July 30, 2019 / 1:29 AM / 22 days ago

コラム:「リブラ」から考える、中央銀行デジタル通貨の意義=井上哲也氏

[東京 30日] - 米フェイスブックなどによる新たな仮想通貨(暗号資産)「リブラ(Libra)」の構想に対しては、主要国の中央銀行や監督当局から引続き強い警戒感が示されている。その理由は前回コラムで整理した通りで、そこには一定の合理性はあるが、議論の焦点がリブラ固有の問題にのみ当てられていることには違和感を覚える。

7月30日、米フェイスブックなどによる新たな仮想通貨(暗号資産)「リブラ(Libra)」の構想に対しては、主要国の中央銀行や監督当局から引続き強い警戒感が示されている。写真は主要国紙幣。2016年4月撮影(2019年 ロイター/Kacper Pempel)

確かに、フェイスブックによる個人情報の取扱いだけでなく、世界で20億人を超えるユーザーによる利用の可能性も含めて、リブラだからこそ議論すべき点があることは否定できない。しかし、リブラ代表者が米議会公聴会で語ったように、仮にリブラ導入が阻止されても、他の主体が同様の仕組みを導入する可能性は残る。

<新通貨を「取り込む」必要性>

容易に想像できるのは、新興国で最初に導入される可能性である。金融システムが未発達で銀行取引にアクセスできない人が多い国々にとっては、既存の金融システムからの移行コストが相対的に小さいこともあり、スマートフォンと通信網だけで金融システムを高度化し得る可能性は魅力的であろう。

主要国の当局は、国際通貨基金(IMF)などと歩調を合わせて国際的な資金決済ネットワークから排除すると警告すれば、新興国による導入を阻止できると考えるかもしれない。しかし、取引金額を小口に限定したり、有効な本人確認の仕組みを整備したりすることであらゆる人が差別なく安価に送金などの金融サービスを利用できるようになった場合、「金融包摂」を支援してきた立場の主要国は拒絶できるか、という問題が残る。

複数の新興国が、「西側」の国際通貨に対抗すべく新たな決済システムの構築を試みることも考えられる。原油を初めとする主要商品が米ドル建て決済を前提としていることや、国際的な犯罪資金であってもマネーロンダリング(資金洗浄)の形で既存の国際決済システムを通じて融通されていることは事実だ。だが、世界的な保護主義の下でのサプライチェーンの再構築や、貿易摩擦が金融摩擦に転化する可能性も考えると、一部の新興国にとっては新システムの構築は最終的なオプションとなり得るだろう。

主要国の当局は、新たな試みを一方的に排除し、結果として監視や制御が難しい地域や領域で新たな決済システムが構築されるような事態を招くことは避けなければならい。

そのためには、新たな「通貨」となりうる仕組みを念頭に置いて、最低限順守すべき原則(ミニマム・スタンダード)を導入するとともに、新興国政府やそうした取り組みを企画している当事者と密接な対話を行うことによって、新たな試みを「取り込む」ことの方がより重要と思われる。実際、18日に主要7カ国(G7)財務相・中央銀行総裁会議のワーキング・グループが公表した文書からは、そうした発想の一端がうかがわれる。

<「収益性」をどう確保するか>

しかし、この文書には別な意味で違和感が残る。新たな「通貨」の試みはあくまでも既存の金融規制や監督の下に置くべきとの考え方がこの文書では示されているが、そうした規制や監督の前提にあるのは、部分準備に基づく預金通貨の発行者である銀行のリスクテイクを限定することで、既存の「通貨」の価値を担保する考え方だからだ。

これに対し、リブラのように100%準備の裏付けがある通貨を標ぼうする試みに対しては、規制や監督の焦点は、運営主体による不正ないし不適切な行為の防止に置かれるべきだろう。

前回コラムでも触れたように、100%準備の通貨というアイデアは、100%の資産裏付けを有する「ナローバンク」に代表されるような新しいものではなく、大きな金融危機によって民間銀行が発行する預金通貨への信認が揺らぐたびに提唱されてきた。ただし、現在の市場環境を考えると、特に主要国では収益性の低さというナローバンクの課題が一層厳しい状況に置かれている。ナローバンクは、準備資産の運用益が収益の源泉だからである。

