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コラム:パウエル講演と3つの教訓、引き締め維持に潜むリスク=井上哲也氏

[東京 29日] - 米連邦準備理事会(FRB)のパウエル議長は、米ワイオミング州ジャクソンホールで開かれた経済シンポジウム(ジャクソンホール会合)の講演で、経済活動の減速という痛みを伴ってもインフレの抑制を優先する姿勢を明示した。

 米連邦準備理事会(FRB)のパウエル議長は、米ワイオミング州ジャクソンホールで開かれた経済シンポジウム(ジャクソンホール会合)の講演で、経済活動の減速という痛みを伴ってもインフレの抑制を優先する姿勢を明示した。井上哲也氏のコラム。写真は米首都ワシントンで7月27日撮影(2022年 ロイター/Elizabeth Frantz)

こうした考え方はこれまでと変わっていないが「そろそろ引き締め政策には見直しが行われる」との思惑に反したことが、金融市場の大きな反応を招いたとみられる。

<異例の講演スタイル>

今回の講演の印象的な点は、コンファレンスの伝統に照らして異例のスタイルであった点だ。

このコンファレンスの趣旨は、中央銀行の幹部と有力な経済学者が同席することで、金融政策の中長期的な課題について意見を交わすことにある。夏休みの時期に風光明媚な環境で開催されることにはそうした意味合いもある。これに対し、パウエル議長の講演は、図表も参照文献リストもない5ページの原稿を早口で読み上げた。

この局面で参加者や市場関係者が理解に苦労する難解な内容を語るべきでないことは事実としても、パウエル議長もこの点を意識してか、講演の冒頭で「今回は従来よりも短く、焦点を絞り、直接的なメッセージだ」と弁明した。

その意味でも残念だったのは、講演の後半でせっかく提示した金融政策に対する3つの歴史的教訓の検討に十分な紙幅が割かれなかったことだ。

そこで本稿では、コンファレンスの伝統を尊重しながら、これらの教訓の意味合いを検討する。

<低位で安定的な物価の実現>

パウエル議長が挙げた第1の教訓は、中央銀行は低位で安定的な物価を実現しうるし、そうすべきということだ。これは当然のように見えるかもしれない。

しかし、パウエル議長を含むFRB幹部がコロナ前に主張していたのは、低インフレには人口の高齢化や生産のグローバル化、技術革新に伴う競争環境の変化といった構造要因による面があり、だから世界的な現象になったという理解であった。その意味では、歴史的な幸運によって低インフレが実現していたともいえる。

同時に、コロナ前の低インフレが供給面から実現していた面も意味する。これに対し、FRBは低インフレの継続から脱するため、強力な金融緩和による需要の引き上げで対抗した。

一方で現在は、パウエル議長も認めるように高インフレの背景がエネルギーや食品、労働といった供給要因にある中で、強力な金融引き締めによる需要の引き下げで対抗している。

金融政策は供給に影響を与えることはできないので需要を調整するという考え方の点では共通するが、経済や市場に与える印象は大きく異なる。つまり、低インフレ下では金融政策が景気の拡大に孤軍奮戦する姿であり、高インフレ下では人々の痛みを伴いながら自らの政策目標を追求する姿だ。

重要な点は、これらのおのおのが金融政策の過大評価と過小評価につながり得ることだ。いずれにしても、パウエル議長が強調する金融政策への信認につながりうるからだ。

<インフレ期待の安定の維持>

第2の教訓は、金融政策によってインフレ期待の安定を維持することが重要ということだ。これはパウエル議長が説明した通り、コロナ前の低インフレと1970年代の高インフレの双方を通じて確認された点だ。

ただし、同じくパウエル議長が強調したように、米国の長期インフレ期待は、家計や企業、専門家に対するサーベイや市場指標のいずれでみても足元でインフレ目標に収れんしている。政策効果と労働需給の緩和などによって徐々にインフレ率が減速していく場合、今後のインフレ期待が上方にかい離することも考えにくい。

FRB自身の見通しが示唆するように、今年の経済成長率は潜在成長率付近とみられ、その意味でマクロの需給均衡は実現する。だとすれば、パウエル議長が講演で強調したように2023年末にかけて政策金利を引き締め水準に維持する目的の1つはインフレ期待の上昇を防ぐことになるが、そもそもインフレ期待が安定しているのであれば、その合理性には疑問が生ずる。

