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コラム:米国も「権威主義的国家」に向かうのか=河野龍太郎氏
2017年8月1日 / 01:43 / 4ヶ月前

コラム:米国も「権威主義的国家」に向かうのか=河野龍太郎氏

[東京 1日] - 1800年以前の人類の長い歴史の中で、長期的な1人当たりの所得増加率はほぼゼロ%だったと考えられている。もちろん、それ以前に経済が全く成長しなかったわけではない。しかし、それは1人当たり所得の増加によるものではなく、主に人口増加による所得の増加が原因だった。つまり、生産性とそれに連動する生活水準の継続的な向上が始まったのは19世紀からだ。

現在の富裕国(1人当たり所得水準の高い国)を見ると、産油国や都市国家以外は、いわゆる先進国と呼ばれる国々だ。富裕国の所得水準が高いのは、高い成長率が続いているからではない。収斂(しゅうれん)の法則も働き、富裕国の成長率は決して高くはないが、それでも所得水準が低所得国に凌駕されることはない。この200年間を見ると、トップ30カ国に新たに加わったのは、産油国や都市国家などを除くと、日本など極めて限られた国だけだ。

富裕国と低所得国の間で、一体、何が異なるのか。富裕国の成長率は拡大局面でも、それほど高くなるわけではないが、後退局面でマイナス成長となる期間が短いことが特徴だ。反対に低所得国は、拡大局面では富裕国を上回るスピードで成長するが、所得収縮が頻繁に生じ、落ち込みも大きいため、貧しいままなのである。

低所得国の政策当局者には、持続的成長という発想が不十分で、景気拡大局面でより高い成長を追求し、「ブーム&バスト」(景気の大きな振幅)が起きやすいのだろうか。もし仮にそうだとしても、それは富裕国も同じだ。高い成長が訪れると、それが永続するかのような錯覚に陥り、政策当局者を含め皆が「ブーム&バスト」に拍車を掛けるのは変わらない。

1800年以前は今の富裕国も1人当たり成長率がゼロだったと述べたが、それはずっとゼロだったことを意味するわけではない。プラスの成長の時代もそれなりにあったが、経済収縮の時代もあったため、均(なら)すとゼロ成長だったということだ。つまり富裕国になれたのは、所得収縮期を減らすことのできる社会制度が19世紀に備わったから、ということだが、それは一体何だったのだろう。

今回は、ノーベル経済学賞を受賞した新制度派経済学の大家、故ダグラス・ノース教授らが、近代的な政治・経済システムの成立を「暴力の制御」というユニークな視点から論じた著書「暴力と社会秩序:制度の歴史学のために」(以下、本書)を参照しつつ、この点を検討してみたい。

<途上国から先進国への移行はなぜ稀か>

人類の歴史は、暴力とその制御の歴史とも言える。暴力回避の成否が、社会の安定と発展を大きく左右してきた。動乱が生じれば、経済成長が止まるどころか、経済収縮を余儀なくされる。近代社会が誕生したのは19世紀だが、今でも国民が政治的自由と経済的自由を享受するのはわずか30カ国足らずで、全人口の15%に満たない。政治学では秘密投票による選挙を民主制の象徴として重んじるが、仮にそれが行われていても、権威主義的国家では、野党勢力は国家による暴力の威嚇を常に意識して行動を取らざるを得ない。

本書は、先進国とそれ以外の国で何が異なるのか、暴力の制御という視点から、理論的、歴史的に分析した野心作だ。有史以来、人類にはこれまで3つのタイプの社会秩序が存在した。1つ目は、狩猟採集時代の社会秩序で、2つ目は、その後長らく社会基盤となった自然国家の社会秩序(アクセス制限型の社会秩序)である。3つ目が、19世紀の西欧に出現し、現在の先進国で見られるアクセス開放型の社会秩序だ。現在も先進国ではない国々では、程度の差はあれ、経済資源や政治組織へのアクセスが制限される自然国家型の社会秩序が続いている。

