[東京 28日] - ドル/円JPY=EBS相場は最近、ほとんど動かなくなった。5月は106─107円台を中心とする狭いレンジの中での上下動にとどまっている。日中の値動きがほとんどなく、スクリーン上の気配を眺め続けるとだんだん眠くなってきてしまう。そうした点では、日銀による長期国債の大規模な買い入れや「イールドカーブコントロール」によって市場としてのダイナミズムがほとんど失われてしまった国内債券市場がいわば「先輩格」になる。最近ではさっぱり動かなくなったドル/円が「JGB(日本国債)化してしまった」と揶揄(やゆ)されることもある。
新型コロナウイルス感染拡大が引き起こした経済危機に対処すべく、米連邦準備理事会(FRB)も日銀も、ともに無制限の国債買い入れを宣言するところまで踏み込んでいる。新型コロナウイルス感染拡大を止めるための外出・営業自粛要請やロックダウンといった措置が取られることで、景気は断層的に悪化した。経済の構造そのものが崩壊して取り返しがつかなくなることのないよう、政府による大規模な財政出動が行われており、その財源として国債発行額が急増する流れである。
債券需給の悪化を放置すれば、長期金利が上昇し、景気や株価に対してネガティブに作用してしまう。そこで、中央銀行が国債買い入れを行うことにより、長期金利の上昇を押さえ込む。流通市場を経由していることから定義上はそうではないものの、日米ともに中央銀行は事実上の「財政ファイナンス」に動いていると言える。中央銀行がやっていることに差がないわけだから、ドルと円のいずれかが市場で選好されるという流れにはなりにくい。
加えて言えば、日米ともに中央銀行の現在の金融政策運営スタンスは「危機モード」であり、インフレ目標は事実上棚上げされた状態にある。今重視されていること、中央銀行が目指しているものが何かは、黒田東彦日銀総裁が3月2日に出した総裁談話を振り返ればよい。そこには「日本銀行としては、今後の動向を注視しつつ、適切な金融市場調節や資産買い入れの実施を通じて、潤沢な資金供給と金融市場の安定確保に努めていく方針である」と書かれていた。
企業金融支援につながる資金供給と、短期金融・債券・株式市場の安定確保の2つが政策運営の当面の主眼であり、この点はFRBも同じである。
今月22日には麻生太郎副総理・財務相と黒田総裁によって「新型コロナ対応についての共同談話」が出された。
「危機モード」の下で政府と日銀が緊密に協力することを確認した文書であり、最後の部分には「政府と日本銀行は、こうした施策の実施を通じて、企業金融の円滑化と金融市場の安定に努め、事態を収束させるためにあらゆる手段を講じることとしており、感染収束後に、日本経済を再び確かな成長軌道へと回復させていくために、一体となって取り組んでいく」と書かれていた。米国でFRBが展開しているさまざまな施策も、それら2点に集約することができる。
政府と中央銀行の協調による「市場を管理する」態勢は、しばらく続く可能性が高い。そして、危機の収束後に「出口」を見いだして正常化できるのかどうかが危ぶまれる。
膠着(こうちゃく)感が強く漂う中で、ドル/円相場が動意づくきっかけになるのではないかと一時、期待を集めたのが、FRBによるマイナス金利導入の思惑である。米国で利下げがさらに行われてドルの長短金利の水準が一段と低下すれば、ドル売り/円買いが強まるのではないかという見方である。
パウエルFRB議長は5月13日の講演でもそれまでと同じく、短期金融市場における取引が阻害される懸念を指摘するなど、マイナス金利の導入に否定的なコメントを発した。
これに対し、トランプ大統領は同日、FRBがマイナス金利を導入すべきであると今もなお強く信じていると発言。パウエル議長のトップとしてのパフォーマンスは改善したとの認識を珍しく示しつつも、政策金利に関しては依然として同意できないと述べた。
この問題に関する筆者の結論を言うと、米国がマイナス金利を導入する確率は引き続き極めて小さい。その理由は以下の諸点である。
<米がマイナス金利を採用しない理由>
1つ目は、米連邦公開市場委員会(FOMC)がマイナス金利導入は望ましくないという点で、ほぼ「一枚岩」であること。今年のFOMCで投票権を有するカシュカリ・ミネアポリス地区連銀総裁は12日、マイナス金利導入についてはFRB当局者が「全会一致」で反対しているとし「絶対にあり得ない」とは言えないが、その前に実施すべき政策があると述べた。中短期ゾーンの国債利回りにキャップ(上限)をはめることや、フォワードガイダンスの強化が、FRBによる次の一手の有力な選択肢だと、市場ではみられている。
2つ目は、トランプ政権の経済政策の「司令塔」が、マイナス金利は不要と述べていること。クドロー国家経済会議(NEC)委員長は21日、米紙ワシントンポストとのインタビューで、FRBが現時点でマイナス金利を追求する必要はないとの見解を示した。
3つ目は、トランプ大統領が為替相場は「強いドル」で当面はよいという考えに傾いていることだ。新型コロナウイルス感染拡大を受けて世界の金融市場が混乱する中、基軸通貨であるドルの需要が高まっていることについて、大統領は14日のFOXビジネスネットワークとのインタビューで「今のところ強いドルを持つのは良いことだ」と述べた。米国の金利をここからさらに押し下げてドルを減価させたいという欲求は、ひとまず封印されている。
新型コロナウイルスが引き起こした危機は、有効なワクチンが開発された上で量産されて普及し、抗体を有する人が60%以上の集団免疫の状態が出来上がるまでは、本当の意味では終わらない。 「コロナ後」ではなく「ウィズコロナ」という言葉が徐々に広がるなど、人々の行動様式はこの先も慎重なものにならざるを得ず、景気の回復ははかばかしくない。日米の中央銀行が危機モードを解消できないでいるうちは、105─110円程度をコアレンジとするボックス圏内での取引を、ドル/円相場はこのまま続けることになるだろう。
*本コラムは、ロイター外国為替フォーラムに掲載されたものです。筆者の個人的見解に基づいて書かれています。
*上野泰也氏は、みずほ証券のチーフマーケットエコノミスト。会計検査院を経て、1988年富士銀行に入行。為替ディーラーとして勤務した後、為替、資金、債券各セクションにてマーケットエコノミストを歴任。2000年から現職。
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編集:田巻一彦
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