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コラム:米インフレ懸念台頭なら「ドル買い」の落とし穴=上野泰也氏

[東京 26日] - 欧州中央銀行(ECB)でチーフエコノミストを務めるフィリップ・レーン専務理事は、5月21日の英経済紙フィナンシャルタイムズとのインタビューの中で、半導体不足や海運需給ひっ迫といった供給制約がもたらしている価格の上昇について「それはインフレではない」と言い切った。

 足元で見られ始めた物価上昇率の加速は、一時的で一過性の現象だという見方を欧米の中央銀行当局者の大多数が採っている。エコノミストである筆者も同意見なのだが、そうした見解を表明した要人発言の中で、レーン氏の発言はこれまでのところ、最もトーンが強いように思う。上野泰也氏のコラム。写真はドル紙幣。ソウルで2011年9月撮影(2021年 ロイター/Lee Jae-Won)

<米欧金融当局、インフレは「一時的」で足並み>

足元で見られ始めた物価上昇率の加速は、一時的で一過性の現象だという見方を欧米の中央銀行当局者の大多数が採っている。エコノミストである筆者も同意見なのだが、そうした見解を表明した要人発言の中で、上記の発言はこれまでのところ、最もトーンが強いように思う。

もっとも、ここでレーン理事が言及しているインフレは「一般物価(消費者レベルの物価)の上昇」という、本来の定義に即した意味合いだろう。

卸売(生産者)物価の上下動は、消費者が直面するよりも前のステージにおける変動である。それが、いくつかの流通段階を経て「川下」に至るまでの間に、価格の設定を巡ってさまざまなせめぎ合いがあり、原材料価格急騰ショックの影響は緩和されていく。

例として、日本の企業物価指数(企業間で取引される財の価格変動を測定している日銀の統計)の4月分(速報)を見ておきたい。

国内需要財(国内品)の需要段階別の上昇率を調べると、「素原材料」が前年同月比プラス9.0%、「中間財」が同4.3%、最終財が同1.9%になっている。流通段階がいわゆる「川上」から「川下」へと進んでいく中で、原油など資源価格の急騰というショックの影響が徐々に和らいでいく様子が、大まかに確認される。

企業間で自由に競争が行われている場合には、原材料コストが何らかの理由で急に上昇したからといって、それを販売価格に自動的に上乗せ転嫁するわけにはいくまい。価格が上昇すれば通常、需要が減る。販売価格を引き上げず、企業内努力でコスト増を飲み込んだ企業へと需要がシフトしていけば、安易に売り値を引き上げた企業の売上高は減少を続け、最終的には市場からの退出につながるかもしれない。

ユーロ圏以外の中銀当局者からも、インフレ率の急加速は一時的ではなく持続的現象なのではないかといった市場の一部に漂う警戒感を、けん制あるいは戒める発言が、断続的に出てきている。

イングランド銀行のベイリー総裁は5月24日、議会金融委員会への年次報告の中で、英国の消費者物価上昇率が3月は前年同月比プラス0.7%だったものの4月は倍以上の同1.5%へと急加速したことについて、経済が新型コロナウイルス感染拡大の影響から回復する中で物価上昇が予想されているものの「こうした一過性の要因が中期的にインフレに直接的な影響を及ぼすことは、ほとんどないと金融政策委員会はみている」「(インフレ期待は)しっかりと抑制されている」と述べた。

<米テーパリング議論は後ずれ>

米連邦準備理事会(FRB)のブレイナード理事は同日、講演終了後のやり取りの中で、インフレ率は「今後数カ月に一段と上昇することが予想されるが、こうした経済再開やボトルネックに関連した物価圧力は弱まると私は見込んでいる」「インフレ動向の非常に重要な部分は長期的なインフレ期待で、こうした期待は極めて安定した状況が続いている」とコメントした。

このようなハト派色の濃いメッセージを欧米の中央銀行幹部が数多く発信しているため、比較対象の水準の低さというテクニカルな要因も寄与して上昇率が加速しやすくなっている消費者物価指数の新しいデータに対し、金利・為替マーケットが過敏に反応して大きく動く可能性は低下している。

