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コラム:日銀新体制に期待される「非伝統的金融政策」=井上哲也氏

[東京 24日] - 金融市場では、今年春に日本銀行の正副総裁が交代する機会を捉えて、黒田東彦総裁の下で実施された「量的・質的金融緩和(QQE)」の効果や副作用に関するレビューを行うべきとの議論がみられる。日銀の新体制が金融緩和を継続するかどうかに関わらず、「QQE」の経験や知見を生かすことの重要性には異論の余地がない。

 2月24日、銀の新体制が金融緩和を継続するかどうかに関わらず、「QQE」の経験や知見を生かすことの重要性には異論の余地がない。写真は同日、衆院議院運営員会に出席する植田和男氏(2023年 ロイター/Issei Kato)

<検証は何をテーマにすべきか>

もっとも、現時点で改めてQQEのレビューを行うことの意義は、金融市場が期待するほど大きくないようにも見える。なぜなら、日銀は大規模なものだけでも2014年、16年、18年、21年にそれぞれレビューを行ってきたからである。成果の一部は実際の政策変更につながったほか、非公表の内容も含めてQQEの効果や副作用に関する知見は既に十分に蓄積されていると推察される。

その一方で、一部のメディアが日銀幹部の発言として報道してきたように、より広く長い視点から金融政策のあり方自体をレビューすることには大きな意義がある。その際の焦点は、日銀の金融緩和にも関わらず、国内の民間資金の流れが活性化しなかった理由を明らかにすることに置くべきである。

<金融政策の波及メカニズム>

金融政策は、「伝統的」な手段であるか「非伝統的」な手段であるかに関わらず、基本的には通貨の価格(金利)ないし量を調節することで、企業や家計の経済行動に影響を及ぼし、結果として生ずる総需要と総供給のバランスの変化を通じて効果を発揮すると理解できる。

日銀は「QQE」の導入前も導入後も、通貨の価格(金利)や量を柔軟に調節して政策効果-特に金融緩和-を実現すべく対応したが、日銀自身が公表している資金循環統計が示すように、企業や家計の経済行動の結果としての資金の流れには、総じてみれば大きな変化は生じなかった。

家計や企業は巨額の貯蓄を積み上げ、そうした資金の一部は銀行や機関投資家を通じて政府の資金調達を支えている。また、機関投資家だけでなく個人投資家も、近年は金融資産への投資を積極化しているが、主たる関心の対象は海外の株式や債券だ。

その一方で、国内では「カネ余り」が定着し、金融機関が貸出先の確保に苦労する中で、スタートアップの企業では依然として資金調達の制約に直面するケースが少なくない。

2000年代の初頭までであれば、不良債権問題による金融仲介機能の低下が、国内の民間資金の流れを阻害した面が大きいと整理しうる。しかし、今や金融機関の頑健性は顕著に改善しただけに、こうした仮説の有効性は乏しい。

一方で、人口減少等を背景とした家計や企業の期待成長率の低下や研究開発の停滞によるイノベーションの不足、低金利環境や規制の強化による金融機関のリスクテイクの阻害など、様々な要因が指摘されているが、それらが複合的な影響を与えている可能性も含めて、民間資金の流れを不活性化した原因についての理解は共有されていない。

<民間資金の流れ活性化する意義>

日銀にとって、国内で民間資金の流れが活性化しなかった理由を適切に把握し、その対策を講ずることには、いくつかの大きな意義がある。

第1に、必要で十分な規模ないし強度の金融政策を実施することにつながる。

先に見たように、理由はともかく、国内で金融政策の波及メカニズムが十分に作用しない状況では、日銀が所期の政策効果を発揮するために大規模ないし強力な政策手段を採用するインセンティブが生じやすい。

自動車の運転でいえば、トランスミッションが不具合であるにも関わらずスピードを出すために、力強くアクセルを踏み込む状況だ。こうした政策は副作用を伴うだけでなく、規模や強度の調整が難しい点は「QQE」の経験が示す通りである。

