[東京 6日] - 欧米での金融不安の発生で、逃避通貨とは何かが改めて問われている。同時に逃避通貨としての日本円復活がなるかも注目に値するだろう。
筆者は年内のドル安・円高は125円前後までではないかと考えているが、2024年以降を展望すれば120円を割り込む可能性もあるとにらんでいる。そうした流れの中では、逃避通貨としての円高が市場の中で再び取り沙汰されるようになることもあるだろう。
そうしたことも念頭に、今回は逃避通貨の興亡について、注意すべき点や注目点と合わせて検討しておきたい。
<逃避通貨・円の虚実>
昨年の円安で記憶が薄れている人も多いだろうが、過去に円高が進む場面では逃避通貨、もしくは安全資産通貨としての円買いがけん伝されたことが多くあった。ただ、筆者はそもそも本質的な意味においては、そのような逃避通貨としての円高という考えに懐疑的だ。
筆者の理解では、過去、日本円が逃避通貨の特徴を示したのは1)経常黒字からの円買い需要、2)円キャリー・トレードの巻き戻し、3)日本株の下落などに伴う為替ヘッジ操作──があった。
まず、1つ目の日本の国際収支の問題から始めよう。日本は経常黒字国であるため、金融危機などでリスク回避傾向が強まり、リスク許容度の低下した投資家の動き(含む円売りを伴う海外投資)がスローになると、輸出企業のドル売り・円買いがダイレクトに為替需給に影響し、円高を加速させるようになる。危機の発生で投資家の動きが止まっても、事業会社のビジネス活動(含む輸出)は止まることはないからだ。
だが、近年、日本の経常黒字の源泉は所得収支の黒字に変わり、貿易収支は赤字に転落してきた。貿易収支に比べると、所得収支は為替取引を伴う比率が低い。こうして経常収支は黒字のまま、その為替需給が円売り超過に陥ってきてきた。それが近年、逃避通貨としての円高が発生しにくくなっている1つの理由である。
過去に逃避通貨としての円高を生じさせた2つ目の要因は、日本と海外の金利差から派生するキャリー・トレードだったと見られる。かつては世界の中で日本が突出して低金利であったため、円に金利差狙いのキャリー・トレードが集中する傾向があった。その分、金融危機の発生などでリスク回避的な市環環境になると、その巻き戻しから円買い戻しが発生。円高を加速させた。
だが、2010年代には欧州諸国など世界的な低金利環境の出現で、円が世界の中で突出した低金利通貨というわけではなくなった。その結果、キャリー・トレードも円に集中しにくくなり、逆にリスク回避時に円が買い戻されることも以前に比べれば少なくなったと考えられる。
逃避通貨としての円高を生じさせた3つ目の要因は、株価下落に伴うヘッジ操作などだ。例えば、日本株に投資する海外のリアルマネー投資家(長期投資家)の一部は為替中立戦略を採っているため、株価が上昇すると為替エクスポージャーを中立に保つため円売りヘッジを積み増し、反面、株価が下落すると円売りヘッジを削減するために円を買い戻すことが知られている。
時価総額の3割ほどを保有する海外投資家の日本株投資の仮に3割が為替中立戦略と考えると、10%の株安で6兆円ほどの円買い戻しが発生する計算となる。
加えて、過去には2016年1月の日銀による突如のマイナス金利政策の導入の後の株安、円高のように、生保など国内投資家が株安などでリスク許容度を低下させる場面で、リスク量を削減するために、米債投資など保有する海外資産のヘッジ比率を高めるようなことも起こってきた。これも為替需給的には円買いを伴うため、円高を加速させる要因となる。
<疑わしいリパトリエーション説>
過去には日本企業・投資家によるリパトリエーション(日本への資金回帰)が逃避通貨としての円高の要因として指摘されることも多かった。
だが、2008年のリーマン危機(グローバル金融危機)や2011年の東日本大震災の時もそうだが、実際には過去、そうした危機的状況で生保など日本の投資家によるリパトリエーションが大規模に発生したことはあまりない。
むしろ、そのような大規模リパトリエーションは過去、ドル高・円安が進行した時に発生してきた。その典型例が昨年の日本投資家による大規模な海外資産売却であり、財務省が円買い介入に動いたこともあって、昨年、ドル建てで見た対外投資残高(対外証券投資と直接投資の合計)は7.6兆ドルほどから6.1兆ドルほどへ1.5兆ドルも減少した。
