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コラム:インフレ退治、米当局が直面する「未知の課題」と副作用=井上哲也氏

[東京 24日] - 日本だけでなく米国でも低インフレが続いていた頃には「デフレよりもインフレの方が対応しやすい」という意見を耳にすることが多かった。

 3月24日、日本だけでなく米国でも低インフレが続いていた頃には「デフレよりもインフレの方が対応しやすい」という意見を耳にすることが多かった。井上哲也氏のコラム。写真は2021年11月、米ペンシルベニア州キングオブプルシアのショッピングモールで撮影(2022年 ロイター/Rachel Wisniewski)

デフレになると、政策金利は実質的な下限(ELB)に達してしまうので、その先はマイナス金利や資産買い入れなどの非伝統的な手段に依存せざるを得ない。

<インフレ対応は「楽勝」なのか>

これまでの経験が示すように、前者には金融仲介機能の維持という重要な目的のために深掘りに限界があるほか、後者も市場機能の維持といった効果は確認できたとしても、実体経済への影響については政策金利の調節ほどに明確でない面が残る。

実際、米欧でも、金融政策の様々な働きかけにもかかわらず、2008年のリーマンショック(世界金融危機)から2021年まで少なくとも10年間以上にわたって低インフレを脱することができなかった。

これに対しインフレの場合には、シンプルに利上げをすれば良いというのが上記の主張の根拠だ。政策金利は中央銀行にとっての伝統的手段として、実体経済に与える影響に関する豊富な知見や定量的な推計が蓄積されている。デフレへの対応のように未知の世界と格闘することなく、既知の道のりを粛々と進むことができるというわけだ。

だが、今回の米国における高インフレは、こうした相対的な楽観論にいくつかの疑問を突き付けている。

<潜在成長率の低下>

インフレ楽観論の論拠は、中央銀行による政策金利の調節に関して下限はあるが、上限はないという理解にある。今回のロシアのように大規模な資本流出を防止するなどの危機対策でない限り、際限なく利上げすることは現実的でないとしても、中央銀行が政策金利を徐々に引き上げれば、その途上でインフレ圧力が低下する可能性はある。実際、今回の米国では利上げが消費を中心とする内需の減速を通じて、インフレを抑制する効果は期待できる。

それでも、少なくとも今回の局面では、潜在成長率の低下というもう1つの重要な要素が利上げの柔軟さを制約することになる。その背景には様々な仮説があるが、リーマンショック以降に設備投資や技術革新といった生産性の向上をもたらす動きが停滞したことと関係している可能性が指摘されている。

いずれにせよ、潜在成長率が低下すれば、密接に近い概念である自然利子率の低下を伴うことになり、イールドカーブの形状等に関する一定の想定の下で中立金利の低下をもたらす。実際、米連邦公開市場委員会(FOMC)メンバーによる政策金利の長期見通しも、この10年間に4.5%から2.4%へと顕著に低下した。

FOMCが3月会合で示したドット・チャートは、2023─24年にかけて、政策金利が中立水準を上回って推移することを示唆している。

その意味で、中央銀行が中立金利を超えて利上げを行うことはもちろん可能だが、超過幅や継続期間には限界がある。なぜなら、中立金利を超える政策金利は文字通りの「金融引き締め」であり、実体経済に強い抑制効果という副作用を持つためである。

FOMCは今回のインフレ圧力が広範である点を考慮し、こうした「劇薬」の使用を辞さない姿勢を示したのであろうが、2024年にかけて景気も減速すると予測する以上、その後も高水準の政策金利を維持できるわけではない。仮に、2024年になってもインフレ圧力が残存していた場合は、中央銀行は本当の意味でのスタグフレーションに直面する。

<保有資産の巨大化>

今回のインフレとの戦いを難しくするもう1つの要素が、主要国の中央銀行の保有資産の巨大化だ。これまでに実施した国債等の大規模な買い入れの結果であり、コロナ対策としての意味合いも含めて、デフレリスクとの戦いの遺産と言っても良い。

