[東京 30日] - 日銀が連続指し値オペをオファーした3月28日に、ドル/円相場はロンドン市場で一時125.10円に達した。粘り強く異次元緩和を続けていく姿勢をあくまで崩そうとしない日銀と、タカ派に一段と傾斜して1回当たり50ベーシスポイントの利上げを年内に複数回実施する方向に見える米連邦準備理事会(FRB)は、金融政策のベクトルが正反対である。そこに着目した円売りが、日銀の指し値オペを材料にして加速した。
<今年の値幅は11.62円>
今年に入ってからのドル/円の安値は113.48円(1月14日)、高値は上記の125.10円である。値幅は11.62円であり、1年間の4分の1ほどしか経過していない時点で、すでに過去3年間平均の年間値幅(10.60円)を超えた。
次の大きな節目は2015年6月5日に記録した125.86円だというのが市場の多数説である。年内に130円を目指すのではないかという見方も市場にあるが、近年の平均的な年間値幅の観点からは、上記のドル高値からさらに5円弱のドル高・円安進行というのは、よほどの新たな材料でも出てこない限り、やや苦しいように思う。
<日本の経常収支の構造>
そうした中で最近しばしば目にするのが、足元でのドル高・円安の急速な進行を、日本経済の構造変化を反映した「構造的な円安」と位置付ける見解である。
経常収支がこのまま赤字基調ならば、円高リスクを以前ほど気にする必要はもはやない、という説明が付加されることも多い。
日本の国際収支統計で経常収支(原数値)を見ると、昨年12月が3708億円、今年1月が1兆1887億円のそれぞれ赤字となっている。
1月の赤字幅は原油価格高騰による貿易収支の赤字幅拡大を主因に、14年1月(1兆4561億円)に次ぐ過去2番目の大きさになり、マスコミが報道でこぞって取り上げた。
この月の貿易収支は1兆6043億円の赤字で、旅行や貨物輸送などのサービス収支は7379億円の赤字。これに対し、大きな黒字を毎月計上する傾向がある第1次所得収支(海外への直接投資や証券投資から受け取る配当・利子など)は1兆2890億円の黒字になった。金額が小さい第2次所得収支の1355億円の赤字も加味すると、1月の経常収支は上記の赤字になる。
もう少し整理すると、毎月の経常収支が黒字か赤字かを左右する「主役」は、貿易収支と第1次所得収支である。
1月の貿易収支には、中国の春節が昨年よりも早まった影響で同国向けの輸出が前年同月比マイナスになるという、カレンダー面の特殊要因が寄与していた。
その一方で、原油と液化天然ガス(LNG)の価格高騰が輸入額を膨らませた結果、貿易赤字が膨らんだ。次の2月分の貿易収支では、予想された通りに輸出が盛り返しており、財務省からすでに発表された通関ベースの貿易収支は6683億円の赤字にとどまった。
一方、第1次所得収支の黒字幅は月ごとに揺れ動く。昨年のパターンを参考に考えると、今後発表される今年2月から5月までの黒字幅はおそらく、1月よりも大きくなるだろう。為替相場がドル高・円安方向に動いたことも、外貨受け取りの円換算額の増加を通じて、そうした流れをサポートする。
したがって2月以降の日本の経常収支は、黒字が続きやすい。赤字がずっと続いていくわけではない。
<円買いの可能性>
なお、日本企業が海外で稼いだ外貨建ての収益を為替市場で円に換えること(円転)をせず、そのまま外貨で保有しておいて現地での再投資に振り向ける動きを、足元で取り上げるメディアもある。
だが、そうした傾向が始まったのは、別に最近の話ではない。自動車大手が海外に外貨をプールするセンターを設けたと報じられたことがあったのも、かなり前である。外貨のままでの再投資は、為替の需給で円買い需要を減らす要因であることは間違いないものの、ここにきて起こった構造変化だとするのは誤っているように思う。
付け加えて言えば、ドル高・円安の流れが一巡し、この先は円高だという相場観が広がれば、これまで外貨でプールしていたものの一部をあわてて円転する動きが出てくることも想定される。
ここで経常収支の季節調整値を見ると、今年1月は1917億円の黒字である。幅はかなり小さくなったものの、粘り強く黒字を維持していた。
ヘッドラインが報じられて為替市場で材料になるのは原数値であり、過去2番目の赤字幅という1月の数字はインパクトがあったわけだが、冷静に統計をチェックしてみれば、経常収支の黒字基調はなお地道に続いていることがわかる。
<膨張する米経常赤字>
さらにもう1点付け加えると、日本の経常収支だけを為替市場が見て、米国の経常収支はいっさい材料にしないというのは、バランスを欠いた話である。
米商務省が3月24日に発表した21年の米国の経常収支は8216億ドルの赤字。赤字幅は前年から33.4%も拡大し、過去最大を更新した。貿易赤字の膨張が主因である。コロナ禍からの景気回復が輸入の大幅増につながった。
最終四半期である21年10-12月期の経常収支は2179億ドルの赤字で、赤字幅は縮小したものの、前期比0.9%低下という、わずかな動きに過ぎない。
ドルは世界の基軸通貨であり、経常赤字が膨らんでも資本が米国にしっかり流入するので大丈夫だというのは、その通りである。けれども、日本の経常収支のおそらく一時的な赤字転落をことさら材料にしてドル買い・円売りを進めるのは恣意的であり、長続きする話とは見えない。
編集:田巻一彦
*本コラムは、ロイター外国為替フォーラムに掲載されたものです。筆者の個人的見解に基づいて書かれています。
*上野泰也氏は、みずほ証券のチーフマーケットエコノミスト。会計検査院を経て、1988年富士銀行に入行。為替ディーラーとして勤務した後、為替、資金、債券各セクションにてマーケットエコノミストを歴任。2000年から現職。
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