May 30, 2018 / 12:59 AM / in 2 months

コラム:所得再分配、なぜ日本でも急務なのか=河野龍太郎氏

河野龍太郎 BNPパリバ証券 経済調査本部長

 5月30日、BNPパリバ証券の河野龍太郎・経済調査本部長は、経済成長以前の問題として、労働力・納税者の減少によって社会制度存続が脅かされている日本において、所得分配問題は喫緊の課題だと指摘。写真は都内で2015年3月撮影(2018年 ロイター/Yuya Shino)

[東京 30日] - 経済成長が先か、所得分配が先か――。この問いへの経済学的な回答は明らかであり、前者が先である。つまり、資源配分の効率性を高めて、1人当たりの経済成長を促し、経済全体のパイを拡大した上で、所得分配を行えば、一国全体の経済厚生を高めることができる。

もし、先に所得分配を行って、資源配分の効率性を損なえば、経済成長につながらないばかりか、経済全体のパイを縮小させる恐れがあり、一国の経済厚生を悪化させてしまうことになりかねない。

しかし、現状の日本で、どちらの政策の不足がより深刻か、と問われれば、ここ数年、筆者は所得再分配だと答えてきた。それは、困窮する人が少なくないとか、不平等が増しているから、といった倫理的、道徳的な立場からの主張ではない。

グローバリゼーションやイノベーションで所得増加が一部の経済主体に集中していることが自然利子率の低下をもたらし、人々の支出の不活性を通じて、先進各国の経済成長の桎梏(しっこく)になっていると強く懸念するからだ。それが今回のテーマである。

<成長戦略の遅れだけが原因ではない>

時間の経過もあって、リーマン・ショック時の後遺症は癒え、日本の潜在成長率は多少持ち直しているが、それでも1%弱の低いトレンドが続いていることに変わりはない。高齢者や女性の労働参加率の上昇、外国人労働の急増によって、労働投入の寄与は想定外に高まっているが、資本蓄積の貢献は依然、足踏みしている。

このままだと、アベノミクスは、大規模財政と積極金融緩和で総需要を一時的にかさ上げしたものの、成長戦略は不十分で、全要素生産性(TFP)や潜在成長率を高めることには失敗したと、多くの人は最終的に評価することになるのだろう。確かに、総需要政策による景気のかさ上げや円安・株高に慢心し、この5年半、成長戦略はあまり進まなかったのは事実である。

とはいえ、成長戦略が遅れたと言っても、TFPを損なうような政策が行われたわけでもない。何より、「規制緩和の塊」とさえ呼ぶことができる環太平洋連携協定(TPP)は、トランプ米政権が離脱を決める中で、安倍政権の努力によって米国を除く11カ国の間でなんとか締結された。にもかかわらず、なぜこれほどまでにTFPや潜在成長率の回復が遅れているのか。

振り返れば、1990年代以降、遅いという批判は当てはまるとしても、少なくとも逆戻りすることなく、規制緩和は一貫して続けられてきた。そもそも経済政策による努力で改善できるものなのか。

TFPや潜在成長率低迷の原因は、所得分配にもあるというのが、筆者の仮説である。われわれが推進してきたグローバリゼーションや労働節約型のイノベーションの結果、所得増加が一部の経済主体に集中し、所得分配面の弊害が現れているのではないだろうか。

もちろん、アンチ・グローバリゼーションやアンチ・イノベーションを擁護するわけではない。豊かになるには、グローバリゼーションやイノベーションを進め、1人当たりの経済成長率(つまり生産性上昇率)を引き上げなければならないという筆者の従来からの主張に変わりはない。

しかし、一部経済主体への偏った所得増加は、以下述べるように、動学的な経済成長のメカニズムにおいて深刻な問題を引き起こす可能性がある。

<一部の経済主体に所得増加が集中>

1990年代以降、先進国経済は第2次機械時代(セカンド・マシン・エイジ)に突入し、その結果、世界経済は第2次グローバリゼーションの時代を迎えた。情報通信技術(ICT)革命によって、国境を越える情報やアイデアの移動コストが劇的に低下したため、先進国の企業は、自らの持つノウハウと途上国の安価な労働力を組み合わせることが可能となり、生産工程のオフショアリングを進めたのである。

