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コラム:新・長期停滞論、「完全雇用」を喜べない訳=河野龍太郎氏
November 28, 2017 / 2:39 AM / in 15 days

コラム:新・長期停滞論、「完全雇用」を喜べない訳=河野龍太郎氏

[東京 28日] - 2016年後半から世界経済の成長ペースが加速していることもあって、政策論で一時話題をさらっていたサマーズ・ハーバード大学教授(元米財務長官)の長期停滞論は下火となっている。日本だけでなく、米国もドイツも完全雇用にあり、長期停滞とは相いれない経済状況だ。

また、一部の人々は長期停滞の原因として、イノベーションの枯渇を挙げていたが、現在は人工知能(AI )やロボットの導入などデジタル革命が加速し、むしろイノベーションの時代が訪れているとも言える。

では、長期停滞論は、リーマン・ショック後に現れた、行き過ぎた悲観論と考えるべきか。いや、日米独で完全雇用が可能となっている理由を分析すると、長期停滞に陥っている可能性は排除できないように思われる。バブルや継続的なプライマリー収支赤字、大幅な経常黒字を伴っているから、完全雇用の達成が可能になっていると言うべきではないか。今回は、長期停滞論について改めて考える。

<マイナス金利政策の限界>

まず長期停滞とはどのような状況か。金利との関係で考えると分かりやすい。総需要を潜在的な国内総生産(完全雇用に対応するGDP)に一致させる金利水準を自然利子率と呼ぶが、自然利子率がマイナスの領域にある状況を長期停滞と呼ぶことができる。

本来、総需要が潜在GDPを下回れば、金利を低下させることで総需要を刺激し、経済の需給を均衡できる。だが、ゼロ金利制約が存在するため、自然利子率がマイナスの領域まで低下すると、インフレ率が低い場合、実質ベースの政策金利を自然利子率より低い水準まで引き下げることができなくなり、総需要を刺激して経済を潜在GDPの水準まで引き上げることもできない。

そうなると需給ギャップの悪化でインフレ率はさらに低下するため、実質ベースの政策金利を引き下げるのはますます難しくなる。端的に言えば、自然利子率がマイナスの領域に入ると、完全雇用に対応する潜在GDPの水準まで総需要を引き上げることができないため、一国経済は長期停滞に陥る。

マイナス金利政策の登場で、ゼロ金利制約が取り払われたと考える人もいるかもしれないが、キャッシュに対してマイナス金利を付けることができないため、マイナス金利を深掘りすると、預金からキャッシュへの大量の資金シフトが生じ、流動性がひっ迫する恐れがある。少なくとも現在の金融政策技術の下では、ゼロ金利制約が取り除かれたとは言い難い。

では、長期停滞を脱する方法はないのか。生産性を改善させるイノベーションが実行可能だとするなら、それが1つの解決策になり得ると考える人が筆者を含めて少なくなかった。イノベーションで生産性上昇率が高まれば、人々の恒常的所得も増大するため、消費水準も上がり、総需要は潜在GDPの水準まで上昇する。その過程で、自然利子率も上昇し、金融政策の有効性は復活する。

ただ、動学的な経路次第では、総需要が増大すると同時に、潜在GDPも同じかそれ以上に改善するため、自然利子率は低迷したままかもしれない。それゆえ、GDPは増大するとしても、完全雇用は達成できないかもしれない。クルーグマン・ニューヨーク市立大学教授が当初、イノベーションによる供給サイドの強化が必ずしも解決策にはならないと論じていたのはこのためである。

<所得増加が一部の人々に集中>

最近、筆者が懸念しているのは、近年のデジタル革命がもたらすイノベーションは、経済全体の所得を増やしはするものの、総需要を十分に増やさず、むしろ自然利子率を低下させる可能性があるのではないかという点だ。

イノベーションによって所得が増えても、それは資本や知識資本の出し手、経営者など一部に集中するかもしれない。各国で観測されるイノベーションは、所得分配に対して果たして中立的だろうか。資本と労働の代替の弾力性は1を超えている可能性があり、その場合、所得水準の高い人々の支出性向は極めて低いため、総需要は十分増えない。総所得が増えても、支出に回らず貯蓄ばかりが増えるため、自然利子率は低下する。