経済発展が全く望めない狩猟社会においては、暴力の頻度は今よりも相当に高く、武力を持つエリートと持たない非エリートの間で支配関係が生まれ、その後、原始的な自然国家が形成されていった。支配層は非エリートの経済資源へのアクセスを制限することでレント(超過利潤)を得るが、このレントの配分を巡って、支配層内で武力的闘争が生じる。しかし、互いに争うより協力する方が、レントが大きくなるインセンティブ構造を構築することで、支配層は暴力を制御してきた。よく観察すると、こうした社会安定の論理は、今も多くの国家で観察される。

従来の理論は、マックス・ウェーバー流に、暴力を独占する単一主体として国家を扱ってきた。本書は、その論理が当てはまるのは先進国だけで、自然国家においては、国家を単一の主体ではなく、支配連合の均衡、パワーバランスとした点に大きな意義がある。

例えば、大不況、相対価格の変化、技術革新など大きな外的ショックによって、内紛や内乱が生じるのは、国家が単一の主体ではないことの明白な現れだ。外的ショックが分配すべきレントを縮小させたり、デメリットを被るエリートを生じさせ支配連合内のパワーバランスを大きく崩すがゆえに、内紛や内乱が生じる。その後、社会を安定させるべく、インセンティブ適合的なレントの配分構造が再構築される。

私たちは、経済成長を促進すると考え、先進国と同様に、途上国に対しても規制緩和を強く求める。しかし、規制緩和でむしろ途上国経済が混迷することがあるのは、有利になるエリートが現れる一方、不利になるエリートが現れ、支配連合内のパワーバランスが崩れ政治が不安定化するからである。内乱が生じれば、経済収縮が続く。

アジア危機の際、支援条件として、国際通貨基金(IMF)は厳しい経済構造改革を要求し、それがさまざまな社会的亀裂を当該国にもたらしたことはよく知られているが、本書の仮説を当てはめれば、IMFは誤った政策を推進したということになるのだろう。政治的、経済的な競争促進が社会秩序の安定を促すのは、政治的組織や経済的組織の新設が万人に認められている先進国だけなのである。

自然国家では、経済構造が変われば、エリート連合内のパワーバランスが崩れるため、時として暴力の制御も困難になる。アクセス開放型秩序の先進国では、仮に政治的癒着でレントが生み出されても、政治的競争の中で縁故主義的な施策に対し強く批判が生じるため、レントそのものが長続きしない。あるいは無理に押し通そうとすると、政権そのものの存続が難しくなる。それゆえ、法の支配を強く意識した政権運営となるため、政治システムと経済システムが独立して動いて見える。

もちろん、先進国でなくても、法の支配が貫徹しているように見える国もある。しかし、それは、我々がビジネスをする相手が支配連合のエリート層だからだ。成熟した自然国家では、エリート層の間では法の支配が適用されるが、非エリートに対しては、多くの経済資源への自由なアクセスは強く制限されている。また、自然国家と取引を行う我々外国人に対しても、法の支配が適用され、当該国政府からの介入は抑制される。しかし、大半の国民にとっては、エリートや彼らと取引する海外企業だけが法外な特権を得ているということになる。

<19世紀に成長の時代が訪れた理由>

本書では、自然国家からアクセス開放型秩序への移行について、英米仏の歴史的事例を詳細に検討している。従来の学説では、これらの国で19世紀に成長の時代が始まったのは、15世紀や16世紀の地理的発見や科学的発見に続いて、17世紀、18世紀に政治経済思想の発展が訪れたおかげとされてきた。つまり、人々の創意工夫による経済的利益の追求を擁護する自由主義的政治思想が広く普及、その後、蒸気機関などの広範囲な実用化によって、19世紀に成長の時代の到来という形で、それらの理論が花開いたというのが通説だ。

ただ、本書が示す通り、最も先進的だったはずの英国においてさえ、18世紀半ばまで、支配連合内のエリートも、党派的対立の下で、死や追放の恐怖に直面していた。さらにこの段階でもまだほとんどの人には経済資源への自由なアクセスは制限されている。

