[東京 21日 ロイター] - 東京・赤坂の花街の「お姉さん」、育子さんが夢見て上京したのは1964年。最初の東京五輪が開催された年だ。芸者は数世紀の歴史がある日本の伝統的な職業。それが新型コロナウイルスのパンデミックによって、かつてない危機に瀕している。
機知に富む会話と美しさ、伝統芸能の技で知られる芸者だが、その数は近年ずっと減り続けてきた。そこに新型コロナの感染拡大による非常事態が襲いかかり、育子さんをはじめとする芸者たちから数カ月間仕事を奪ってしまった。今もソーシャルディスタンスの制限の下、不自由な日々が続く。
「東京に来たとき、この赤坂に芸子さんは400人近くいた。名前で呼ぶのは覚えられなくて。それで一番簡単だったのは、誰でも『お姉さん、お姉さん』と呼ぶことだった」と、今年80歳の育子さんは語る。
時代はすっかり変わったという。現在残る「お姉さん」は20人ほど。新たに芸者を増やすほど「お座敷」が掛かることもない。特に最近は厳しい。
新型コロナに伴う経費節減で企業の「お座敷」利用は激減し、芸者がもてなし、優雅ではあるが閉鎖的な料亭で何時間も過すことをためらう人は多い。
仕事は95%も減った。新たなルールも課されている。客に酌をすることはなく、手を握るなど触れてはならず、座るのも2メートルの距離を置く。ただし、たいていはマスクをつけない。丁寧に結われた鬘(かつら)のために着用が難しいからだ。
菖蒲(しょうぶ)柄の黒絹の着物をまとった育子さんは「そばで話していると、感情も入ります。情熱が伝わる」と話す。「2メートル離れると、会話を交わすというより、会話が飛ぶ。人の会話に入って行けない状態」だという。
危機に瀕している日本の伝統の担い手は、芸者だけではない。古くからの女性の舞踊である「地唄舞(じうたまい)」の踊り手、化粧や髪結い、着付けなど、ただでさえ希少な職に就く人たちも、新型コロナによって、さらに仕事が危うくなるのではないかと懸念する。
数十年にわたって芸者や日本舞踊の踊り手に入念な化粧を施してきた神田光修さんは、年内のイベントが全てキャンセル、あるいは延期になってしまったという。
「われわれは対面で仕事する。話しながら仕事をすることはあまりないけれども、お顔やらお肌やら触れるので、それは密になる」と話す。
神田さんは地唄舞家元の花崎杜季女さんの化粧をする際も、マスクとフェイスシールドを着用していた。
<消えゆく職業>
芸妓で最も有名なのは京都だが、東京にも芸者が活動する、いわゆる「花街」が6カ所ある。だが、稽古に明け暮れる厳しい生活に恐れをなして、芸者の道を目指す人は減っている。
30年前、赤坂だけで120人の芸者がいた。現在では、東京全体で約230人に過ぎない。
稽古や着物にはお金がかかる一方、収入は人気に左右される。育子さんのようなベテラン芸者が特に人気を集める武器となった機知に富んだ会話などのスキルは、経験を重ねなければ身につかない。
「お客さんは来てもらえないし。今の収入はゼロですよ、ゼロ」と育子さんは言う。育子さん自身にはいくらか貯えもあるが、若い芸者にとっては非常に厳しい状況で、芸者の組合が家賃の支払いを支援しているほどだという。
フリーランスである芸者は、「個人事業主」として誰でも政府が新設した100万円の持続化給付金を申請することができる。ほとんどの芸者が申請したと思うと、育子さんは話す。
芸者仲間の真由さん(47)は、「何も考えられない。不安でいっぱい」と語る。「とにかくひたすらステイホームだったので、普段できない着物の整理をしたりとか、写真の整理をしたり」
コロナ感染の第2波が来るかと思うと、恐ろしいと、真由さんは言う。
それでも、花街ではあらゆる努力が行われている。
料亭を経営する浅田松太さんは、できるだけ大きい部屋に席を設けるようにしていると説明し、芸者・料亭の文化を守るためには何でもやると語る。
<生き残りを賭けた改革>
元芸者の湯川倫代さんは赤坂でバーを経営、不定期で芸者関連のイベントも主催している。彼女は、芸者の魅力をもっと一般の人にも楽しんでもらえるよう、変化していく必要があると考えている。
芸者には「特別な美しさ」があると、湯川さんは語る。「普通の人と違う修行」を経て、稽古や身に着けるものに多くの投資もしていることで特別な魅力が生まれている、それが失われるとすればもったいない、と話す。
育子さんは、パンデミックが長引けば廃業する芸者もでてくるだろうと危惧する。
「今は最低の最低」だと彼女は言う。「どういう風に乗り越えるか、身も心も全体絞って──忍耐、我慢、辛抱の時代」
(写真:Kim Kyung-Hoon、翻訳:エァクレーレン)
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