January 17, 2020 / 2:55 AM / 3 months ago

コラム:ゴーン被告のジレンマが問う企業文化のグローバル化

[ロンドン 15日 ロイター BREAKINGVIEWS] - 「何人たりとも死や負傷、投獄から身を守るための権利を差し出すことはできない」――。ルノー・日産自動車の前会長、カルロス・ゴーン被告が日本からの逃亡時に楽器箱に隠れながら、17世紀の英哲学者、トマス・ホッブスの言葉を思い浮かべたかどうかは大いに疑わしい。だがホッブスの哲学に照らすなら、ゴーン被告は身の処し方についてのジレンマから簡単に逃げられるかもしれない。

1月15日、ルノー・日産自動車の前会長、カルロス・ゴーン被告(写真)が日本からの逃亡時に楽器箱に隠れながら、17世紀の英哲学者、トマス・ホッブスの言葉を思い浮かべたかどうかは大いに疑わしい。ベイルートで14日撮影(2020年 ロイター/Mohamed Azakir)

ゴーン被告は2018年に金融商品取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載)の疑いで逮捕され、その後収監された状況について、典型的なゲーム理論である「囚人のジレンマ」と似たような問題に直面した、と先週ベイルートで開いた会見で説明した。同被告は取り調べで、罪を告白すれば、どれぐらいかは分からないが刑は軽くなると言われたからだ。

ゴーン被告は罪の告白ではなく、投獄を逃れるためにホッブス的権利を行使することを決断した。この道徳的規範によると、今後のレバノンでの新生活は自由かつ安全になっていいはずだ。自身も「まるで生まれ変わったようだ」と述懐した。

しかし、ホッブスは何かを見落としている。良心の呵責は、日本での収監よりも逃れるのが難しいものだ。正邪を問う良心の声は、東京でもベイルートでも同じように大きく響き渡る。

ゴーン被告はしっかりとその声を聴いている。彼の会見発言のほとんどは、逃亡したのが道徳的に妥当だと主張することに費やされた。いわく「正義に背を向けたのではなく、不正義と迫害から逃れたのだ」と。さらに偏見の少ない国でなら喜んで裁判を受けると。こうした言い分の正しさを自分で確信しているからこそ、古巣のルノーに年金支払いを求める訴えまで起こした。

一方でゴーン被告から、問われた容疑について法的な立場からの完全な反論はなかった。明白な証拠をそろえ、日本の法律を隅から隅まで把握していない限り、自身の行為が、人生での滞在期間は限られていた日本で法に触れたのかどうか理解するのは不可能だ。

だが、ゴーン被告が、恐らく米国でなら投獄を回避できていたとの見方は否定しがたい。彼の話によれば、09年に米政府からゼネラル・モーターズ(GM)(GM.N)会長就任を打診された。受諾していたとしても、社内規定以上の報酬を求める気にはさほどならなかっただろう。米国の企業幹部の報酬基準は非常に高いため、ゴーン被告が自己評価する自分の大いなる価値や重要性にも十分に見合っただろうからだ。

さらに、米国の法制度は、富裕層にとってかなり有利だ。企業の金融犯罪が刑事訴追につながるケースはめったにない。もっともゴーン被告が仮に米国で訴追されたとしても、日本からの逃亡に使ったぐらいの資金があれば、裁判でなぜかしばしば、好ましい結果を勝ち取れる米国の企業弁護士を雇い入れられただろう。19年9月には、報酬開示が不十分だとして米当局から起こされていた提訴でわずか100万ドルを支払うだけで和解が成立した。

ゴーン被告は、親しい友人や家族に援護射撃を頼むこともできる。彼らが、日本の刑事裁判の判決について旧ソ連の独裁者スターリン時代の政治ショー的な裁判の結果と同じぐらい正義から遠いと信じている可能性は十分にある。社会法学者ダニエル・フット氏が「善意に満ちた温情主義」と命名した日本の司法制度、つまり不公正な判決はおおむね、まず下されないと見なされていることも、彼らは認識していない公算が大きい。

それでも良心の問題は根が深い。ゴーン被告の不道徳さはそのうち忘れられるとしても、手に入れた自由の後味は悪くなりかねない。逃亡手法がいかに独創的であろうが、正義から逃げたことに変わりはない。臆病者のそしりもついて回る。

ゴーン被告が誠実に悔い改める姿勢を表明すれば、良心の痛みは和らぐかもしれない。例えば、金と権力に対する猛烈な野心によって、幾つかの好ましくない判断をしてしまった、と告白できる。そうした悔恨をした場合に、刑事的な罪を認めたり、日本からこっそり逃げ出したことを謝罪したりする必要はない。ある程度の自己批判は、かつての雇い主らと抗争を繰り広げるよりも自らの印象を良くしてくれる。

ゴーン被告は、スピリチュアルな要素にはほとんど興味がないだろう。とはいえ、悔恨の気持ちを示せば、実践的な力になる。かつて君臨していた世界的なビジネス界での地位を取り戻せるし、謙虚な姿勢になれば最終的には日本当局と司法取引を交渉できることだってあるかもしれない。

彼が抱えるジレンマは、単に個人的な問題ではない。それは、ビジネス上の適切な振る舞いを判断する基準は世界中どこでもほぼ近似しているはずだというグローバル化の原則に、挑戦状を突きつけている。ゴーン被告が「コストカッター」と呼ばれた辣腕を日本でも実践したことは、真のワールドクラスの経営者はどんな先進国でも通用する好例としてしばしば引き合いに出されてきた。

ところが、裁判の99%が妥当な判決に落ち着くと見なされる日本独特の司法をゴーン被告が十分受け入れられるような倫理的、文化的なグローバル基準は存在しない。そして、日本の企業には、同国人でないボスの働きぶりが完全無欠でなくとも受け入れるといったグローバル慣行がないのも間違いない。

日本の検察と弁護団でゴーン被告の罪状についての意見は異なっているが、どちらも、ホッブスの言葉に従って司法という名のグローバルな理想をきっぱり手放そうとはしていない。

(筆者は「Reuters Breakingviews」のコラムニストです。本コラムは筆者の個人的見解に基づいて書かれています)

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