日米の中央銀行がともに主張するように、金融政策の手段としての資産買い入れが実体経済に対して緩和効果を発揮するメカニズムとしては、中央銀行が大量の資産を保有し続けることによるイールドカーブの形状への効果(ストック効果)が重要だ。

このため、インフレリスクに直面した中央銀行にとっては、利上げを急ぐだけでなく、保有資産による緩和効果を取り除くことも急務となる。FOMCは3月の利上げ開始後、間髪を入れず5月には保有資産の削減に着手する方針を示している。

しかし、保有資産の削減には実体経済への影響に関して様々な不透明性が残っている。資産買い入れの効果に関する理解をもとに、保有資産の削減による波及メカニズムの中心が長期金利への上昇圧力にあると考えることには異論が少ない。ただし、政策金利の調整に比べて経験も知見も乏しいために、その影響を定量的に推計することは容易ではない。

そもそもストック効果は、中央銀行が資産買い入れを着々と進める中で、市場が中央銀行は国債等を安定的に保有し続けるとの期待を強めていった結果として、リスクプレミアムの低下を通じて生じたと理解できる。

だとすれば、中央銀行が景気循環に即して短期間で保有資産を削減することが明らかになった場合、市場の信認が急速に変化するリスクは残る。この場合、同じ規模での資産買い入れと保有資産の削減であっても、長期金利への影響は後者の方が大きいという非対称性が生じうる。

また、ウクライナ侵攻等による地政学的リスクの高まりや、かねて指摘されている米国債の市場流動性の低下といった要素のために、保有資産の削減途上で、FOMCが想定しなかったような長期金利のボラティリティを招く可能性も否定できない。

さらに、FOMCがどこまで配慮するか不透明ではあるとしても、長期金利の上昇は、既にコロナや商品価格の高騰によって打撃を受けている新興国経済に対し、これまで以上に深刻な影響を及ぼすこともありうる。

もちろん、ここで指摘したような問題が生じれば、FOMCも保有資産の削減を柔軟に変更することとなろうし、だからこそ今年1月にFOMCが公表した基本方針でも、金融政策の「正常化」の第一義的な手段は利上げであり、保有資産の削減を補助的な手段と説明したとみられる。

だが、そのことは保有資産の削減を通じたインフレの抑制には限界があることを、とりもなおさず示していることにほかならない。このように、金融政策は、利上げの面でも保有資産の面でも制約を受けており、それが過去のデフレ懸念の遺産であるとすれば皮肉なことだ。

<ポリシーミックスの可能性>

FOMCがこうしたジレンマに陥る最大の理由はインフレの抑制だけでなく、経済や金融の安定といった複数の政策目標を同時に達成しようとすることにある。

インフレ圧力がここまで顕著になった以上、金融政策はインフレの抑制に専念することが望ましく、その深刻な副作用が懸念される領域には、別の政策を活用することが考えられる。

例えば、金利上昇によって経済的弱者による消費や住宅の取得に伴うファイナンスの負担が過大になるというのであれば、そこに向けて財政支援を行うことが考えられる。

もちろん、再び大規模な財政支出を行えば、インフレ圧力を高めうる点で金融政策との間で矛盾が生ずるが、焦点を絞った財政政策との間であれば、金融政策の「正常化」が望ましいポリシーミックスとなる可能性が生まれる。

編集:田巻一彦

*本コラムは、ロイター外国為替フォーラムに掲載されたものです。筆者の個人的見解に基づいて書かれています。

*井上哲也氏は、野村総合研究所の金融イノベーション研究部シニア研究員。1985年東京大学経済学部卒業後、日本銀行に入行。米イエール大学大学院留学(経済学修士)、福井俊彦副総裁(当時)秘書、植田和男審議委員(当時)スタッフなどを経て、2004年に金融市場局外国為替平衡操作担当総括、2006年に金融市場局参事役(国際金融為替市場)に就任。2008年に日銀を退職し、野村総合研究所に入社。金融イノベーション研究部・主席研究員を務め、2021年8月から現職。主な著書に「異次元緩和―黒田日銀の戦略を読み解く」(日本経済新聞出版社、2013年)など。

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