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フォトログ:原発事故被災地、捨てられたネコたちを育てる男性

[福島県浪江町 5日 ロイター] - 東日本大震災が起きた10年前、被災地の一つとなった福島県浪江町の加藤栄さん(57)は町を離れず、自分の家に踏みとどまることを決めた。置き去りにされた近所のネコたちを救うためだ。

 3月4日、東日本大震災が起きた10年前、被災地の一つとなった福島県浪江町の加藤栄さん(57)は町を離れず、自分の家に踏みとどまることを決めた。写真は2月、福島県浪江町の自宅で、保護した猫を横に寝床に入る加藤さん(2021年 ロイター/Kim Kyung-Hoon)

約25キロ先には、震災時の津波によって事故を起こした東京電力福島第一原子力発電所がある。隣人らは放射能汚染の脅威から逃れようと次々と浪江町から去って行った。しかし、加藤さんはいまだにこの地を離れようとしない。

(2021年 ロイター/Kim Kyung-Hoon)

「最後のネコを看取ってから自分もなくなりたいと思います」。隔離された汚染地域にある自宅で、加藤さんは言う。「それをやって死にたいんですよ」

加藤さんが自宅の庭に埋葬したネコは、この10年間で23匹にもなった。最近はネコの墓を作っても、人影の絶えた町を自由に動き回るイノシシに荒らされてしまう。加藤さんは今、自宅と自身の所有地にある別の空き家で41匹のネコの世話をしている。

それとは別に、石油ストーブで暖かくした倉庫に野良ネコの餌も置いている。「ポチ」という名の犬も保護した。とはいえ、水道が止まっているため、その世話は一苦労だ。近くの湧き水をボトルに汲んで飲料にする。公衆トイレを使うには、車を走らせなければならない。

(2021年 ロイター/Kim Kyung-Hoon)

浪江町から避難した住民はすでに約16万人に達した。そうした中で、以前は従業員70人の建設会社のオーナーだった加藤さんがこの地に残る決意を固めたのは、解体を手伝った空き家の中で死んでいるペットを見つけた時のショックが一つの原因だった。ネコたちの世話は、3代にわたって加藤家が守ってきた土地に留まる理由にもなった。

「ここで生まれ育ったんで、親父がこれ建ててくれた家なんで、できるだけ壊したくないですね。本当に自分の故郷なんです」。加藤さんは自宅の前に立って、そう話した。

(2021年 ロイター/Kim Kyung-Hoon)

今なお除染が終わっていない帰還困難区域にある自宅は、訪問することは許可されているものの、厳密には寝泊まりすることは認められない。

木造2階建ての自宅の状態は芳しくない。腐りかけた床板は沈み込み、今年2月の強い地震で、これまで雨風を防いできた壁板や屋根瓦が外れたため、あちこちに穴が空いている。2月13日に起きた地震は最大震度6強に達し、津波と原発のメルトダウンを招いた2011年3月11日の大地震の恐怖がよみがえるほどの揺れだった。

「2、3年持つか持たないかでしょうね。(この家は)限界だと思います。壁もちょっとズレちゃったんで」

自宅周辺の田畑は除染が済み、近隣の住民もじきに帰還が認められそうだという。

加藤さんによれば、動物たちの世話をするための出費は月額70万円ほどになっている。その一部は、日暮れ時に自宅の近くに集まってくるイノシシに与えるドッグフードの費用だ。

(2021年 ロイター/Kim Kyung-Hoon)

農家にとってイノシシは害獣であり、空き家を荒らすという悪さもする。しかし、加藤さんにとっては、保護すべき命の一つだ。

2月25日、加藤さんは逮捕された。11月に日本政府が仕掛けた罠にはまったイノシシを逃がした容疑である。この記事が公開される時点では、彼はまだ取り調べのため拘留中だ。

<消えない恐怖>

2月の地震による被害から1週間後、加藤さんの家から南東に約30キロ離れ、今も立ち入りが制限されている地域では、鵜沼久江さん(67)が同じように自宅の状態を気にしていた。10年前の地震には持ちこたえたが、何年も風雨と雪に苛まれた家は今や崩壊寸前だ。

「もうとっくにダメになると思ったんですけど、よく持ちこたえていますよね」

鵜沼さんはリビングを指さし「あそこからは、外にいるうちの牛たちが見えた」と語る。今は伸び放題の竹やぶが視界をさえぎっている。

2.5キロ離れた福島第一原発で原子炉のメルトダウンが始まったため、鵜沼さんはこの地を逃れた。

東京オリンピック・パラリンピック開催に向けた準備の中で福島を国内復興のシンボルにしようとする日本政府は、除染が完了した地域への住民の帰還を奨励している。

だが、今も消えない原発への恐怖、そして雇用やインフラの乏しさゆえに、多くの住民はまだ近づこうとしない。

鵜沼さんは今、東京近郊の埼玉県で野菜を栽培している。日本政府が彼女の土地から汚染土を剥ぎ取ったとしても、3年前に埼玉で亡くなった夫が福島に戻ることはない。

ロイター記者が持参した線量計の表示によれば、鵜沼さんの自宅周辺の放射線レベルは、東京の空間線量の約20倍に達していた。

鵜沼さんに安心が戻るのは、福島第一原発の炉心部分が撤去された時だ。だが、その完了までにはまだ何十年もかかる。

「誰かがね、(原子炉に)工具1個落とせばいい。また爆発が起きるから」と鵜沼さんは原発の恐怖をそう表現した。

(2021年 ロイター/Kim Kyung-Hoon)

車で4時間かけて埼玉に戻る前に、鵜沼さんは畜産牧場「希望の牧場」を訪問する。この牧場を経営する吉沢正巳さん(67)は、政府と東京電力に抗議し、放射能を浴びた自分の家畜を殺処分する命令を拒否した人物だ。

今も「希望の牧場」で飼育される233頭の牛のなかに、鵜沼さんがかつて世話をしていた合計50頭のうち、最後に生き残った1頭がいる。鵜沼さんにとって原発事故前の生活に結びつく残り少ない縁(よすが)の一つだ。

鵜沼さんは自分が世話をした牛に声を掛けるが、無視されてしまった。それを見ながら吉沢さんは「牛の頭の90%は、食べることしか考えないんだ」とつぶやき、鵜沼さんに牛の関心を引くためのキャベツを一握り渡した。

(文:Tim Kelly 記者、写真:Kim Kyung-Hoon 記者、翻訳:エァクレーレン)

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