March 11, 2020 / 6:10 AM / 22 days ago

アングル:追憶に生きる父、夢に旅立つ息子 震災みつめるふたつの思い

[飯館村(福島県) 11日 ロイター] - 未曽有の激震と大津波が原子力発電所を破壊し、福島県飯館村を放射能汚染地帯に変貌させた日から9年が過ぎた。いまは福島市に転居している大内和夫さん(62)は、雨の中、かつて家族と暮らした自宅へ車を走らせた。家は歳月を経た痛みがあるものの、昔の姿で残っていた。

大内良真君の右腕は、甲子園出場をかけた一昨年の福島県大会でチームを準優勝に導いた。写真は2月21日、福島市で撮影(2020年 ロイター/Issei Kato)

「暗くてすみません。電気を切っているので」。床に散らかったままの子どものおもちゃをまたぎながら、大内さんが言った。窓にひかれたカーテンが弱い日差しを遮っている。

村から離れて久しい大内さんだが、この場所に戻って昔のように暮らしたいとの思いが消えることはない。しかし、今となっては家族そろっての帰還は難しい。子供たちにとって、飯館村はすでに過去の存在だ。

住む人がいなくなった家の2階には、震災前と同様、何十枚もの家族写真が貼られ、壁を埋め尽くしている。大内さんは息子の一人、良真君(18)の生後間もない写真の前に立って、つぶやいた。

「この子はいつもプロ野球選手になりたがっていた。彼がやりたいことを止める気はない」。

<プロと五輪をめざす野球少年>

東京電力(9501.T)福島第一原子力発電所の事故によって高濃度の放射能に覆われた飯館村は、避難区域に指定され、大内さんら多くの村民が突然の避難を余儀なくされた。被災者家族にとって、故郷への帰還が遅々として進まない現実は、人生の新たな旅立ちを生む舞台にもなっている。

かつて大内さんが飯館村の野原や学校のグラウンドでキャッチボールを教えた良真君は、才能に恵まれた野球少年となり、避難先の福島市では硬式野球クラブ「福島リトルシニア」で活躍。その後は県立福島商業高校に進み、甲子園出場をめざすチームのエースとなった。

背番号「1」を背負った良真君は持ち球である最速143キロのストレートと打者を翻弄するスライダーの投げ込みに余念がない。練習の後は、レーキでマウンドをきれいに整地し、帽子を取って一礼をする。

一昨年夏、良真君の右腕は、甲子園出場をかけた福島県大会でチームを準優勝に導いた。高校球児として最後の夏となった昨年の大会では、惜しくも本塁打を浴び1点差で敗退したものの、相手チームをほぼ完封した好投に高い評価が集まった。

いつかオリンピックで日本代表の野球チームに加わりたい──。18年11月、福島市を訪れた国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長から直接の激励をうけた良真君は、そうした夢も抱くようになった。

今年の東京五輪では、横浜スタジアムとならんで、福島市の福島あづま球場が野球とソフトボールの公式会場になる。福島での五輪開催を復興のシンボルとしてPRしようという主催者の意向だ。良真君は、今夏は間に合わないとしても、プロ入りと五輪出場に果敢にチャレンジするつもりだ。

震災が起きた時、良真君は9歳で、まだ小学生だった。幼い弟たちとは違い、災害の悲惨さ、避難生活のつらさは鮮明に覚えている。「震災でひどいことがいろいろと起きたことは知っています。放射能のせいで教室から外に出られず、一年間運動不足にもなった」と良真君は野球ができなかった悔しさを振り返る。

しかし、震災に多くを奪われたからこそ、いま自分は夢を持てるようになった、とも思う。福島市に転居したことで、より強い野球チームでプレーができ、野球選手として「本当に成長できた」と良真君は語る。それは、オリンピックという遠い存在を、少し身近に感じるきっかけにもなった。

<「飯館に帰りたいが帰れない」>

こうした息子の成長に微笑みながらも、大内さんには飯館村での暮らしを思う望郷の念がぬぐえない。

阿武隈山地の北部、夏の涼しさと冬の雪景色が楽しめる飯館村は震災前、NPO団体から「日本で最も美しい村」の一つに認定されていた。大内さんは村を車で走りながら、沿道にある農家やそこに住んでいた人々の話を始めた。

大内家が過去6代にわたって農業を営んできた畑は、いま放射能に汚染した土や枯葉を詰めた数百の袋が積まれた投棄場所となっている。放射能測定値を黒々と書いたホワイトボードが、なつかしい思い出を否定するかのように掲げられている。

無残に変貌した郷里の姿をみながら、大内さんは「福島の復興や復興オリンピックといいますが、いったいどんな復興なのか。何もかも変わってしまった」と嘆いた。

長引く避難生活の中、大内さんの高齢の父親は「村に戻りたい」と繰り返し懇願するようになった。震災後に飯館村に出されていた避難指示は「帰還困難区域」を除き17年3月に解除された。しかし、年老いた父だけがひとりで戻ることは難しい。

「もちろん、私も飯館村に帰りたい」と大内さんは言う。「飯館に私の家はある。だけど、子供たちのことを考えなければ。子供たちと別れて村に帰るわけにはいかない」

<決意のビデオメッセージ>

9年前の出来事は、父と息子にとって、それぞれの人生の大きなターニングポイントになった。震災で「全てが変わってしまった」という大内さんは、飯館村での多くの思い出とともに生きている。良真君は震災後の様々な経験を糧に、新しい道に踏み出そうとしている。

福島市にある大内家の新居の玄関には、良真君がこれまでの試合で獲得したメダルやトロフィーを飾った棚がある。その隣にある大好きな野球漫画の棚には、IOCのバッハ会長から贈られたオリンピックのロゴが入った野球帽が置かれている。

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大内さんは飯舘村の農村を整備する国の復興事業に携わっていたが、同事業は昨年末で終了した。老後は野球選手としての成功をめざす良真君に面倒を見てもらおう、と大内さんは冗談を言う。

「18年間ありがとうございました。お父さんはずっと野球に付き添ってくれてありがとうございます」。高校の卒業式を終え、大学のある名古屋に向かう前、良真君は両親にこんなビデオメッセージを送った。

高校の制服である紺色のブレザーを着て、赤いバラを胸に飾った良真君は、その中で「これから大学4年間、プロをめざして頑張る」と語り、お父さんに誇りを持ってもらえるようなプロ野球選手になりたいとの強い決意を伝えた。

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