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コラム:日本経済、低インフレから脱却なるか=竹中正治氏
2017年5月30日 / 03:11 / 6ヶ月前

コラム:日本経済、低インフレから脱却なるか=竹中正治氏

[東京 30日] - 日本経済は4半世紀ぶりの人手不足となった。失業率は2.8%(4月)まで下がり、有効求人倍率は1.48倍(同)といずれも1990年代初頭までさかのぼる水準だ。

ここまで来ると賃金が上がり、消費の増加を伴ってインフレ率が上がっても良さそうだが、消費者物価指数(生鮮食品を除く総合)は前年同月比0.3%(4月)にすぎず、低インフレから日本は抜け出せていない。

一方、米国でも2008―09年の大景気後退からの回復過程で低インフレが続いたものの、今や消費者物価上昇率は2%台に乗り、緩やかな金利引き上げに加え、非伝統的金融政策で膨張した米連邦準備理事会(FRB)のバランスシートの正常化が視野に入り始めた。

何が日本の低インフレ脱却を阻んでいるのか、またそれが円相場や株価に意味することを考えてみよう。

<他の先進国に比べ悪くない日本経済>

日本の2013年以来の平均実質国内総生産(GDP)成長率は1.3%(年率、2017年1―3月時点)、所得に注目した実質国民総所得(GNI)は1.7%(年率)である。一方、米国の同期間の平均実質GDP成長率は2.0%だ。

もっとも、日米では人口増加率に違いがあるので、1人当たり実質成長率で比較すべきだろう。2013―16年の期間について1人当たり実質GDP成長率で見ると、日本1.3%、米国1.3%、ドイツ0.6%、フランス0.4%であり、日本は欧州主要国を凌駕し米国と並んでいる。

また、現下の人手不足は本当の景気の回復によるものではなく、2013年前後に65歳の定年を迎えた団塊の世代の引退によるものだと語る人々が一部にいる。それは全くの事実誤認だ。その主張が事実なら、人手不足は雇用の減少を伴っているか、少なくとも雇用は増加していないはずである。

確かに2010年1月―12年12月の3年間については、わずか13万人の雇用増加だった。ところが、2013年1月―17年3月の期間については253万人の雇用増加だ。すなわち2013年以降の人手不足は明瞭な雇用の増加を伴って生じている。

「増えているのはパートなど非正規雇用ばかり」と思っている人もいるが、もはやそうではない。2015年1―3月期からは正規雇用も前年同期比で平均40万人のペースで増加に転じた。2015年1―3月から17年1―3月の間に正規雇用は108万人増え、非正規雇用32万人増を凌駕している。

雇用の増加に伴って雇用者報酬も増えている。2014年は消費税率の引き上げもあり物価変動調整後の実質で雇用者報酬はマイナス1.3%と減少したが(前年比)、2015―16年は前年比平均1.9%で増加した。ところが、以上の改善にもかかわらず日本経済は低インフレから抜け出せていないのだ。

ちなみに、私はインフレ率の引き上げで、日本経済の長期的な実質成長率が目立って向上するというような幻想は持っていない。ただし、金融政策が機能する条件として、マイルドなインフレ率が必要である。

なぜかというと、伝統的な金融政策は名目金利を上下動することで実質金利(名目金利-インフレ率)を変動させ、そのことで景気にアクセルやブレーキをかける効果が生じるわけだ。ところが、名目金利はゼロ金利を大きく超えてマイナスにはできない。そのため名目金利がゼロ近傍になると、低過ぎるインフレ率の下ではそれ以上の実質金利の引き下げができず、景気変動への政策手段を失う。このことが問題なのだ。

<量的質的緩和の効果はどこへ行ったのか>

それでは、日銀の「量的・質的金融緩和」の効果はどうなったのだろうか。年間約80兆円の日銀による国債買い取りで、民間銀行の日銀当座預金残高は2013年から急増している。日銀当座預金残高と日銀券発行残高の合計を「マネタリーベース」と呼ぶが、この増加と消費者物価指数の上昇という相関関係が見られたのは2013年1―3月から14年1―3月の1年間だけだった。その後は関係性が消失してしまった。

アベノミクスと黒田日銀総裁の下での量的・質的金融緩和開始が、「インフレ期待の引き上げ」から実際のインフレ率引き上げにつながる重要な連結点として、私は企業利益と雇用の改善に伴って賃金の上昇が本格化することに期待していた。ところが、企業利益と雇用の改善が進む一方で、賃金の上昇はひどく抑制されたものにとどまり、2015年度前半の賃金動向を見ても上がらないことから先行きの判断を変えた。