出てくる経済指標の数字が不安定に上下動している中、FRBによるテーパリング(量的緩和縮小)議論の正式開始時期は6月や8月よりも後ずれするだろうと、筆者はみている。そして、実際にテーパリングが開始されるのは早くても22年の4─6月期以降、利上げの開始は今年3月の連邦公開市場委員会(FOMC)の「ドットチャート」が示していた通り、24年に入ってからだろう。

FRBによる金融緩和は当面このままだろうという観測から、米10年物国債利回りは1.50─1.75%程度の狭いレンジ内にこのところ収まっており、秋以降の展開(特に物価動向)待ちとなっている。ドル/円相場は108円台を中心に推移しており、近年形成している100─110円程度のボックス圏内に、しっかり収まっている。

<インフレ顕在化でドル安リスク拡大>

では、頭の体操として、仮に上記のハト派的な予想が大きく外れてしまい、インフレ率加速が一時的ではなく持続的で、インフレ期待の発散的な上昇を防ぐには一刻の猶予も許されないと判断されるケースを考えてみよう。

実際にそうなる可能性は筆者の見るところ極めて小さいのだが、金利・為替はどのように動くだろうか。

FRBは「情勢急変に応じて政策方針を変更する」とアナウンスしつつ、市場に対する地ならしもそこそこに、最初の手を打ってくるだろう。テーパリングの議論開始・実施予告・開始・終了という手順を省き、いきなり利上げに動くことが十分あり得る。通常の金利変更幅である25ベーシスポイントよりも大きい、50─100ベーシスポイントの利上げが有力視される。

その場合、「金利面で大幅に有利になったから、ドルは買い」ということになるだろうか。状況を静態的に捉えて日米金利差の拡大だけに注目すれば、セオリーとしてはそういう話になる。だが、筆者はそうは考えない。

経済にもマーケットにもダイナミズムがある。急激な利上げ・市場金利上昇は、米国の景気腰折れに直結する可能性が高い。

そもそも、消費者レベルの物価指標は景気サイクルの遅行指標である。そこに強い関心を寄せて、いわばバックミラーを見ながら金融政策を運営すると宣言した時点で、FRBは景気の動向に対して後手に回らざるを得なくなっていると言える。

ここでもう1つ重要なのは、急激な金利上昇は株価急落につながる可能性が高いことである。景気の先行指標であり、企業・家計の景況感に深く関わり、政治の世界も注視している株価の非常に大幅な下落を、FRBは座視できないだろう。「スタグフレーションも警戒しながら、インフレ抑制を主眼に据えた連続的利上げ」というシナリオは、机上の議論ではあり得ても、現実問題としては極めて成り立ちにくいように思う。

インフレ対応でFRBが急きょ利上げに動き、景気腰折れが濃厚になる場合、米国債のイールドカーブは逆イールドになると考えられる。その場合に為替市場がイールドカーブのどの部分で日米金利差を考えてどのように反応するかは難しい話だが、「ぬるま湯」的な金融緩和の時代は突然終わったと判断した金融市場は、全体として「リスクオフ」へと大きく傾斜する可能性が高い。そうした場合に買われやすいのは、ドル、円、スイスフランといった逃避通貨である。

ドル/円相場について言えば、ドルと円のどちらか片方だけが大きく買い進まれる展開は想定しにくい。米国株急落でリスクテイク能力が低下したファンドなどから円売りを伴うキャリー取引的ポジションの解消が大量に持ち込まれて、円高が急速に進むケースも十分予想される。

このように考えると、「インフレ懸念があるから、米長期金利は上昇含みでドルは買いだ」というような単純化し過ぎた見方に沿って売買を進めるのは、相当リスキーだという結論になる。

*本コラムは、ロイター外国為替フォーラムに掲載されたものです。筆者の個人的見解に基づいて書かれています。

*上野泰也氏は、みずほ証券のチーフマーケットエコノミスト。会計検査院を経て、1988年富士銀行に入行。為替ディーラーとして勤務した後、為替、資金、債券各セクションにてマーケットエコノミストを歴任。2000年から現職。

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