事実、各国とも労働分配率の低下傾向が続き、景気拡大が長引いても、支出性向の高い平均的な労働者の実質賃金の改善は、マクロ経済の回復ペースに比べて遅れている。

従来の長期停滞論では、イノベーションの枯渇によって、自然利子率が低下しているというのが支配的な主張だった。だがデジタル革命によって、支出性向の低い一部の経済主体に所得の増加が集中し、平均的な労働者の所得増につながっていないため、自然利子率が低下する可能性がある。

同じことだが、家計部門と企業部門を分けて考えると、イノベーションが進み企業部門で所得(利益)が増えても、デジタル革命下では大規模な物的投資を必要としないため、貯蓄ばかりが積み上がり、自然利子率が低下する。経営者の報酬がさほど多くない日本では、この点を強調すべきかもしれない。また、グローバリゼーションの進展や、儲かっても簡単には従業員の賃金を上げないという社会規範の成立も労働分配率の低下を通じて、自然利子率を低下させている可能性がある。

ちなみに、19世紀初頭の産業革命を振り返ると、やはり所得の増加は資本やアイデアの出し手に集中し、社会全体へ恩恵が広がるまでには長い期間を要した。ようやく19世紀後半になって、農村部門の余剰労働が都市の工業部門に吸収され、人手不足から、実質賃金が上昇し始めた。

ただ、今回のデジタル革命下では、労働力がAIやロボットに代替されるという話だから、労働力は余剰傾向が続き、平均的な労働者の実質賃金は低下する可能性すらある。社会全体にデジタル革命の恩恵が広がるには、19世紀の産業革命より、さらに長い時間を要するかもしれない。

だとすると、長期停滞を脱するにはどうすればよいのか。もしイノベーションやグローバリゼーションの進展、社会規範の変化が一部の経済主体の所得集中をもたらし、自然利子率が低下しているのなら、本来望ましい政策は、所得再分配を強化し社会保障制度を拡充することや、企業に積み上がった貯蓄を吐き出させる政策だ。

実現性はともあれ、ベーシックインカムの導入や企業の内部留保への課税を主張する人が増えてきたのは、人々が問題の本質を徐々に認識し始めたからだろう。二重課税の問題に目をつぶれば、フローベースの内部保留への課税は実現不可能ではないし、大恐慌期の米国ではその実績がある。だが、経済構造の変化で恩恵を受けた人々は、自らの努力によるものと当然にして考えるから、獲得した所得を進んで分かち合おうとはしない。

<米国はバブルで完全雇用を達成>

ところで、なぜ米国や日本、ドイツで完全雇用の達成が可能となっているのか。各国の政策当局が長期停滞への対応として必ずしも意図したわけではないだろうが、まずバブルを醸成することで、総需要をかさ上げし、完全雇用を達成している。これは主に現在の米国の姿だ。

次にプライマリー収支赤字を財源に追加財政を続けることで総需要をかさ上げし、完全雇用を達成している。これは現在の日本の姿だ。また、高水準の経常黒字を生み出すことで総需要をかさ上げし、完全雇用を達成している。これは主にドイツの姿だと言えるが、日本にもそうした側面はある。問題は、これら3つの経路はいずれも持続可能性に欠ける点だ。

まず、バブル醸成による完全雇用の達成。イノベーションの結果、景気拡大が長期化しても、労働分配率の低下で、賃金上昇が遅れているため、堅調な企業業績が継続している。賃金上昇が遅れているから、コスト転嫁の必要性も薄く、インフレの上昇も遅れる。それゆえ、中央銀行は緩和的な金融環境を続け、それが資産価格の上昇をさらに後押しする。

初期段階では、労働分配率の構造的な低下がもたらす一度限りの資産価格水準の切り上げだったはずだ。だが、インフレ上昇が鈍いため、中央銀行は利上げを相当に遅らせてきた。緩和的な金融環境が永続するという見方が市場参加者の期待に徐々にビルトインされ、割高になった株価をさらに押し上げ、バブルの領域に入ったのだと思われる。

米国で雇用者所得の回復が遅れているにもかかわらず、個人消費の拡大ペースが比較的堅調なのは、株高による資産効果で貯蓄率が低下しているためだ。それゆえ、完全雇用が維持されている。だが当然、資産価格の上昇も貯蓄率の低下も永久には続かない。バブルはいずれ崩壊し、貯蓄率の急激な上昇が始まることで、実体経済の調整が始まる。筆者の念頭にあるのは今のところ2019年だ。