このことは「日本に灯る円高・デフレ回帰の黄信号」(2015年10月27日)に書いた通りである。当時、ドル円はまだ1ドル=120円台、日経平均は1万9000円台だったが、その後2016年にかけて急速に円高と株安が進行したのはご承知の通りだ。状況が再度転換したのは、昨年11月の米大統領選挙でのトランプ氏の勝利に端を発した米経済見通しの変化だった。

この先、日銀の金融政策は効く可能性はあるのだろうか。それを考えるために、消費者物価指数(生鮮食品を除く総合、以下CPIと記す)の変化はどのような要因で説明できるか、まず検証してみよう。CPIの変化は前年同月比(%)とし、消費税率引き上げによる影響を除去したベース(日銀の推計)を対象にしよう。

これまでの実証研究からあげられる要因候補の第1はGDPギャップである。これは労働力を含む経済資源がフル稼働状態で実現できるGDP水準(潜在GDP)に対する実際のGDPの比率を示すものだ。マイナスの比率は需要不足・供給力過剰、プラスはその逆となり、景気動向を反映して変動する。内閣府が推計、公表しているGDPギャップに基づいて検証すると、GDPギャップの変化はCPIの変化に2四半期(6カ月)先行しており、明瞭な因果関係が推測される。

第2の要因は輸入物価要因であり、輸入物価指数(前年同期比%)で表される。第3は名目賃金の増減であり、1人当たり平均賃金として現金給与総額(厚生労働省)の変化(前年同期比%)が使える。物価に対する賃金要因については、これまで山田久氏(日本総合研究所チーフエコノミスト)や吉川洋教授(東京大学名誉教授)によって強調されてきた。

第4は経済学者、エコノミストの間で議論が対立している量的・質的金融緩和の効果である。ここでは日銀の国債買い取りで急増しているマネタリーベースの対GDP比率の変化(前年同期比差分)を変数に採用してみよう。

<90年代末に起きた賃金と物価の構造的変化>

さて、1つ興味深い事実を指摘しておこう。賃金と物価の関係は1980年代までさかのぼると非常に高い正の相関関係があるのだが、1990年代末以降は関係性が非常に弱まっていることがわかった。

例えば内閣府のエコノミスト福田洋介氏は「1999年以降は、賃金が多くの期間で前年比マイナスとなる中、賃金要因が物価動向に及ぼす寄与が縮小しており、賃金と物価の関係が希薄化していることが窺われる」(「賃金上昇による物価の押上げ効果について」内閣府、今週の指標No.1166、2017年3月27日)と指摘している。

一方、私の検証ではGDPギャップの物価に対する影響度は1990年代以前よりも2000年代以降に強まっている。これはなぜだろうか。おそらく、こうした変化の背後には1990年代後半を境に賃金交渉を巡る労使間の姿勢、方針が大きく変わったことがあると推測される。

1990年代以前は春闘などを通じて「消費者物価上昇率+アルファ(アルファ部分は例えば労働生産性上昇分)」を労働組合は要求し、ある程度それが実現されていた。その結果、賃金と物価の変化は相互的、循環的な因果関係にあったと考えられる。ところが、1997―98年の日本の金融危機と不況を契機に、労働組合は賃金アップよりも正規社員の雇用の維持を主眼にするようになり、賃金の増減は企業業績次第という傾向が強まった。

こうして物価に対する賃金要因が希薄化した一方で、国内物価は景気動向との関係性が相対的に強まり、その結果GDPギャップ要因が強い影響度を持つようになったのだろう。このように考えると、賃金と物価上昇率の関係性は原理的には生きているのだが、労使交渉のスタンスの変化がそれを封じてしまったと言える。

そこで前記の4つの変数で、2000年以降のCPIの変化を対象に重回帰分析すると、やはり賃金についてはCPIの変化の間には有意な関係(関係性が偶然ではないこと)を確認できない。そこで賃金の変化を外した3変数で回帰すると、決定係数は0.64で有意な結果が得られた。これは当該3変数で消費者物価の変化の64%を説明できることを意味する(標準誤差0.44%ポイント)。