しかし、収益性の低さは既存の銀行にとっても大きな脅威になっている。既存の銀行は、貸出に関わる信用リスクや資金満期の転換に関わる流動性リスクを引き受け、その代償としてリスクプレミアムを享受し得る点で、ナローバンクを超える収益性を確保できる立場にある。しかし、そうしたリスクプレミアムは現在の市場環境下で著しく縮小しただけでなく、銀行規制の全面的な強化によっても、銀行がそうした利益を享受する余地は限定されてきた。

こうした環境下でも「通貨」の発行を民間ビジネスとして維持するには別な収益源が必要であり、その有力候補が、支払や決済を通じて取得し蓄積した情報の有効活用にある点は言うまでもない。

そして、情報技術の発展に伴うコストの顕著な低下や分析の高度化といったメリットを活用する上では、既存の銀行よりも、顧客の取引情報の高度な活用によって収益を上げるビジネスモデルを確立した非金融業からの新規参入者が優位であるように見える。

「通貨」発行に伴う収益性の点から見れば、リブラにしても、準備資産の運用益よりも、取引や利用者情報を蓄積して分析し、その成果を別のサービスで活用することに主眼があるものと推察される。リブラの場合、皮肉なことにフェイスブックの過去の対応と結びつく形で個人情報の扱いが懸念材料になっているが、一般的には、個人情報の活用を一律に禁止するのでなく、適切なルールの下で有効活用する可能性が存在するはずである。

<中央銀行デジタル通貨の新たな意義>

それでも主要国では、膨大な個人情報を民間に蓄積させ、活用させることに大きな不安があるようだ。また、預金通貨を発行する民間銀行によるリスクテイクは一層抑制するというのであれば、行き着く先は、「通貨」を発行する役割は公共部門が担うべき、という結論であるように見える。

理屈の上では、引続き民間銀行に担わせた上でコストを公的部門が補填(ほてん)することも考えられる。だが、公的部門がインフラを構築した上で民間銀行にそれを利用させれば、同じ目的をより効率的に達成できる。

また、西側の価値基準からみた是非はともかく、新興国政府は、金融取引に関する膨大な情報を公的に独占したいかもしれない。少なくともこれまでは、そうした情報は強力な規制や監督の下にあった金融機関──概してそれらは政府の資本や人材を受け入れている──に蓄積されていたが、リブラのような新規参入者が取って代わることは大きな脅威となり得る。

これらの点は、主要国でも新興国でも、公的主体が「デジタル通貨」を発行すべき理由の一端になり得る。その上で、従来と同様に、「通貨」の運営が物価や金融システムの安定に深く関わることは主要国でも新興国でも変わらないだけに、公的主体の中でも中央銀行がその任に当たることが自然だろう。また、デジタル通貨の発行という一見新たな役割も、銀行券(紙幣)の発行や、当座預金の提供を通じて支払・決済に対して果たしてきた伝統的で公共的な役割と本質的に同じである。

もちろん、これだけで中央銀行がデジタル通貨を発行するのに十分な理由であるとは言えない。

情報技術の進歩を生かしていく上で、創意工夫による銀行間の競争余地を既存か新規参入かを問わず残すことは重要だ。また、デジタル通貨の発行によって中央銀行に蓄積される個人情報の安全で効率的な活用の仕組みも求められる。主要国の場合には、既存の支払・決済システムとの並存あるいは円滑な移行という、重い課題も存在する。

それでも、リブラ構想を契機に明らかになってきた様々な論点は、このところ停滞気味だった「中央銀行デジタル通貨(CBDC)」を巡る議論を再び活性化させるのに十分な材料を提供しそうだ。

*本コラムは、ロイター外国為替フォーラムに掲載されたものです。筆者の個人的見解に基づいて書かれています。

井上哲也氏(写真は筆者提供)

*井上哲也氏は、野村総合研究所の金融イノベーション研究部主席研究員。1985年東京大学経済学部卒業後、日本銀行に入行。米イエール大学大学院留学(経済学修士)、福井俊彦副総裁(当時)秘書、植田和男審議委員(当時)スタッフなどを経て、2004年に金融市場局外国為替平衡操作担当総括、2006年に金融市場局参事役(国際金融為替市場)に就任。2008年に日銀を退職し、野村総合研究所に入社。主な著書に「異次元緩和―黒田日銀の戦略を読み解く」(日本経済新聞出版社、2013年)など。 

(編集:山口香子)

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