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COLUMN-〔インサイト〕「金融緩和で解く」資源高騰下での日本の難問=エコノミスト 岡田氏

 世界の経済史で見ても、まれである長期停滞の中で10年以上も暮らしてきた日本人には実感がわかないが、90年代から最近まで、世界経済は驚くべきテンポで繁栄を享受してきた。世界経済の繁栄が持続した結果、多くの人々の生活水準が著しく改善したが、それは同時に資源需要の爆発的な増加を意味することになった。

われわれの生活水準を引き上げるということは、物にせよサービスにせよ生産が増加するということであり、生産には労働と資源が必要だからだ。これまで基礎的な教育を受け、十二分に働くことのできる能力を持ちながら、社会システムの失敗によって生産活動に参加できなかった人々の膨大なストックが存在したのだから、労働力不足はネックとはならなかった。 

 だが、資源は開発に多くの資金と技術、そして時間がかかるものである上に、容易に開発できる資源は既に開発済みであった。このため労働力のような「遊び」が非常に少なかったのである。世界経済の繁栄が遅かれ早かれ資源価格の上昇を引き起こすことは不可避であった。

 問題は、その上昇が「不可避」であった「価格」とは何か、ということだ。モノの価格はその希少性に依存する。そして、労働が豊富に存在する以上、希少となった資源の価格は、労働の価格に比べて上昇することになるわけだ。つまり、上昇するのはどこかの国の通貨で測った貨幣価格ではなく、労働に代表される「そのほかのモノ」の価格に比較した価格、つまり相対価格なのである。

 <資源高騰でロシアなどの資源国に所得が移転>

 もちろん、価格上昇が速やかに資源の生産量を増加させるのであれば、その上昇幅は小さくて済むだろう。だが、既に述べたように、資源の供給量は比較的、価格に対して非弾力的である。この結果、資源価格は大幅に上昇し、世界の所得分配は資源生産国に有利となったわけだ。

 市場経済の移行の過程で苦しみ抜いていたロシアが、この数年の間に目をみはるような繁栄をおう歌していることは、既に多くの人に知られている。90年代の初め、ロシア政府の要請でモスクワを訪れたことがある。財務省を訪問した際、そこで見たものは零下20度の厳冬の最中、旧ソ連政府の発行した国債の償還を求める人々の長い列であった。正確に言えば、彼らが求めていたのは、その国債の元本や金利ではない。お金にあまり意味のなかったソ連では、国債の販売を促進するため、償還時に自動車や冷蔵庫を「オマケ」に付けていたのだが、それを新ロシア政府に要求する人々の列だったのである。

 だが、最近のニュースを見ればわかるように、モスクワのショッピングセンターは、欧米のそれと見間違うばかりである。

 資源の相対価格の変化は実物的な現象である。その帰結は、資源消費国から資源生産国への所得の移転である。要するに、資源消費国である日本は、この世界経済の空前の繁栄によって、ある程度は貧しくならざるを得ないのであって、それを避ける方法は存在しない。

 だが、90年代に始まる世界経済の大変化は、日本に不利なものばかりではなかった。少子高齢化で基調的に不足している「はず」である労働力の供給が、爆発的に増加したのであるから、相対的に低い技術で生産可能なものの生産を海外に移転し、あるいは輸入することで、国内の労働力をより必要度の高い分野に移動させることができた「はず」なのである。コンピュータなどの規格化した電化製品の組み立て作業は、比較的低い技能でも可能であり、ほとんどが海外に移転してしまったようだ。その結果、パソコンと言えば性能が上がっても価格が下がって当然となってしまっている。

 <資源消費国・日本に可能な政策対応の選択肢>

 最近の「原油1バレル100ドル」によって象徴される資源価格の高騰に対して、日本の政策当局はどのように対応すべきなのだろうか。

 もし、日本経済がその潜在力をほぼ完全に発揮しているとすると、もはやできることはほとんどない。資源価格の上昇は、そのまま日本から資源産出国への所得移転を意味する。つまり、程度の差はあれ、日本人は少しずつにせよ、貧しくならざるを得ないのである。できることと言えば、民間企業が省資源技術の開発に注力するように、税制を変更することであろう。だが、実質GDP(国内総生産)1単位当たりの資源消費量という効率性という観点から見ると、日本は既に世界有数の効率性を誇っており、可能なことはそれほど多くはないだろう。

 では、何もできないのだろうか。上で述べた中に「日本経済がその潜在力をほぼ完全に発揮しているとすると」という条件が含まれていたことに注意してほしい。

 もしも、日本経済が、国内で利用可能でありながら何らかの理由で利用していない資源を持っているなら、話は別なのである。もちろん、日本には油田はないし、穀物生産は補助金なしには成り立たないのであるから、今世界で不足している「天然資源」が余っているわけではない。

 だが、最悪期には5%を超えていた失業率が3%台にまで低下しても賃金が上がらないことによって示されているように、労働力はまだ十二分に余っている可能性が高いのである。もしそれが事実なら、資源価格の上昇に対する正しい処方せんは、驚くことに金融緩和ということになる。

 つまり、長年のデフレの定着で、生産者は川下に行けば行くほど価格引き上げに慎重である。このため、生産コストである資源価格の上昇を販売価格にほとんど転嫁できず、収益性が悪化している。もちろん、日本全体としては資源価格の上昇による所得の流出はどこかが負担しなければならないのだが、それのほとんどを企業セクターが負担することが望ましいとは思えない。

 では、資源を消費する製造業を中心に賃下げによって吸収するのはどうだろうか。これがスムーズに行われるなら問題はないが、現実には家計消費の大部分を占めるサービス価格が同様に低下しないなら、これまた一部の勤労者に負担が集中することになってしまうのである。

 <金融緩和で上昇する生産物価格、国内の閉そく感和らげるカギに>

 第2次石油危機に際して、日本は強力な金融引き締め政策を取り、第1次石油危機前後の大インフレーションの記憶がよみがえるのを阻止した。だが、それと同時に政府は「新価格体系への移行」をスローガンにして、資源価格上昇を国民一般に浅く広く負担させた。これらが功を奏して、日本は世界的に見て最もうまく第2次石油危機を乗り切ることに成功したのである。このため、今回も金融引き締めが望ましいと考えるのも無理はないかもしれない。

 だが、当時は3%前後のインフレが正常と見なされていたことを思い出さねばならない。強力な金融引き締めは、この予想インフレ率が、第1次石油危機前後と同様に20%とか30%に上昇するのを阻止するために必要だったのである。

 しかし、個別商品はともかく、日本の生産物価格や賃金が5%あるいは10%と上昇していくと考える消費者が今、いるとは思えない。おそらく多くの勤労者は、資源価格の上昇による企業の収益圧迫によって賃金が低下することを懸念していると考えるべきだろう。そうであれば、必要なのは、日本の生産物価格がある程度上昇し、資源価格上昇を社会全体が広く負担することである。

 しかも、こうした調整は、相対的に資源依存度の低い産業にとっては生産拡大のインセンティブを生み出すが、そうした産業こそ不完全にしか利用されていない日本の資源、つまり労働力を集約的に利用する産業なのだ。こうした価格上昇の条件は、現在の日本では金融緩和によってもたらされるのである。

 岡田靖 エコノミスト

 (1日 東京)

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