2013年にも大規模なリパトリエーションが発生したが、この時はアベノミクス、黒田緩和による円安進行で、日本投資家が利益確定のために過去に投資した海外アセットを売却したことが大きかった。市場にはリパトリエーションが逃避通貨としての円高を促すと指摘する向きが多いが、このように実証性に乏しく、我々は極めて懐疑的に考えている。
<逃避通貨・米ドル高の真実>
この数年、日本円が逃避通貨としての特徴を弱める中、特徴を強めてきたのが米ドルだ。まず、この間の円安については、昨年前半までの原油・資源高が強く影響した可能性が疑われる。
もちろん1つは、日本の貿易赤字の拡大を通じてだが、インフレ抑制のための米連邦準備理事会(FRB)による果敢な金融引き締め、それに伴う金利差拡大がドル高・円安を促した。
だが、気をつけるべきは、この間、日本と同じように国際収支が悪化したユーロなど欧州通貨に対してのみならず、国際収支が改善した豪ドルや加ドルなどのような資源国通貨に対しても米ドル高が進んだことだ。
しかも、これらの通貨に対しては金利差とは無関係に米ドル高となった。つまり、ドル/円だけを見ていたら全体像を見間違えるが、昨年秋までの為替相場は金利差とは関係のない、いわば強制的な米ドル高が発生していたのだ。
この点に関しても筆者は、原油高の影響を疑っている。この間、シティ・グループの外国為替部門が独自に集計し、指数化している為替フロー・インデックスを見ると、とにかく著しく増えていたのが、我々がリアルマネーと呼ぶ、欧米の長期投資家による米ドル買いだった。
これには新規の米国投資もあっただろう。だが、それに加えて、米国債など安全資産、米株などリスク資産が同時に、しかも世界的に下落する極めて特殊な金融環境下、アセット価格の下落に対するヘッジ目的で米ドルが買われていた可能性があると筆者は考えてきた。
つまり、これこそがこの数年の逃避通貨としての米ドル高を演出してきた底流にあったのではないかと思われる。
だが、昨年半ば以降は資源相場が下落に転じ、供給サイドからのコストプッシュ・インフレ圧力がピークアウト。そうした中、そのようなヘッジ目的での米ドル買いは一巡し、昨秋以降はむしろポジション削減となってきた。
昨秋以降のドル/円急落に加え、この間、ユーロ/ドルが底堅さを増してきている(米ドルの底堅さが失われてきている)のは、このように過去に蓄積された、リアルマネー投資家による米ドル買いポジションの持ち高解消の動きがあるのではないかと察せられる。
長期的には米ドルは米株と逆相関の関係、つまり逃避通貨としての特徴を持っている。主要国通貨の中では、やはり英ポンドや加ドル、ノルウェーなどハイベータ通貨(リスク感応度の高い通貨)に対してその度合いは強く、円やスイス、ユーロなど経常黒字国通貨に対してその度合いは弱い。
とは言え、その時々の米ドルとリスクセンチメントの関係(つまり逃避通貨としての米ドルの特徴)は市場の全体環境次第で変化する。近年でも米株高、米ドル高だった2021年のように両者の関係が順相関となったこともある。
2022年以降は逆相関に戻っているが、前述のように昨年半ば以降、原油・資源相場の調整で、米金利上昇もピークアウトの兆しを見せてきた。
こうした中で持ち高解消的な米ドル売り圧力が高まってくるようだと、逃避通貨的な米ドルの特徴は次第に薄れていくことだろう。その時、貿易収支と交易条件の改善を背景に円高が進む場面が増えてくることも想定される。
冒頭記述の通り、筆者はそもそも本質的な意味においては逃避通貨という考え方に懐疑的だが、そのような時には日本円が「逃避通貨的な特徴」をもって復活してきたように見えることもあるだろう。
編集:田巻一彦
(本コラムは、ロイター外国為替フォーラムに掲載されたものです。筆者の個人的見解に基づいて書かれています)
*高島修氏は、シティグループ証券のチーフFXストラテジスト。1992年に三菱銀行(現・三菱UFJ銀行)に入行し、2004年以降はチーフアナリスト。2010年シティバンク銀行入行、チーフFXストラテジストに。2013年5月より現職。
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