November 22, 2019 / 8:22 AM / 11 days ago

コラム:ローマ教皇来日 日本が問われる「弱者への心」

[東京 22日 ロイター] - 世界のカトリック教会の頂点に立つローマ教皇の来日が38年ぶりに実現する。23日に日本に到着する教皇フランシスコは、被爆地の広島と長崎で核廃絶のメッセージを発信するほか、東京では東日本大震災の被災者らとの面会なども予定している。

世界のカトリック教会の頂点に立つローマ教皇が23日、38年ぶりに来日し、被爆地の広島と長崎で核廃絶のメッセージを発信する。写真は来日前にタイを訪れたローマ教皇。11月22日、ナコンパトム県サムプラーンで撮影(2019年 ロイター/Jorge Silva)

26日までの今回の日本訪問が、世界の平和を希求する教皇と日本国民とのきずなを深める貴重な機会になることは間違いない。

教皇フランシスコは、日本に初めてキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルらが創設したイエズス会の出身者。イエズス会からの初の教皇であり、中南米出身という点も過去に例がない。またロック音楽にのせて教えを語ることから「ロックスター教皇」との愛称もある。気さくな人柄から「庶民派」とも呼ばれる教皇は日本滞在中、様々な話題を提供してくれるだろう。

ロイターのジャーナリストとして、また1人のカトリック教徒として、私が注目しているのは、教皇フランシスコが語りかける「弱者への思い」だ。教皇という絶大な権威を持ちながら、隣人愛を黙々と実践するフランシスコ教皇の言動が、私たちの心に残り、日本が「弱者」と自然に寄り添う社会に変わっていく一助になれば、と期待している。

私は4歳で失明し、日本で初めての全盲の単身留学生として米国の一般高校で学んだ。その後、上智大学に進み、学部時代に教授だった神父の里帰りツアーに参加してバチカンを訪れた際、当時の教皇ヨハネ・パウロ2世から直接、祝福を受ける経験に恵まれた。就職したロイター通信(当時)では翻訳記者として海外報道に当たっており、ローマ教皇に関するニュースも継続的に配信してきた。

教皇フランシスコに関する様々な報道からは、弱者への強い思いと行動力が伝わってくる。バチカン周辺にホームレスのための無料医療施設やシャワーを設置したり、復活祭前に行われる「洗足式」を変革し、奉仕する相手を招くのではなく自ら出向いて祝福する方式にしたりと、社会の末端に行き渡る改革を次々と実現している。

定例の謁見式の最中に障害のある子どもが無邪気に近づいてきても、壇上で温かく迎え、遊ばせながら講話を続ける、といった人間味ある逸話も多い。神学生の指導者だった時代は、月曜から金曜までは学校で学び、週末には「スラム街に行き人々から学びなさい」と説いたという。教皇に上り詰めた今も、イエズス会の精神を受け継ぎ、修道士的な実践の精神を自ら貫いている。

教皇は今年、信者たちに「キリスト者である自分に、少なくとも一人の貧しい友人がいるだろうか」と自問するよう呼びかけた。カトリック教会が定めた「貧しい人のための世界祈願日」(11月17日)に先立ってバチカンのサン・ピエトロ広場で行われたミサでのことだ。

「世界移民・難民の日」に寄せたメッセージでは、世界はますます「エリート主義となり、排除された人々に対して残酷になっている」と指摘。社会に根付いている「廃棄の文化」をなくし、置き去りにされている人々の世話をすることがキリスト者の使命であると説いた。

教皇が自らの言動によって示しているのは、平常時にも隣人を思いやること、特にカトリックで「小さくされた人」と表現される社会的弱者と直接にかかわる心だ、と私には思える。

では、日本で「小さくされた人」はどんな状況に置かれているのだろうか。

私の幼少時代は、障害児が普通教育には「不適格」という扱いを受け、障害を持たない児童との統合教育の機会は認められなかった。私の就職活動でも100社以上の会社から障害を理由に面接の予約すら拒否され、ロイターの就職試験は「最後の希望」だった。

今は通勤時などに、多くの方から助けをいただいて、常に感謝の思いに堪えない。しかし、一方で、弱い者を標的に暴力や暴言で攻撃する子どもや、女性と見ると心ない行為に及ぼうとする人々に直面することもある。

物理的な障害物を取り除く「バリアフリー」、人々の様々な差異に配慮した「ユニバーサル」といった言葉が日本でも定着し、障害者へのまなざしはずいぶん温かく、公平になったと感じる。

ハンディキャップのある人がそうでない人と平等に人権を享受し行使できるようにするには、ひとりひとりの特徴や状況に応じて発生する障害や困難を取り除く対応が必要だ。2006年12月に国連で採択され、日本も批准している「障害者権利条約」では、これを「合理的配慮」と呼び、障害者の権利として唱っている。

しかし、現実には、平等主義の名の下で、この「合理的配慮」を障害や違いに対する「特別扱い」であると誤解して、受け入れようとしない風潮も根強いように思う。

たとえば、視覚障害者が駅のホームから転落する事故は後を絶たない。視覚障害者がわずかな変化でも歩行感覚を失うということを考慮せず、事故が起きると、不注意だとする「自己責任論」がしばしば出てくる。電車やバスなどの優先席で席を譲るという基本マナーでさえ、自然な行為という雰囲気より、特別なことだとの意識を感じる場面がまだまだ多い。

日本人は「困っている人」には大変に親切だ。私が困った顔をしていると、すぐにたくさんの人が助けてくれる。そうした優しさがありながら、日本人の心理には障害や差異への「特別視」が残っている気がする。

私は常々、困っている人や外国人を助ける「おもてなし」文化をさらに進化させ、隣人を自然に思いやる心をもっと育てられないものかと思う。そうすれば、日本社会は一段と成熟するだろうし、それは可能だと感じる。

教皇フランシスコは、人が「困っている」からでなく、「小さくされた」から助ける。弱者に対してためらわずに手を差し伸べるという自然な発想と姿勢がある。

今回の訪日で、私たちは教皇が弱者とかかわる姿を目にするだろう。それはカトリックの教義を超え、もっと根源的な問題として、私たちに「弱者への心とは何か」を自問する機会を与えてくれるのではないだろうか。

*これまで「ローマ法王」としてきた呼称を、今後は「ローマ教皇」に変更します。

(本コラムは筆者の個人的見解に基づいて書かれています)

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編集:北松克朗

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