より長い目でみて興味深い問題は、インフレ期待の安定における金融政策の効果と副作用だ。低インフレの下で、低下したインフレ期待をインフレ目標へ収れんさせることは決して容易ではなかった。その点では高インフレと同じだが、前者のための金融緩和は景気や雇用の拡大を伴う一方、後者のための金融引き締めは逆方向の負担を伴う。

この点は金融政策の緩和バイアスの源泉にもなりうるが、非対称性があるように見えるのは、前者に伴う隠れたコスト─家計や企業の過剰債務や財政規律の低下─を見逃していることによる面があろう。

その意味では、インフレ期待の安定の維持について議論する上でも、金融安定の側面も考慮することが重要になる。

<物価安定に関する職務の遂行>

パウエル議長が最後に挙げた教訓は、物価安定に確信が持てるまで金融引き締めを遂行すべきだとした点だ。ここが政策運営の見直しに対する思惑に反したことは冒頭に述べたとおりだ。

ただ、長い目で見てより重要なのは、フォワードガイダンスの有用性との関係だ。

パウエル議長は同じ講演の中で、次回(9月)の米連邦公開市場委員会(FOMC)を含めて、今後は経済指標と経済見通しの推移に即して金融政策を運営する方針を確認している。一方で本稿の前節でみたように、パウエル議長は2023年中も強力な引き締め政策を維持する方針を示している。

つまり、FRBとしては、政策金利のパスに関するフォワードガイダンスは採用しないが、政策金利の最高水準またはその維持に関するコミットメントの面では、フォワードガイダンスを引き続き活用していることを意味する。

こうしたコミットメント型のフォワードガイダンスは、低インフレ期には逆方向の形でFRBも多用したことは記憶に新しい。その代表例は、皮肉なことにコロナの直前に実施に移された「平均インフレ目標」である。具体的には、実際のインフレ率が平均的に2%目標を上回るまで、金融緩和を続けるとという内容だ。

こうした政策には、インフレ期待を着実にインフレ目標に収れんさせることに加えて、政策金利が実質的な下限以下には下げられない─実際にFRBはマイナス金利政策を採用しなかった─ことを緩和期間の長さで補うという目的があった。

これらの点を踏まえながら議論を逆転させると、2023年のFRBが政策金利に関するコミットメントを維持すべきかどうかにも検討の余地が生ずる。

つまり、前節でみたようにインフレ期待が安定を維持できた上に、マクロの需給均衡が既に達成されているとすれば、いずれの面からみても金融引き締めの維持というコミットメントの合理性に疑問が生ずるからである。

FRBも実際には、2023年にも景気や物価の見通しに即してフォワードルッキングな形で金融政策を運営せざるを得なくなる可能性がある。

これは、金融政策運営のコミットメントに関する「時間的非整合性」─事前の約束とは違う政策運営を実施すること─の典型的な事例である。しかし、いずれの方向であれ金融政策を転換する時期にはコミットメントの維持は当然に難しいし、そもそも米国を巡る国際的な金融経済の不透明性の高さは厳格なコミットメントに良好な環境とは言えない。

いずれにしても、パウエル議長が、異例に短く、焦点を絞って、直接的な内容として伝えたメッセージにかかわらず、FRBの今後の政策運営はそうシンプルではなさそうだ。

編集:田巻一彦

*本コラムは、ロイター外国為替フォーラムに掲載されたものです。筆者の個人的見解に基づいて書かれています。

*井上哲也氏は、野村総合研究所の金融イノベーション研究部シニア研究員。1985年東京大学経済学部卒業後、日本銀行に入行。米イエール大学大学院留学(経済学修士)、福井俊彦副総裁(当時)秘書、植田和男審議委員(当時)スタッフなどを経て、2004年に金融市場局外国為替平衡操作担当総括、2006年に金融市場局参事役(国際金融為替市場)に就任。2008年に日銀を退職し、野村総合研究所に入社。金融イノベーション研究部・主席研究員を務め、2021年8月から現職。主な著書に「異次元緩和―黒田日銀の戦略を読み解く」(日本経済新聞出版社、2013年)など。

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