この結果、先進国では脱工業化が進み、中国など一部の新興国では工業化が著しく進展した。近年は米国より日本の脱工業化の方が著しい。

問題は、グローバリゼーションやイノベーションによって生産性が上昇した際、先進国で誰が恩恵を享受したかである。残念ながら平均的な労働者の所得増加は限られ、資本やアイデアの出し手、一部経営者に所得増加が集中している。

つまり、セカンド・マシン・エイジや第2次グローバリゼーションに突入した結果、先進国では、すう勢的な労働分配率の低下がもたらされた。それゆえ、先進各国で、完全雇用に達した現在も賃金上昇が限られ、インフレ上昇が相当に遅れている、というのが筆者の持論だ。

構造的な要因で、賃金上昇が遅れているにもかかわらず、無理に金融緩和で対応しようとするから、資産価格ばかりが上昇し、過去20年、「ブーム・アンド・バスト」(活況と崩壊)が先進国で繰り返されている。

労働分配率のすう勢的な低下が先進国の賃金やインフレの上昇の遅れをもたらしているという点は、少なからぬ人が徐々に気付き始めている。しかし、いまだに十分認識されていないのが、限られた一部の経済主体に所得増加が集中することの、実物経済上のインプリケーション(含意)である。

サプライサイドで生産性が上昇しても、支出性向が高い平均的な家計の所得があまり増加せず、一方で支出性向が低い豊かな経済主体ばかりに所得増加が集中すると何が起こるか。マクロ経済全体で見ると、支出は十分に増えないため、貯蓄が積み上がる。所得・支出の好循環が働かないということである。

そのことは、経済学的には、貯蓄と投資を均衡させる自然利子率の大幅低下を意味する。自然利子率がマイナスの領域まで低下すれば、金融政策は機能しなくなり、完全雇用に到達することが難しくなる。イノベーションが枯渇したために長期停滞に陥ったのではなく、グローバリゼーションや労働節約的なイノベーションで自然利子率が大幅に低下したから長期停滞に陥ったというのが筆者の仮説である。

<日本は社会的再生産が困難に>

それでも理論上、完全雇用に到達することは不可能ではないが、それにはバブルを醸成するか、巨額の経常黒字を作り出すか、持続不可能な水準の基礎的財政収支(PB)赤字を抱えることの、いずれかが必要となる。

実際、日米独は完全雇用にあるが、米国はバブルの醸成によって、ドイツは巨額の経常黒字によって、日本は巨額のPB赤字と経常黒字の継続によって、完全雇用を維持している、というのが筆者の診断である。

もちろん、日本では、欧米のように一部の経営者に所得が集中しているわけではない。ただ、支出性向がそれほど高いとは言えない企業部門に所得が積み上がり、支出性向の高い家計部門の所得があまり増えなければ、同じように自然利子率は大幅に低下し、経済の好循環が損なわれる。現に企業部門の貯蓄は相当に積み上がっている。

アベノミクスのスタート段階から、消費低迷をもたらす構造的な要因は、所得分配面での企業部門から家計部門への波及経路の寸断であり、超金融緩和政策や円安政策で企業部門の所得をさらに改善させても、賃金上昇は限られ、一方で円安やゼロ金利で家計の実質所得が損なわれるだけだから、個人消費の回復にはつながらないと懸念を表明してきたのは、このためである。

勘の良いトランプ米大統領は、問題の本質が分配にあることを当初から察知し、反グローバリゼーションや反イノベーションなどの主張を掲げ、不満を持つ有権者から支持を集めた。しかし、それだけでは結局、皆が貧しくなるだけだ。政府が行うべきは、グローバリゼーションやイノベーションを阻害することではなく、経済全体の生産能力を大きくした上で、その過程で生じた分配問題を正すことである(もちろん、そのことは政治的には容易ではないのだが)。

さて、日本では、欧米と異なり経済格差は深刻ではなく、むしろ1人1人の所得向上のためのインセンティブを高めるには、経済格差の多少の拡大が望ましいと主張する人もいまだにいる。

そうした主張は、過去20年間で深刻化した相対的貧困やワーキングプア、子供の貧困、貧困の連鎖、アンダークラス(非正規労働者ら新たな下層階級)などの問題を無視しているようにもみえるが、社会の分断が著しく進んでいるがゆえに、恵まれた人にとっては、全く別の世界の出来事であって、事実そのものが十分に認識されていないのかもしれない。

