ派スタンスを維持せざるを得ない。これが市場の警戒を煽り、目先はドル円の上昇が加速しやすい環境だ。場合によっては9月20、21日の米連邦公開市場委員会(FOMC)後に、もう一段のドル円上昇もあり得る。
しかし、仮に政府・日銀の介入がなかったからと言って、そのまま150円を超えて上昇が続くかといえば、その可能性も低いのではないか。米実質金利はマイナス1%から既に大幅に上昇しており、ここからさらに潜在成長率の1.9%まで上昇させるのは困難だ。今後は米経済指標が徐々にピークアウトするなかで、市場では米景気後退への不安が燻り、米長期金利には下押し圧力がかかりやすくなるだろう。米短期金利の上昇に伴って、足元では日米2年債利回りとドル円の相関性も高まっている。仮に4.0%まで米2年債利回りが上昇したとしても、2年物の日米実質金利差で試算すれば、やはり145ー147円付近、さらにオーバーシュートしても150円付近がピークとなり、今年末には143円前後に着地している可能性が高いとみている。
(編集 橋本浩)
*本コラムは、ロイター外国為替フォーラムに掲載されたものです。筆者の個人的見解に基づいて書かれています。
*尾河眞樹氏は、ソニーフィナンシャルグループの執行役員兼金融市場調査部長。米系金融機関の為替ディーラーを経て、ソニーの財務部にて為替ヘッジと市場調査に従事。その後シティバンク銀行(現SMBC信託銀行)で個人金融部門の投資調査企画部長として、金融市場の調査・分析、および個人投資家向け情報提供を担当。著書に「本当にわかる為替相場」「為替がわかればビジネスが変わる」「富裕層に学ぶ外貨投資術」などがある。
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