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コラム:米金融政策の正常化、待ち受ける「市場とのかい離」という難題=井上哲也氏

[東京 29日] - 米連邦準備理事会(FRB)は7月の米連邦公開市場委員会(FOMC)で、資産買い入れの減速(テーパリング)の条件である「政策目標に向けたさらなる顕著な前進」に対して、米国経済が着実な歩みを進めていることを確認した。

 米連邦準備理事会(FRB)は7月の米連邦公開市場委員会(FOMC)で、資産買い入れの減速(テーパリング)の条件である「政策目標に向けたさらなる顕著な前進」に対して、米国経済が着実な歩みを進めていることを確認した。井上哲也氏のコラム。米首都ワシントンで2012年8月撮影(2021年 ロイター/Larry Downing)

経済活動が力強く拡大する下で、物価は既に目標をクリアし、雇用の改善も続いているだけに、FRBの評価は市場に支持されている。このため、今回の声明文が、今後数回の会合で「前進度合い」の評価を続ける考えを示し、年内のテーパリング開始を示唆しても目立った反応はなかった。

このようにFRBによる金融政策の正常化は円滑に進んできたが、今後を展望すると、ポスト・コロナの金融経済の特徴やFRBが採用した政策運営の枠組みとの関係で、金融市場にとって注意すべきいくつかの課題も浮かび上がる。

<利上げの影>

FRBは上記の条件が満たされればテーパリングを開始する一方、インフレ率が目標を緩やかに上回るという条件(「平均インフレ目標」)が満たされれば利上げを開始する。

このように両者の条件は別であり、前者は目標の達成に向けた動きに関するフォワードな視点を有しているのに対し、後者は過去のインフレ実績を考慮する点でバックワードな視点を持つ。

しかし、これらの政策対応は時間的に連続した形で講じられるだけに、両者には密接な関係がある。中でもインフレ率が高止まりしたケースでは、FRBの最優先課題であるインフレ期待の高位安定化に資するだけでなく、利上げ開始の条件が容易に満たされる点に注意すべきであろう。

なぜなら、既往のインフレ率が高水準である方が、今後のインフレ率が相対的に低くても平均インフレ率の意味での目標を達成する余地が生ずるからである。

FRBは、イエレン前議長による「量的緩和第3弾(QE3)」の終了から利上げ開始までに長期間を要した際に、金融政策の正常化戦略の適切さに対して疑念が生じただけでなく、利上げ開始時期を巡る思惑によって、市場がしばしば不安定化した経験を持つ。その点を踏まえると、テーパリングの終了から利上げ開始までの間隔が、間延びする事態を避けたいはずだ。

このようにFRBには、テーパリングを意図的に後ズレさせ、資産買い入れの終了から利上げ開始までの間隔を短縮する誘因が存在する。

FRBがこうした要素も暗黙に意識しつつ、テーパリングの開始を判断した場合には「政策目標に向けた前進」だけを注目する市場との対話が、難しくなることは言うまでもない。

<長期金利の動向>

米長期金利の足元での軟化が短期的な動きであったとしても、FRBが金融政策の正常化を進めていく期間を展望した場合、長期金利にはむしろ下方圧力が想定される。

背景としては、まず、来年以降も潜在成長率を上回る成長が予想されるが、巨額の財政支出のはく落等によって成長ペースは自然に鈍化する点が挙げられる。

また、パウエル議長が強調するように、足元の物価高騰が一時的であれば、インフレ率も幾分かは低下する。さらに、海外の新興国を中心に変異種の拡大とワクチン接種の遅延によって景気回復が遅延すれば、米国経済の成長も幾分か下押しされるほか、資本流入を通じて長期金利を直接押し下げることも考えられる。

さらに、今回の利上げによる政策金利の最高到達点が、以前よりかなり低いとの見通しが共有さている面もあろう。仮に、2022年初から9カ月程度かけてテーパリングを完了し、9カ月程度の間隔を空けて2023年央から利上げを開始しても、次の景気後退に直面するとみられる2025年初まで合計12回のFOMCで毎回25bpずつ利上げできたとしても、政策金利がFOMCメンバーの「中立」と考える2.5%に達するに過ぎない。

これまでFRBと市場との対話は円滑であったが、景気拡大でも長期金利に下方圧力がかかりうる「奇妙な環境」でテーパリングを進めることは、局面の巡り合わせによっては金融市場を不必要に不安定化させることも考えられる。

また、利上げの初期段階から米国債利回りの逆イールド化が進むことで、金融仲介に対するマイナスの影響への懸念を生むことも考えられる。

<懸念される金融システム動揺のリスク>

先に見たように、テーパリングと利上げの双方ともに開始条件はFRBの政策目標、つまり最大雇用の達成と物価の安定にひもづけられている。

実際には、双方の政策対応は先に挙げた点も含めて金融システムに影響を及ぼすことが想定されるが、パウエル議長が先の議会証言でも確認したように、FRBとしては、これらの影響に対しては主として規制や監督を通じて対応すべきというのが、基本的なスタンスであろう。

それでも、住宅価格の高騰に対して、テーパリングでは住宅ローン担保債券(MBS)を優先して圧縮すべきといった主張が、少数意見であるがFOMC内で主張されている。

先の議会証言では低所得者への住宅供給を重視する民主党と、FRBの市場介入に批判的な共和党の双方から支持を得るという興味深い事象も生じている。住宅価格にも資材や施工する労働者の供給制約という一時的要因が働いている一方、低金利が財政支出と相まって需要を押し上げている点も明らかである。

FRBのマンデートにより深い関係を持つ問題としては、2020年春の事態が示唆したように米国債市場の流動性が構造的に低下している点や、シャドーバンキングによる資金フローが着実に拡大している点も気になる。

仮にテーパリングや利上げの途上でこうしたストレスが顕在化した場合に、FRBが金融政策の運営に変更を迫られるのは19年秋以降の短期金利の不安定化の事例に照らしても十分に推察できる。

このようにFRBによる方針はともかく、金融システムの安定如何は少なくとも結果的には金融政策の運営に少なからず影響を与えることになり、市場が雇用と物価のみをもとに正常化の先行きを展望することも、両者の対話にギャップを生じさせる恐れがある。

*本コラムは、ロイター外国為替フォーラムに掲載されたものです。筆者の個人的見解に基づいて書かれています。

*井上哲也氏は、野村総合研究所の金融イノベーション研究部主席研究員。1985年東京大学経済学部卒業後、日本銀行に入行。米イエール大学大学院留学(経済学修士)、福井俊彦副総裁(当時)秘書、植田和男審議委員(当時)スタッフなどを経て、2004年に金融市場局外国為替平衡操作担当総括、2006年に金融市場局参事役(国際金融為替市場)に就任。2008年に日銀を退職し、野村総合研究所に入社。主な著書に「異次元緩和―黒田日銀の戦略を読み解く」(日本経済新聞出版社、2013年)など。

(編集:田巻一彦)

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