次にプライマリー赤字の継続による完全雇用の達成である。プライマリー赤字を作り出すことは、将来の所得の先食いに他ならず、いずれかの段階で必ず債務返済を迫られる。増税・歳出削減を選択しないのならば、経済の冷徹な法則が働き、いずれ高率のインフレ・タックスが訪れる。

未曽有の公的債務を抱えるにもかかわらず、日銀による大量の国債購入やイールドカーブ・コントロールによって長期金利が極めて低位で抑え込まれているため、人々は公的債務の膨張に無感覚になり、景気拡大局面でも、追加財政が繰り返されている。その結果、完全雇用が達成されているのに、プライマリー収支の黒字化が全く見通せない状況だ。

マクロ安定化政策の観点から言えば、プライマリー赤字を続けることで、完全雇用が達成されており、そして完全雇用が損なわれることを恐れて、財政健全化を開始できないという状況に陥っている。自然利子率が低く市場金利が簡単には上がらないこともあり、財政危機の臨界点は直ぐには訪れないにしても、永久に訪れないわけではない。財政危機を回避するため、日銀の政策目標はいずれ物価安定から長期金利の安定に変更せざるを得なくなる可能性がある。

<経常黒字による完全雇用も持続的でない>

最後は大幅な経常黒字による完全雇用の達成だ。ドイツで完全雇用が維持されているのは、GDP比で8%もの巨額の経常黒字を生み出しているからだ。周辺国の景気低迷もあって、欧州中銀(ECB)が相当な金融緩和を続け、ユーロ安が維持されている結果、ドイツ経済の実勢に比べ、相当な実質通貨安が続いており、大幅な経常黒字を可能としている。

金融緩和によって通貨の減価が可能となり完全雇用が達成されているのなら、必ずしも長期停滞に陥っているとは言えない。ただ、ドイツ経済単体で見れば、現在の為替レートは維持可能ではないはずだ。ドイツの実質通貨安は統合通貨の存在ゆえに可能となっている。また、アグレッシブな金融緩和によって大幅な実質円安となっている日本も、完全雇用を達成する上で、経常黒字が一定程度の役割を担っている。

もちろん、経常黒字による完全雇用の達成は、バブル醸成やプライマリー収支赤字による完全雇用の達成に比べれば、健全性の問題は小さいと言える。だが当然、海外経済が不調になれば、高水準の経常黒字を維持し総需要をかさ上げすることは難しくなる。

実際、2000年代の日本は、財政は緊縮気味で、主に高水準の経常黒字を作り出すことによって完全雇用を達成したが、2008年以降、海外経済の大幅な落ち込みによって、それは瓦解した。外需の増加によって一時的に自然利子率は上昇したとみられるが、内需の持続的な回復が始まったわけではなかった。現在、各国が長期停滞に陥っているのだとすれば、そして米国がバブルを醸成することで好調を維持しているのだとすれば、大幅な経常黒字の継続によって総需要をかさ上げし、完全雇用を維持することの持続可能性は、それほど高いとは言えない。

では、再び世界経済の下降局面が訪れれば、各国はどのような政策対応をとるのか。今度は所得分配の強化が検討されるのだろうか。いや、経済格差の大幅な拡大で社会の安定性が大きく損なわれるといった事態にならなければ、それは容易には選択されないだろう。

再びアグレッシブな金融緩和が取られ、バブルを醸成することになるのか。それもあり得るが、近年は、行き過ぎた金融緩和への反省機運が世界的に広がっている。日本に倣って、事実上の中央銀行ファイナンスで大規模な追加財政が取られ、完全雇用を達成しようとするのだろうか。その可能性は決して低いとは思われない。

*河野龍太郎氏は、BNPパリバ証券の経済調査本部長・チーフエコノミスト。横浜国立大学経済学部卒業後、住友銀行(現三井住友銀行)に入行し、大和投資顧問(現大和住銀投信投資顧問)や第一生命経済研究所を経て、2000年より現職。

*本稿は、ロイター日本語ニュースサイトの外国為替フォーラムに掲載されたものです。(here

(編集:麻生祐司)

*本稿は、筆者の個人的見解に基づいています。

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