ただ、所得が十分ではないために、結婚を諦め、あるいは婚期が遅れ、それゆえ、出産時期が遅れ、あるいは望んだ数の子供を持つことができない家計が増えているから、その結果、少子化が著しく進んでいることは、ある程度、社会全体で認識されてきた。単に人々の価値観が変わったから、非婚や晩婚、少子化が進んだわけではない。期待されたはずの第3次ベビーブームが生じなかったことが典型だが、現在、われわれが目にしている人口動態の変化は、1980年の段階において必然だったわけではない。

1990年代以降の経済構造や分配構造の変化が、人々の就業行動だけでなく、婚姻や出産にも大きく影響し、その結果、将来の労働力が減少し、社会保障制度の維持も難しくなっているのである。単に低成長が続いているだけでなく、社会的再生産そのものが困難になっている。

経済成長以前の問題として、労働力の減少、そして納税者の減少によって、社会制度の存続が脅かされているのは、先進国の中では、日本だけではないだろうか。そうした点でも分配問題は喫緊の課題である。

<新たな経済地殻変動で人材ミスマッチが拡大>

最後にもう1つ。最近、気になるのが国内総生産(GDP)統計を基に計算した需給ギャップ以上に、日銀短観の雇用人員判断DIや営業・生産設備判断DIから計算される需給ギャップが大幅改善を続けていることだ。2013年以降、乖離が大きくなっている。人手不足感を感じる企業が著しく増大していることが原因だが、これは何を意味するのか。

1990年代以降始まったセカンド・マシン・エイジや第2次グローバリゼーションによってオフショアリングが著しく進んだ結果、先進各国と同様、日本でも中間的な賃金の仕事が減り、賃金水準の比較的高い仕事と賃金水準の比較的低い仕事の二極化が生じている。

賃金水準の低い仕事に関しては、高齢者や女性の労働参加の高まり、あるいは外国人労働の急増によって、何とか賄われているが、日銀が高圧経済戦略を続けていることもあって、著しく人手が不足していることに変わりはない。一方、高スキルの仕事については、企業からの強いニーズにもかかわらず、その供給が限られ、企業の不足感は全く和らいでいない。

セカンド・マシン・エイジ論の提唱者であるマカフィー教授とブリニョルフソン教授は、AI(人工知能)やプラットフォーム、クラウド・ソーシングの著しい発達によって、2010年代からセカンド・マシン・エイジが新たなフェーズに入ったと近著では主張している。貿易論の大家で第2次グローバリゼーション論の提唱者であるボールドウィン教授もロボティクスやテレプレゼンスなどリモート・インテリジェンス(RI)の著しい発達によって、ヒトのバーチャルな移動が低コストで可能となり始めたため、第2次グローバリゼーションが新たなフェーズに入りつつあると近著で論じている。2010年代以降、再び大きな経済の地殻変動が始まっているのではないか。

セカンド・マシン・エイジや第2次グローバリゼーションは、先進国で労働力を不要とする傾向があるとはいえ、専門性の高い労働への需要は高まっているはずである。1つの仮説は、グローバリゼーションやイノベーションが新たなフェーズに入り、高い付加価値を生み出す高スキル労働がこれまで以上に求められているにもかかわらず、人材供給がなされず、ミスマッチが拡大しているというものである。

仮にミスマッチが解消され、実際の所得が生み出されれば、多少なりとも支出増加につながり、そのことはグローバリゼーションやイノベーションの恩恵が多くの人に広がることを意味する。分配政策の必要性が無くなるわけではないとしても、一部の経済主体への所得集中は多少和らげられる。こうした点で、分配政策と同様、人的投資を行うことも重要な課題である。

河野龍太郎 BNPパリバ証券 経済調査本部長(写真は筆者提供)

*河野龍太郎氏は、BNPパリバ証券の経済調査本部長・チーフエコノミスト。横浜国立大学経済学部卒業後、住友銀行(現三井住友銀行)に入行し、大和投資顧問(現大和住銀投信投資顧問)や第一生命経済研究所を経て、2000年より現職。

*本稿は、ロイター外国為替フォーラムに掲載されたものです。筆者の個人的見解に基づいています。

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