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コラム:中銀の対話相手は誰が適切か、ECBの試みから推理する=井上哲也氏

[東京 20日] - 欧州中央銀行(ECB)は、これまで進めてきた金融政策の戦略見直しの結果を7月に公表した。ECBに固有であった物価目標「2%以下で2%に近い」を、2%の上下に対称な普通の内容に改定したことが焦点だったが、同時に金融政策に関する対話(コミュニケーション)の充実も重点の1つとされた点が注目される。

ECBは、これまで進めてきた金融政策の戦略見直しの結果を7月に公表した。ECBに固有であった物価目標「2%以下で2%に近い」を、2%の上下に対称な普通の内容に改定したことが焦点だったが、同時に金融政策に関する対話(コミュニケーション)の充実も重点の1つとされた点が注目される。井上哲也氏のコラム。写真はECBのロゴ。フランクフルトで昨年1月撮影(2021年 ロイター/Ralph Orlowski)

<ECBの戦略見直しと対話>

中央銀行による外部との対話は、物価安定が政策目標として明確な位置づけを与えられるとともに、政策運営の独立性が確立されたことと表裏一体の形で重要性を増した。中央銀行が金融政策の責務を担う以上、運営内容に関して説明責任を負う必要があるからである。

その意味では1990年代以来のテーマであるが、ECBだけでなく先に戦略見直しを行った米連邦準備理事会(FRB)も同じく重点に掲げていたように、その重要性は近年、新たな意味合いが加わっている。

最も大きな変化は、政策運営が「期待に働きかける」手段に依存するようになった点である。

主要国では低金利環境が定着し、政策金利が実質的な下限に張り付く状況が常態化する下で、中央銀行は政策金利と資産買い入れの双方の運営に関する約束(フォワードガイダンス)を常用するようになった。

こうした政策手段の将来にわたる運営のパスを示唆することで、緩和的な金融環境を維持して設備投資や消費を刺激することを狙うだけに、経済の先行きに関する見方とともに政策運営の方針を対外的に伝えることの重要性が増しているのは言うまでもない。

<ECBが直面する課題>

このようにECBが対話の充実を目指したこと自体は適切であったが、結果として実現された内容には検討すべき点も残る。

ECBは、既に7月会合の分から、政策決定に関する声明文や記者会見での説明文、理事会での議論に関する議事要旨などを改訂したが、これらに共通する視点は「分かりやすさの向上」にあった。

筆者もそのこと自体の意義に疑問を持つわけではない。上記のように「期待に働きかける」政策手段に依存せざるを得ない以上、企業や家計に政策運営の意図や方向性を理解してもらうことは重要だからである。

ただし、企業や家計に対して、資産買い入れの四半期ごとのペースの調整やその理由、あるいは政策金利の運営におけるインフレ率のオーバーシュートの許容範囲に関する考え方に至るまでを「分かりやすく」伝えるニーズがあるかどうかには、議論の余地も残る。

企業や家計が今後の経済行動を決める上では、より大きな視点から、政策運営がどのようなタイミングでどのような方向に進みそうかというイメージを持つだけで十分であり、上記のような細かな要素の解釈に時間を費やしたいとは思わないはずである。

加えてより重要な問題は、対話の内容を「分かりやすさ」の視点から見直した結果、市場関係者にとっては、政策運営の方針や先行きに関するECBの考え方、議論の詳細について、理解することが従来よりも難しくなった恐れである。

もちろん、市場関係者は投資や金融サービスを通じて利益を追求する中で、今後の政策運営に対する見方を最大限利用しようとする訳であり、その意味では中央銀行が対話の相手として金融市場よりも企業や家計を優先すべきと考えることもできる。 

しかし、現在の政策運営が「期待に働きかける」効果に多くを依存している以上、市場関係者が中央銀行の政策判断の変化を詳細に分析し、それをもとに投融資を調整する結果として金利水準や資産価格に変化の生じることが、企業の設備投資や家計の消費に変化をもたらすことも事実である。

つまり、「期待に働きかける」政策では、金融市場が政策効果の波及の出発点であり、かつカギとなる役割を果たすだけに、金融市場に向けた対話は、企業や家計に対する対話に劣らず重要であるはずであり、ECBによる今回の見直しはむしろ新たな課題を残したように見える。

ECBには、誰に対して何を伝えるべきかという観点から対話の手段を再整理することが望まれる。例えば、企業や家計に向けては「分かりやすさ」を重視したホームページや動画を活用する一方、市場関係者には執行部による講演や月次報告への専門的内容の寄稿といった手段を充実させることが考えられる。

<米欧中銀が始めたタウンミーティング>

こうした点を踏まえた上でECBの見直しに関してなお興味深い点は、ECBが見直しの過程を通じて実施したタウンミーティングを今後も継続する意向を示している点である。このような方針はFRBにもみられ、主要国の中央銀行の幹部が定例的に一般市民との対話の機会をもつことは新たな動きである。

FRBのケースを踏まえると、対話の内容は狭い意味での金融政策に限定されず、中央銀行による政策の全体に及ぶことが考えられ、その中には気候変動対応や投資家保護、中小企業対策など、中央銀行だけでは対応が難しい問題も含まれることになろう。

それでもECBとFRBの双方がこうした取り組みを有用と判断した背景には、欧米の場合、バブルと金融危機を通じて中央銀行は企業や家計よりも金融機関を優先して「救済した」という批判が根強いことへの対応という面もあろう。

一方で、中央銀行がそもそも何をしているのか、何を目指しているのかを企業や家計に理解してもらい、どのような政策を優先してほしいかを聞くことには、前向きな意義がある。

なぜなら、将来に向けて金融政策の独立性に支障が生じた場合にも、金融市場が発する警告とともに、民主主義の社会では世論こそがそれを修正する力を持っているからである。その意味で、タウンミーティングに出席する人々に、中央銀行は「難しいことも言っていたが、基本的には経済のことを真剣に考えてくれる人達だった」と思ってもらえれば、それは大きな財産になりうる。

*本コラムは、ロイター外国為替フォーラムに掲載されたものです。筆者の個人的見解に基づいて書かれています。

*井上哲也氏は、野村総合研究所の金融イノベーション研究部シニア研究員。1985年東京大学経済学部卒業後、日本銀行に入行。米イエール大学大学院留学(経済学修士)、福井俊彦副総裁(当時)秘書、植田和男審議委員(当時)スタッフなどを経て、2004年に金融市場局外国為替平衡操作担当総括、2006年に金融市場局参事役(国際金融為替市場)に就任。2008年に日銀を退職し、野村総合研究所に入社。金融イノベーション研究部・主席研究員を務め、2021年8月から現職。主な著書に「異次元緩和―黒田日銀の戦略を読み解く」(日本経済新聞出版社、2013年)など。

(編集:田巻一彦)

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