個別の説明変数ごとに物価への影響度を示すと、GDPギャップの1%ポイントの上昇はCPIを0.27%ポイント引き上げる。輸入物価指数の1%ポイントの上昇はCPIを0.024%ポイント引き上げる。マネタリーベースのGDP比1%の増加(実額で約5.3兆円)はCPIを0.048%ポイント引き上げる。この最後の量的金融緩和政策の効果は、逆に言うと、CPIを1%ポイント引き上げるにはマネタリーベースをGDP比率で20.8%(実額で約110兆円)増やす必要があることを示している。

「なんだ、その規模ならできるじゃないか。いや、すでにやっているだろ」と思う方がいるだろう。しかし、注意していただきたいのは、この関係が意味することはCPIを前年比で毎年1%ポイント引き上げるために毎年110兆円のマネタリーベースの増加(=日銀の国債購入)が必要だと言うことだ。すでに年間80兆円の国債購入も市場規模から見てその持続性に限界が見え始めており、今後長期に維持できるわけではない。

下の掲載図に示したものが、実際のCPIの変化と回帰分析から得られた推計値である。さらにこの推計式を使って2019年末までのCPIの予想を行った結果を示してある。

GDPギャップについては今後2019年まで実質GDP成長率1.6%が持続し、毎四半期のGDPギャップは0.2%ポイントずつ上昇すると想定した。この場合、2019年10―12月のGDPギャップはプラス1.6%になるが、2008年1―3月はプラス1.7%だったので、現実的にあり得る水準だ。輸入物価指数は円相場やドル建て資源価格の動向次第であり予想し難いが、現状(2017年1―3月)比横ばいとした。金融政策は引き続き日銀による80兆円近い国債の買い取りが継続すると想定した。

以上の想定の下に得られる2019年10―12月のCPI推計値は前年同期比1.1%である。今後の実質GDP成長率の想定を2.0%に引き上げた場合でも、CPIの上昇率は1.4%にとどまる。政策目標の2%には届かないのだ。

<日銀もわかっているはず>

以上の私の回帰分析はわかりやすい最終結果のみを示してあるが、さまざまに変数の設定を換えて試行錯誤済みの結果である。日銀のエコノミスト諸兄姉もさまざまに変数の設定を換えて同種の推計を試行済みだろう。その結果、途方もない円安か、あり得ないほどの景気の上振れを想定しない限り、物価目標を達成できないことに、実はため息をついているはずだ。

「金融政策で物価上昇の効果が十分でないなら、財政政策で」という議論も最近再登場している。2009年のように景気がひどく落ち込んでいる不況下ならば、私も財政政策による景気底支えを支持する。しかし、現下のような人手不足を伴う景況下で、世代間格差をさらに拡大する形での政府債務の膨張が正当化できるようには思えない。

1つだけ物価目標達成の希望があるとすると、上記のような回帰分析による変数間の関係性は長期に不変ではなく、時に構造的な変化を起こすことだ。

例えば労働組合、連合が将来物価予想2%を前提にベースアップを要求し、経営がそれに応じるなら、1990年代以前のような賃金と物価の関係性が復活し、CPIの底上げも引き起こされる可能性が高い。しかし、政権からの賃金アップの働き掛けにもかかわらず、その方向に腰を上げようとしない日本の労使関係の現状を見る限り、近い将来そうした変化は期待できそうにない。

となると、投資家としては今後も、低インフレ傾向持続を前提に適応的な戦略を採る方が賢明だろう。具体的に言うと、GDP並びに株価など資産価格は物価上昇率アップによる名目上の押し上げ効果を得ることはないだろう。

ドル円相場は日米の物価上昇率格差が縮まないので、相対的購買力平価が示す中長期的な円高への回帰が起こるということだ。まだしばらく先になるだろうが、米国の次の景気後退時には、円高に回帰し、その際は1ドル=100円を再び大きく割れ込むだろう。景気後退に伴って日本のCPIもマイルドではあるがマイナス圏に戻ってしまうことだろう。

*竹中正治氏は龍谷大学経済学部教授。1979年東京銀行(現三菱東京UFJ銀行)入行、為替資金部次長、調査部次長、ワシントンDC駐在員事務所長、国際通貨研究所チーフエコノミストを経て、2009年4月より現職、経済学博士(京都大学)。最新著作「稼ぐ経済学 黄金の波に乗る知の技法」(光文社、2013年5月)

*本稿は、ロイター日本語ニュースサイトの外国為替フォーラムに掲載されたものです。

(編集:麻生祐司)

*本稿は、筆者の個人的見解に基づいています。

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