[東京 16日] - 2019年中のドル/円JPY=EBS相場は、7.6%のレンジ内での推移にとどまった。これは1980年以降最小で、過去3年間は連続して10%以内、105円─115円のレンジをほぼ外れていない。
為替相場の変動は2つの通貨の変きが重なって発生するが、近年、ドル/円相場のレンジが小幅なのは、1)円の動きが小さくなっている、2)円と米ドルの動きに差が付かなくなっている──という2つの要因が影響している。
円の名目実効レートの年間変化率(絶対値)は直近3年間の平均が3.8%で、データをさかのぼれる1997年以降で最小となっている。円の変動幅が小さくなっている理由は、簡単に言えば、円が以前ほど「安全通貨」と呼ばれるような動きをしなくなったことが背景になっていると考えられる。
円は先行き不透明感が強まると買われることから、しばしば「安全通貨」と呼ばれる。しかし、そもそも円がこうした動きをする理由は、「安全通貨」として選ばれて買われていたわけではなく、元々売られていた円が買い戻されていたからである。
市場参加者は通常、リスクテイク志向が強い時に、低金利通貨である円を売る一方、高金利通貨を買うことによって金利差を稼ぐキャリートレードを活発に行う。しかし、地政学的リスクの顕現化などを受けて、先行き不透明感が強まり、投資家のリスク回避志向が強まると、投資家はポジションを閉じる必要に迫られるため、買っていた高金利通貨を売り戻し、売っていた円を買い戻すという行動に出る。
これが、円が「安全通貨」のように買い戻される理由である。ちなみに、かつて「有事のドル買い」と呼ばれたのも同じメカニズムだ。
つまり、円は先行き見通しが明るいと見られているときに余計に売られるので、先行き不透明感が強まるとその分、余計に買い戻される結果、動きが大きくなっていた。
しかし、ここ数年は、次の3つの理由から先行き見通しが明るいときでも円が売られなくなっている。
1つ目は、海外勢を中心に円が実質的に歴史的割安水準にあるという認識が強まり、現状レベルから円を売ることをちゅうちょする市場参加者が増えていること。
2つ目は、そもそも他の国も低金利になっていることから、高金利通貨と呼べる通貨がなくなり、キャリートレードが活発に行われなくなっていること。
3つ目は、円よりもユーロの方が低金利になっており、キャリートレードを行うとしても、円ではなく、ユーロを売る市場参加者が増えていることだ。
こうした結果、余計に売られなくなった円は、余計に買い戻されることもなく、円の動きが小さくなっていると考えられる。
このほか、日銀の大規模金融緩和政策などを背景に、日本の企業・投資家による対外投資が活発化していることも円の動きを小さくしている。先行き不透明感が強まったときに、これまでのように円が買われても、日本の企業や投資家が、それを好機と捉えて積極的に円を売り、対外投資を行うため、円高の動きが限定的となるのである。
<次の景気後退局面>
円の動きが小さくなっているほかに、ドル/円相場のレンジが小幅に止まっているもう1つの理由は、円と米ドルの動きに差が付かなくなっていることがある。円と米ドルの名目実効レートの前年比の差(絶対値)を見るみると、過去5年間は連続で5%ポイント以内の差にとどまっている。
これは、日米インフレ率格差の縮小が背景かもしれない。長期的な為替相場の水準は、基本的には両国の物価上昇率の差が大きく影響する。過去にドル/円相場が長い間円高方向へのトレンドを続けてきたのは、米国の物価上昇率が日本の物価上昇率よりも平均的に高かったためだ。
しかし、日米間の物価上昇率の差は、2000年から2012年までの平均が2.8%ポイントだったのに対し、アベノミクスが本格化した2013年以降は顕著に縮小し、1.0%ポイントまで急速に縮まっている。
もちろん、ドル/円相場はこのまま永遠に狭いレンジ内に収束するわけではない。仮に今後、世界経済が深刻なリセッションに陥り、日本の企業・投資家が海外資産を売却して国内に資金を還流させなければならないような事態となれば、大幅な円高となるリスクがある。
それでも、以前とは異なり、国内に資金を戻すことを考えるハードルはかなり高くなったい可能性がある。なぜなら、結局はリターンが得られる投資先がないからである。
筆者は、今後、ドル/円相場が予想以上の大幅な動きを見せるとき、それは円高方向ではなく、円安方向になる可能性の方が高いのではないかと考えている。
日本は、日銀の金融緩和政策に頼り過ぎた結果、緩和余地がほとんどなくなっている。次に世界経済が深刻な後退局面を迎えたときには、恐らく財政支出に頼らざるを得なくなるだろう。もし、政府が、日本の企業や投資家よりも先に景気後退の恐怖に耐えられなくなり、財政支出を大幅に拡大し、大盤振る舞いを始めたとき時、それに気が付いた企業や投資家は、海外への投資資金を日本に戻すことをしないかもしれない。
無尽蔵に財政支出を拡大して、日本に住む人々の手元に節操なく紙幣が配られるような状況となれば、円の根本的な価値は低下する。日銀の量的緩和政策は金融機関が保有する債券と現金を交換しているだけなので、紙幣が配られていたわけではない。日銀の量的緩和政策のお陰で、何の対価もなく日銀から現金を供給され、手元のお金が増え、もうかったという話は聞いたことがないだろう。
一方で、政府は財政支出を通じて何の対価もなく国民に紙幣を配ることができる。しかも、日銀が国債を大量に購入している現状では、より容易に実行できる。
この結果、深刻な世界経済の後退というリスクオフ状態になっても円が買われず、逆に円が一段と売られ、価値が大きく低下することがあるかもしれない。ドル/円相場はたかだか約70─80年前に、現在と似たような経験を通じて、1ドル4円台から360円に急上昇している。
同じ歴史が繰り返されないと言い切ることはできない。
(本コラムは、ロイター外国為替フォーラムに掲載されたものです。筆者の個人的見解に基づいて書かれています)
*佐々木融氏は、JPモルガン・チェース銀行の市場調査本部長で、マネジング・ディレクター。1992年上智大学卒業後、日本銀行入行。調査統計局、国際局為替課、ニューヨーク事務所などを経て、2003年4月にJPモルガン・チェース銀行に入行。著書に「インフレで私たちの収入は本当に増えるのか?」「弱い日本の強い円」など。
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編集:田巻一彦
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