本書も、17、18世紀の政治経済思想の発展の恩恵は認めてはいるが、19世紀半ばに成長の時代が幕を開けたのは、株式会社など経済組織の自由な設立が可能になったことの影響が大きい点を強調している。それまで個別の案件ごとに、議会が限られた一部の超エリートにのみ認めていた会社設立が、1844年法や1856年法の制定によって、非属人的な行政手続きだけで可能となった。その後、実際に会社設立が急増、分業の利益を可能にする経済組織が自由に作られるようになり、経済が持続的に成長するようになった。現在も、所得水準の高い国の経済組織数(主に企業数)は著しく、一方で所得水準の低い国の経済組織数は少ないままである。

ところで、19世紀半ばの法改正を70年ほどさかのぼる1720年に「南海バブル」が生じている。その際、株価操作による不正根絶を目指してバブル法が制定された。そこでは、企業体をより少数に限定し、そもそも競争を抑制することが国王や特権商人、議会など支配連合の財政的、政治的利益になるとの判断もあって、企業設立は株式会社を含め、強く制限された。

アダム・スミスは1776年に著した「国富論」の中で、自由で開放された競争が望ましく、参入制限でレントを生み出す企業体を強く批判していた。一部企業の有用性を認めつつも、企業体全般へのスミスの評価が低いのは、当時の多くの企業体が、政治的利益を確保するための経済的特権の象徴、つまり縁故主義的政策の象徴だったためである。

<米国が「自然国家」へ後戻りする可能性は>

さて、先進国以外では、今でも政権交代があると、苛烈な政治的報復が繰り広げられる場合がある。政権を失うと暴力的な政治報復を懸念するがゆえに、より強権的な政権運営が追求されるケースもある。民主化が進んでいたはずの国で、いつの間にか権威主義的色彩が強まっているケースも少なくない。

1990年代、2000年代の長い経済成長の後、リーマン・ショックや、欧州債務危機といった先進国発の大きな外的ショックの余波で、支配連合内のパワーバランスが不安定化し、安定化を図るべく権威主義的色彩を強めたということもあるのだろう。もちろん、それが事態を悪化させる可能性もあるのだが。

実は、本書を手にした直接のきっかけは、政敵の投獄をほのめかすトランプ大統領の出現で、米国も権威主義的国家に向かうのではないか、と懸念したためだった。米国では、顧客や株式市場ではなく、ホワイトハウスを向いた企業経営者も増え、縁故資本主義的色彩が見られるのも事実である。自然国家へ後戻りすることはあるのか。

ただ、本書を読み進めて分かったのは、先進国は解決方法を競争的に発見する高い適応能力を備えているということだ。経済・政治のいずれにおいても、問題解決の可能性を最も秘めたグループが新たに市場や投票を通じて選出され、問題解決にチャレンジする。政治的、経済的な競争の存在のおかげで、アクセス制限的社会秩序である自然国家に比べ、新たな環境への適応能力は高い。解決策が直ちに得られない問題についても、新たなグループが現れ、よりましな解決策の模索が可能である。何より米国では、あまりに極端な政策については、三権分立によって、けん制のメカニズムが強く働く。それゆえ、米国が権威主義的国家に向かうのは、何とか避けられるのではないか。

1つ心配されるのは、米国に限らないことだが、多くの先進国で、既存の政党システムがうまく機能しなくなっていることである。本書が提示する19世紀に誕生した先進国のアクセス開放型秩序は、政治面では、政治的競争を可能とする政党システムを前提としていた。人々を包摂(ほうせつ)する新たな政党やそれに代わるシステムが生まれてくれば良いが、それが果たして可能だろうか。政党を通じた政治の競争システムそのものが時代遅れになっているとすれば、事は深刻である。

*参考文献:「暴力と社会秩序:制度の歴史学のために」ダグラス・C・ノース、ジョン・ジョセフ・ウォリス、バリー・R・ワインガスト著 杉之原真子訳 NTT出版

*河野龍太郎氏は、BNPパリバ証券の経済調査本部長・チーフエコノミスト。横浜国立大学経済学部卒業後、住友銀行(現三井住友銀行)に入行し、大和投資顧問(現大和住銀投信投資顧問)や第一生命経済研究所を経て、2000年より現職。

*本稿は、ロイター日本語ニュースサイトの外国為替フォーラムに掲載されたものです。

(編集:麻生祐司)

*本稿は、筆者の個人的見解に基づいています。

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