[バガルプル(インド) 13日 ロイター] - インド東部ビハール州バガルプルのガンジス川沿いにある病院では、運営責任者で精神科医のクマール・ガウラブ氏(42)がライフル銃を装備した3人の警備員に護衛されながら、院内を巡回している。
警備員は、新型コロナウイルスの感染者を含む患者の親族からクマール氏を守ることが目的だ。彼らは患者の食事の世話などのため、集中治療室(ICU)をはじめとする医療従事者以外立ち入り禁止の区域にも勝手に入り込み、コロナ感染対策として最低限のマスクすらつけていないケースも多い。
クマール氏は「彼らを止めようとすれば怒りだす。手作りの食事を届けたり、患者に言葉をかけたりしたがっている。そしてさまざまな感染症をICUから外の世界の人々に広げてしまう」とため息をつく。
インドは今、雨季を迎えており、湿度は耐えがたいほど高い。病院にある数少ないエアコンは動かず、一部の親族らはごみや捨てられた防護具が床に散乱する病室で、苦しむ患者をうちわで何とか涼ませようとしている。
クマール氏とすれば、こうした境遇に置かれるとは思いも寄らなかった。9年前に首都ニューデリーから生まれ故郷のバガルプルに家族を連れて戻ってきたのは、より良い生活と報酬を求めたからだ。インド初代首相の名を冠した900床のジャワハルラール・ネルー医科大学病院に医学教授兼心理カウンセラーの職を得て、相応の給料をもらい、授業を行ったり、精神科の患者を訪れたりする平凡だが安定した生活を送っていた。
ところが病院では医師の何人かがコロナに感染し、別の何人かは勤務を拒否。クマール氏が事務方の責任者に指名される事態になった。同氏がカウンセラーとしては最も初心者の一人で、自分自身がコロナに感染すれば重篤化しかねない糖尿病と高血圧の基礎疾患を持っているにもかかわらずだ。
だが同氏は、引き受けざるを得ないと覚悟。「多くの同僚が断った。私が責任を引き受けるしかなかった」と語った。
4月にビハール州でコロナが大流行。それとともに、この病院は州の4つのコロナ対応専用施設の1つに指定された。もっともそれはあくまで制度上の話にすぎない。
クマール氏によると、結局、集中治療設備があったりコロナ以外の治療をまともに行えたりする病院が地域で他にないため、一般の患者もここネルー医科大学病院を利用するほかない。6月には行政側も実態を追認する形で、コロナに感染していない患者の受け入れを指示するに至った。
同氏は「理想論で言えば、病院内にコロナ以外の患者がいるべきではない」と強調しながらも、バガルプルでは州内の多くの地域と同じように医療システムが崩壊の瀬戸際にあるとの見方を示した。
確かに病院の職員や患者、親族など数十人に取材した結果、浮かび上がってきたのは、完全に外界から遮断されたICUがあり、いまわの際でも親族は患者に手を触れることさえ許されないコロナ医療のイメージに慣れた身にとって、衝撃的な現場の惨状だった。
人手や輸血用血液、医薬品は慢性的に不足。ICU37床は全てふさがっており、ベッド脇の床には親族が家から持ち込んだ毛布の上に、水のペットボトルを置いて座り込んでいる状況だ。
クマール氏は、ICUにいるコロナ患者を隔離できないことに無力感を覚えると語る。「もはや誰が陽性で誰が陰性かも分からない。患者の状態を知るよしもなく、検査を待つこともできない。言えるのはただ、彼らは治療が必要だということだけだ」と話した。
インド連邦政府、ビハール州政府、それぞれの医療担当閣僚や高官に詳しいコメントを求めたが、いずれも回答を得られなかった。
<ビハール州の問題>
世界ではコロナの感染拡大が鈍化している国・地域も多いが、インドはなお1日で5万人を超える新規感染者が確認され、累計感染者数は200万人強と米国、ブラジルに次いで3番目に多い。これまでの死亡者も4万6000人を超える。
国内に目を向けると、最初の流行地となったニューデリーやムンバイといった大都市部はその後、感染者減少が報告されている半面、中小都市や農村部では増え続けている。
今回のビハール州は、州では人口第3位で、仏教の開祖・釈迦が悟りを開いたとされる地もあるなど、歴史は豊かだ。一方で乳幼児の栄養状態など幾つかの指標に基づくと、開発段階はインドの富裕な南部諸州よりも、アフリカのサハラ砂漠以南の諸国に近い。
連邦統計によると、州内の5歳未満の乳幼児のほぼ半数は、栄養不足による発育不良に陥っている上に、4割余りは年齢の平均体重を下回っている。人口の伸びはインドで最も高いが、教育システムは最も遅れている州の一つで、識字率や子供の学校の出席率、学力試験結果などはひどい。
医療体制は既にコロナの感染拡大前からひっ迫しており、専門家によると州内では現状、医療現場の半分以上で医師が充足されていない。州最高裁は医師が農村部で勤務するのを嫌っているためだとして、5月に州政府に対して医師の拡充を命じる判決を下した。
州内のコロナ感染者はこれまでにおよそ8万7000人、死者は465人だ。他の州に比べると少ないものの、検査レベルが低いことから実態はもっと多い可能性がある。ただ現状でも、州の医療体制は既に、破局に近づきつつある。
州政府の対応ではらちが開かないと考えた人々からは、連邦政府への対応移管を要請するための訴訟も提起されている。インド連邦最高裁は14日、そうした訴訟の1つの審理を開く予定だ。
<心の痛み>
ジャワハルラール・ネルー医科大学病院を取り巻く環境もひどいありさまだ。病院に至る道路はあちこちに大穴があり、患者を搬送する自動車がしばしば立ち往生する。表玄関の外では、親族らがそれぞれ遺体の傍らで座り込み、埋葬や火葬に向かうための車の到着をめいめいに待っている。
一般救急外来に患者を運ぶ職員は新規到着の流れの把握ができておらず、そうした新規患者の大半はコロナ検査さえ受けていない。職員らは防護具として手袋しか装着していないことも多々あり、患者を運び込み、血中酸素濃度を測定した後は、ストレッチャーを廊下に置いたままで去ってしまう。一部の患者は、ベッドが空くまで、そこで治療を受けなければならない。
廊下では疲れ切った様子の女性が壁に頭をもたれて休んでおり、その横ではストレッチャーに横たわった夫が血液サンプルを採取されている。緊急治療室内では、別の女性が自分で夫をストレッチャーからベッドに移し、親族らが点滴用ボトルを支えている光景が見らえる。
クマール氏はこうした患者や職員を励まそうと院内を巡回しているが、自身にも常に精神的な負荷がかかる。「1人のコロナ患者の前に2分間立ち、計20人に会うとすれば、40分間もリスクにさらされることになる」という。
また若手医師からの不満も絶えない。医薬品不足を議題としたある会議では、クマール氏が政府にもっと資源が必要なことを納得させると約束したが、その後実現は難しいだろうと認めることになった。
同氏は運営責任者となってから一番つらかった場面を涙とともに振り返る。父親の友人で、定期的な輸血が不可欠だった人から助けを求められた時で「私はノーと言わざるを得なかった。保存している血液は十分ではなく、緊急用の最低限しかなかったからだ」と述べ、助けを断るのがどんなにつらいかを経験することになったと回顧した。
(Danish Siddiqui記者)
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