金融政策のレビューを通じて、民間資金の流れを円滑するための方策を見出すことができれば、適度な規模や強度の政策によって、効率よく政策効果を発揮する余地が生まれる。つまり、従来ほど強くアクセルを踏み込まなくても、民間資金の流れに影響を及ぼすことができる。

第2に、国債買い入れに対する依存度を適正化することにつながる。

上記のように大規模かつ強力な政策手段を採用するインセンティブが強い下では、日銀にとっては国債買い入れが事実上唯一の選択肢になりやすい。なぜなら、国債市場は国内最大の金融市場であるほか、国債は信用リスクや発行条件の標準性などの面で最も扱いやすい資産だからである。

そこで、金融政策の波及メカニズムを改善することができれば、国債買入れを継続するとしても、その規模や強度も適正化する余地が生ずる。

また、民間資金の流れが活性化すれば、長い目で見て財政支出の過度な拡張を抑える効果も期待できる。家計や企業の貯蓄の一部が銀行や機関投資家を通じて政府の資金調達を支えているのは、何らかの理由で民間だけでは不十分となる投資を、政府が代わりに行っていると理解しうる面もある。

従って、民間が本来の役割を取り戻して投資を活発化させれば、政府が国債発行を通じて資金を調達する必要性もその分だけ低下しうる。この点も、日銀による国債買い入れへの依存度を適正化する上で良好な環境を提供しうる。

<民間資金の流れ、活性化する取り組みは何か>

国内で民間資金の流れが活性化しない状況は長期にわたって生じており、先にみたような構造要因が複雑に関係している可能性があるだけに、仮にその理由を適切に把握できたとしても、その改善は容易ではないとみられる。

もっとも、民間資金の流れを活性化できれば、経済活動を活発化しうるだけでなく、財政の負担も軽減する余地があるだけに、この課題の解決には日銀だけでなく政府にもインセンティブがある。その意味で日銀と政府は同じ目標に向かって協力する余地が生ずる。

しかも、企業はデジタル化やグリーン化の要請の下で競争力の強化に目を向けるようになり、短期的な経済情勢に関わらず投資意欲は活性化している。家計も若年層を含めて資産形成により強い関心を向けるようになっている。これらの点で、民間資金の流れを活性化する取り組みには好適な時機にある。

そうした中で日銀に求められることは、まずは、長期的に国内の民間資金の流れが活性化しなかった理由を明らかにし、その理解を政府や金融業界と適切に共有することだ。難しい課題だが、この分析に必要なデータや知見を最も蓄積しているのは日銀であるはずだ。

その上で、金融政策を運営する上では、政策効果の波及メカニズムの再建ないし強化に資する手段をより多く採用することが考えられる。

実際、日銀に限らず主要国の中央銀行は、特に金融危機の下で金融仲介機能の低下が懸念される局面では、そうした手段を採用してきた。

具体例としては、銀行貸出を促進するための資金供給オペ、ノンバンクを対象とする資金供給オペ、これらのオペにおける適格担保の拡大、社債やCP、証券化商品の買い入れなどが挙げられる。

これらも「非伝統的」な政策手段の一種であり、その実施に際しては副作用も当然に生じうる。それでも、日銀の金融政策にとって、結局は政策効果の波及メカニズムが大きな問題であったとすれば、国債買い入れという別の「非伝統的」な政策手段とのバランスを考え直すことには意味があると思われる。

編集:田巻一彦

*本コラムは、ロイター外国為替フォーラムに掲載されたものです。筆者の個人的見解に基づいて書かれています。

*井上哲也氏は、野村総合研究所の金融イノベーション研究部シニア研究員。1985年東京大学経済学部卒業後、日本銀行に入行。米イエール大学大学院留学(経済学修士)、福井俊彦副総裁(当時)秘書、植田和男審議委員(当時)スタッフなどを経て、2004年に金融市場局外国為替平衡操作担当総括、2006年に金融市場局参事役(国際金融為替市場)に就任。2008年に日銀を退職し、野村総合研究所に入社。金融イノベーション研究部・主席研究員を務め、2021年8月から現職。主な著書に「異次元緩和―黒田日銀の戦略を読み解く」(日本経済新聞出版社、2013年)など。

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